第92話 ユズキ、また知らない顔で現れる
外部市は、三集落とは、まるで違った。
市場に、人があふれている。見たことのない作物、布、道具。遠い土地から来た商人が、声を張り上げている。三集落の市の、何倍もの賑わいだった。
「すごいです」
スズが、目を丸くした。
「人が、こんなに」
「外部市は、いくつもの集落の、真ん中にある」
サリムが、雑踏を見渡す。
「だから、人が集まる。三ツ辻と、同じだ。ただ、規模が、大きい」
「三ツ辻も、いつか、こうなりますか」
「なるかもしれん」
サリムが、ふと真顔になった。
「三ツ辻には、ここにないものがある。地図と、危険の情報だ。それを求めて、人が来る」
隊商が、市の一角に、荷を下ろし始めた。三ツ辻の四人は、荷の見張りをしながら、市を眺めていた。
その時、聞き覚えのある声がした。
「三ツ辻の人たちが、こんなところまで」
振り返ると、女が立っていた。旅装の、商人らしい身なり。だが、その顔を、四人は知っていた。
「ユズキさん」
「お久しぶりです」
女が、にこやかに頭を下げる。
「遠い南の集落から来た、ただの旅人です。覚えていますか」
「覚えています」
スズが、じとりと見た。
「三ツ辻に、来た人です。ただの旅人、と言いながら、いろいろ知っている人です」
「ただの旅人ですよ」
ユズキが、くすりと笑う。
「三ツ辻の宿の、予約制まで知っているただの旅人です」
「宿屋に、なっていましたね」
「前から、宿です」
スズが言い返す。
「前は、草毛獣がいました」
スズが、少し詰まった。
「……今も、います。ミルクと、バターが」
「除草係ですか」
ユズキが、楽しそうに言う。
「相変わらず、面白い拠点ですね」
旅人の情報網に、三ツ辻の除草係の名前まで載っているらしい。ただの旅人である。
ユズキは、四人を、市の隅の、静かな場所へ誘った。
茶を飲みながら、しばらく、世間話をした。だが、カイが、外の道で見つけたものの話をすると、ユズキの表情が、少し変わった。
「崖の中に、C番号という構造物がありました」
カイが、茶碗を置いた。
「それから、外の道に、A番号の石が。三ツ辻の禁域は、B番号です。標塔は、F番号でした」
ユズキは、茶を飲む手を、止めた。
「ずいぶん、調べましたね」
その声が、いつもより、低かった。
「禁域の中も、入りました」
カイが続ける。
「保存槽、という扉を、見つけました。父の記録に、『外を知る者』という言葉がありました。保存槽と、関係があるかもしれません」
ユズキが、しばらく、黙った。茶碗を、机に置いた。それから、カイを、まっすぐ見た。
「カイさん」
ユズキの目が、動かない。
「読める人間が、全部を語っていいとは、限りません」
カイは、その言葉に、覚えがあった。
「ナルセさんと、同じことを言いますね」
カイが、静かに言った。
「語らないことも、守ること、と」
「語り部の家系は、知っています」
ユズキが、茶碗の縁を、指でなぞる。
「知識を、制限することの、意味を。全部を語ると、危ないことがある」
「ユズキさんは」
カイが、身を乗り出した。
「『外部記録保存』という言葉を、知っていますか」
ユズキの目が、わずかに動いた。
「知っている、ようですね」
「……知っています」
ユズキが、ゆっくり言った。
「でも、詳しくは、言えません。一つだけ、言っておきます」
ユズキが、身を乗り出した。
「外部記録保存、という言葉を見たなら——保存槽を、不用意に開けないでください」
カイは、ユズキの目を見た。
「なぜですか」
「保存槽は、何かを、保存する場所です」
ユズキの声が、抑えられていた。
「長い時間、ずっと。それを、不用意に開けると、保存されていたものが、壊れるかもしれない。あるいは、開けたことで、別の何かが、起きるかもしれない」
「保存されているものは、何ですか」
「言えません」
ユズキが、目を伏せた。
「言わないことが、守ることだからです。ただ——もし、開けるなら、覚悟して、開けてください。中にあるものは、あなたが思っているより、ずっと、重いものかもしれません」
カイは、しばらく、考えた。
「父は、保存槽のことを、知っていたと思いますか」
「お父さんが、何を知っていたかは、私には、わかりません」
ユズキが、茶碗に目を落とした。
「でも、お父さんが、『外を知る者』と書いたなら——その人は、知っていたんでしょう。保存槽の中に、何があるかを」
ユズキは、それ以上は、何も言わなかった。
茶を飲み終えると、立ち上がった。
「また、どこかで会いましょう」
ユズキが、旅の袋を肩にかけた。
「次は、もっと、知らない顔で」
「ユズキさん」
カイが、呼び止めた。
「一つだけ、聞かせてください。ユズキさんは、誰ですか」
ユズキが、少し、笑った。
「ただの旅人です」
その笑みの奥は、読めなかった。
「でも、いつか、本当のことを、話す日が来るかもしれません。あなたが、保存槽を開けて、覚悟が、できたなら」
そう言って、ユズキは、市の人混みの中へ、消えていった。
カイは、その後ろ姿を、見送った。ユズキは、何かを知っている。だが、語らない。語らないことが、守ることだと言う。父も、同じだったのかもしれない。
「ユズキさん、何者なんでしょうね」
「わかりません」
カイが首を振る。
「でも、保存槽のことを、知っていました。父のことも、たぶん」
「保存槽、開けないほうがいいんでしょうか」
「わかりません」
カイが、消えた人混みを見る。
「でも、開けるなら、覚悟して、開ける。ユズキさんは、そう言いました」
市の賑わいの中で、四人は、しばらく、黙っていた。保存槽の中にあるもの。それが、思っているより、ずっと重いものだという、ユズキの言葉。その重さの正体は、まだ、わからなかった。だが、いつか、向き合う日が来る。それだけは、はっきりしていた。




