第96話 保存区画への道
秋になっていた。
外部市から戻り、広域地図を作り、保存槽の扉を開ける準備を整える。それだけで、季節が一つ、進んでいた。ウメとマツは、また少し大きくなり、クズハの調教で、人を乗せて、短い距離なら歩けるようになっていた。乗せられるほうも、乗るほうも、まだ恐る恐るである。
そして、保存槽の扉を、開ける日が来た。
評議会で、何度も確認した手順だった。入域班は、五人全員。ガンも、今回は入る。足の調子が、いい時期だった。クロは、留守番。
「ガンさん、入るんですね」
スズが、目を丸くした。
「保存槽の扉は、複数で開ける」
ガンが、片手を、握ったり開いたりした。
「くぼみが、二つあるだけじゃ、足りないかもしれない。人手は、多いほうがいい」
「ガンさんが、禁域に入るの、久しぶりです」
「足が、もつうちにな」
足がもつうちに。年寄りの物言いである。だが、握ったり開いたりしている手は、まだ十分に太い。
禁域の入口は、いつものように、カイの手で開いた。
通路を進み、段差を越え、横道に入る。保存槽の扉の前に、五人が立った。
扉の左右に、くぼみが二つ。カイが、これまで何度も見てきた、開かない扉だった。何度、見上げても、開かなかった扉。今日は、その前に、五人がいる。
ミコトが、扉の前で足を止めた。
「手順を、確認します」「カイが、まず、扉の中央に手を当てる。認証だ。それから、二人が、左右のくぼみを、同時に押す。たぶん、それで、開く」
「たぶん、ですか」
「やってみないと、わからない」「でも、文字には、そう書いてある。認証と、複数の手動操作。それで、開く」
カイが、扉の中央に、手を当てた。手のひらが、温かくなる。扉の表面が、淡く光った。
「認証、されました」
手のひらを扉に押し当てたまま、カイが告げる。
「次は、くぼみです」
ガンとミコトが、左右のくぼみに、手を当てた。
「同時に、押す」「合図は」
「『今』だ」
「『一、二、三』のほうが、いい」
「どっちでもいい」
「よくない」
ミコトが、首を振った。
「合図が、ずれると、失敗する。統一する」
「では、『一、二、三』で、『三』で押す」「いいですか」
「いい」
「いい」
「一、二、三」
ガンとミコトが、「三」で、くぼみを押した。
だが、何も、起きなかった。
シーンである。
「押すのが、ずれました」
「ずれていない」
「ガンさんが、『三』の前に、押しました」
「押していない」
開かない扉の前で、二千年ぶりの操作を、二人が言い争っている。歴史的瞬間の重みは、どこかへ行った。
カイが、二人の間に割って入った。
「もう一度、やります」「今度は、ゆっくり。『一、二、三』。『三』と言い終わってから、押してください」
もう一度、カイが認証した。ガンとミコトが、くぼみに手を当てる。
「一……二……三」
カイの声が、ゆっくりと通路に落ちた。
ガンとミコトが、「三」と言い終わった後、同時に押した。
低い音がした。
扉の表面に、縦の線が走った。だが、すぐには、開かなかった。線が走ったまま、止まっている。
「もう一つ、足りない」
文字を、もう一度、読む。
「『三点』。三つの点を、同時に。くぼみ二つと、認証。三つ、同時です」
手順を、組み直した。
カイが、扉の中央に手を当てたまま、認証を保つ。ガンとミコトが、左右のくぼみを押す。三つを、同時に。
「カイは、手を離すな」「認証を、保ったまま、私たちが押す」
「わかりました」
カイが、扉の中央に手を当てた。ガンとミコトが、くぼみに手を当てる。
「いきます」「一……二……三」
三つの手が、同時に、扉に力を加えた。
低い音が、長く響いた。縦の線が、横に開いていく。扉が、ゆっくりと、内側へ沈み、横にずれた。
保存槽区画への、道が開いた。
「開いた」
スズの声が、小さく漏れた。
誰も、すぐには動かなかった。開いた扉の向こうは、暗かった。冷たい空気が、ゆっくりと、流れ出してきた。二千年、閉じられていた空気だった。
扉が開いた後、ガンが、ふと、扉の下層の壁を見た。
「カイ」
壁の一点に、顎をしゃくる。
「ここ、見ろ」
扉の先、下層へ続く通路の壁に、傷跡があった。自然にできたものではない。何かで、刻んだような跡。
カイが、近づいた。傷跡を、指でなぞる。
「これは」
指先が、傷の上で止まった。
「文字ではないです。でも……父の、手書きに、似ています」
「お父さんの」
「父は、ここに来た」「この壁に、何か、刻もうとした。でも、文字にならなかった。途中で、止まっている」
カイは、傷跡を、しばらく見ていた。父が、ここまで来た。保存槽区画の、入口まで。そして、何かを、刻もうとした。
「下層へ、進みますか」
ミコトが、暗い通路の奥をうかがった。
「今日は、入口までです」「扉を開けて、道ができた。それだけで、十分です。下層へ進むのは、次です。準備して、また来ます」
「お父さんの傷跡は」
「記録します」
リュウが、帳面を開いた。
「父さんが、ここに来た証拠です。大事な記録です」
カイは、開いた扉を、見た。その向こうに、下層への道がある。父が、ここまで来た。そして、その先で、何かを見つけたのかもしれない。あるいは、見つけたものに、すまない、と書こうとして、書けなかったのかもしれない。
「戻ります」「次は、下層へ。父が、何を見たのか、確かめに」




