第95話 広域地図の最初の一枚
外部市からの帰り道は、五日かかった。
崩れた崖は、隊商が、荷馬車を、なんとか引き上げた。来た時より、慎重に、時間をかけて渡った。それ以外は、大きな問題もなく、三ツ辻へ戻った。
戻った日、ガンとクロが、出迎えた。
「全員、いるか」
「います」
カイが、荷を下ろす。
「五日、外でした。長かったです」
「無事で、何よりだ」
「ガンさん、心配しましたか」
「していない」
即答である。
「クロさんが、毎日、北西の空を見ていたと、ハナさんが言っていました」
「見ていません」
クロが言い切ってから、一拍、間があった。
「……少しだけ、見ました」
「ガンさんも、一緒に見ていました」
ハナが、食堂から声を投げる。証言者は、常に厨房にいる。
「見ていない」
拠点の門前で、否認が二つ、宙に浮いた。
その夜、ハナが、戻った四人に、温かい食事を出した。
「五日、保存食ばかりだったでしょう」
ハナが、湯気の立つ椀を並べる。
「温かいものを、食べてください」
四人は、久しぶりの、温かい食事を食べた。外部市のことを、話しながら。人の多さ、見たことのない作物、A番号の道標、C番号の崖。そして、ユズキとの再会。
「ユズキさんが、また、知らない顔で、現れました」
「保存槽を、不用意に開けるな、と言われました」
カイの声が、少し落ちた。
「ユズキさんは、何かを知っています。でも、語らない」
「語らないことも、守ること、か」
「ナルセさんと、同じことを言いました」
翌日から、地図を作る作業が始まった。
ミコトが、外で記録したものを、全部、広げた。外部市までの道、休憩地点、水場、崖、A番号の道標、C番号の構造物。それに、これまでの三ツ辻の地図——禁域、標塔、石柱、地温の線——を、重ねる。
「広いです」
スズが、紙の端を押さえる。
「机に、乗りきりません」
「食堂の机を、全部、使う」
ミコトの、決定は早い。
食堂の机を、いくつも並べて、その上に、大きな紙を広げた。ミコトが、外で記録したものを、一つずつ、書き込んでいく。リュウが、A番号、C番号の位置を、確認する。アサが、資料室から、過去の記録を持ってきて、照合する。
全員で、作業した。点を、繋いでいく。
地図が、形になってきた。
三ツ辻を中心に、北、北東、南南西、西南西の標塔。禁域。石柱。そして、外へ伸びる道——崖のC番号、A番号の道標、外部市。
「これが」
カイが、地図に手を置いた。
「三集落の外まで、繋がる地図です」
「誰も、持っていなかった地図だ」
地図の上で、点が、繋がっていく。標塔と標塔を、線で結ぶ。地温の線を、書き込む。A番号、B番号、C番号、F番号の場所を、色で分ける。
「見えてきました」
リュウが、線をたどる。
「ばらばらに見えていたものが、繋がっています」
「世界の、骨組みみたいですね」
「骨組み」
カイが、その言葉を繰り返した。
「そうかもしれません。標塔が、骨。A、B、Cが、その間を、繋ぐもの。世界全体に、この骨組みが、広がっている」
作業が、夕方まで続いた。
ハナが、食堂に来て、机を見た。地図で、机が、全部、埋まっている。食べる場所が、一寸もない。
「夕食までに、片付けてください」
「もう少しで、終わります」
「夕食は、待ちません」
ハナの、この宣告に猶予はない。
「片付けないと、食べる場所が、ありません」
全員が、本気で、急いだ。世界の骨組みより、今夜の夕食のほうが、締め切りが近い。地図を、慎重に、巻き取る。机を、元に戻す。ハナが、夕食を、運んでくる。
「間に合いました」
「ぎりぎりです」
巻き取った地図は、資料室の、新しい棚に収めた。アサが、「広域地図棚」という札を、貼った。
「三ツ辻に、広域地図棚が、できました」
アサが、札を軽く叩いた。誇らしげに、少しだけ。
夜、カイは、資料室で、地図をもう一度、広げた。
ガンが、隣に来た。
「これが、外まで繋がる地図か」
「はい」
カイが、地図を見下ろす。
「まだ、不完全です。空白も、多い。でも、これまで、誰も持っていなかった地図です」
ガンが、地図を見た。標塔、禁域、A番号、C番号。それらを繋ぐ線。
「この線が」
ガンが、ある一本を指した。地温の線が、禁域から西へ伸び、そして——保存槽の方向と、重なっていた。
「保存槽の、方向ですね」
「お前が、開けようとしている扉だ」
「はい」
カイが、線の先を、目で追う。
「広域地図の線が、保存槽を、指しています。禁域も、標塔も、地温の線も、全部が、保存槽に、繋がっているのかもしれません」
ガンが、しばらく、地図を見ていた。それから、言った。
「次は、その扉を、開けるんだな」
「みんなで、です」
カイが、顔を上げた。
「準備は、できました。地図も、できた。あとは、覚悟だけです」
「ユズキは、覚悟して開けろ、と言ったんだろう」
「言いました」
カイがうなずく。
「中にあるものは、思っているより、重い、と」
ガンが、地図から、目を上げた。
「重くても、開けるか」
「開けます」
カイの声に、迷いはなかった。
「父が、『外を知る者』と書いた。その意味を、知りたい。一人ではなく、みんなで」
ガンが、うなずいた。
「なら、開けよう」
資料室の灯りが、地図を、静かに照らしていた。広域地図の線は、保存槽を、指していた。第3章の終わりに、三ツ辻は、外まで繋がる地図を、手に入れた。そして、その地図は、次に開けるべき扉を、指し示していた。




