第90話 道を食う崖
外部市まで、あと二日というところで、それは起きた。
帰り道のことではなかった。行きの、三日目だった。隊商が、別の崖道に差し掛かった時、先頭を歩いていたスズが、足を止めた。
「待ってください」
スズが、後ろの隊商に向かって、手を上げた。
「道が、おかしいです」
道の先、崖の縁が、崩れかけていた。地面に、ひびが走っている。一部は、もう、谷へ落ちていた。
「いつ崩れた」
サリムが、前に出てきた。
「最近です」
スズがひびの縁を指す。
「ひびが、新しいです。土の色が、まだ濡れています」
リュウが、崩れた場所を調べた。
「崩れ方が、変です」
リュウが、ひびの縁にしゃがんだ。
「普通の崖崩れなら、上から崩れます。雨で、地面が緩んで、滑り落ちる。でも、これは、下から崩れています。道を支えていた地盤が、抜けたみたいに」
「下から」
「地下に、空洞があるのかもしれません」
リュウが、崩れた断面を見上げた。
「地盤が、下に抜けて、その上の道が、落ちた」
カイは、崩れた場所の断面を見た。岩の層が、見えている。そして、その中に——灰色の、金属のような光沢があった。
「C番号です」
カイの声が硬くなった。
「あの、崖の中の構造物。崩れた場所に、見えています。壊れている」
「壊れたから、道が崩れたんですか」
「逆かもしれません」
リュウが首を振った。
「何かが起きて、構造物が壊れて、それで、道を支える地盤が、なくなった」
道は、半分以上、崩れていた。
荷馬車は、とても通れない。人が、慎重に渡れるかどうか、というところだった。
「迂回路は、ありますか」
カイが、サリムを振り返った。
「ない」
サリムが崩れた道を見据える。
「この道しか、ない。崩れた場所を、なんとか、渡るしかない」
「荷馬車は、どうしますか」
「荷を、分けて運ぶしかない」
サリムが、荷馬車を振り返った。
「荷馬車は、置いていく。荷だけ、人が背負って、崩れた場所を渡る。だが、危ない」
カイが、崩れた場所を、もう一度見た。崖の縁が、いつまた崩れるか、わからない。慎重に、一人ずつ、渡る必要がある。
「私が、先に渡ります」
スズが前へ出た。
「足場を、確認します。安全な場所を、見つけます」
「一人で行くな」
「斥候は、一人で行くものです」
スズが、腰の紐に手をかけた。
「でも、紐をつけます。危なくなったら、引っ張ってください」
スズが、腰に紐を結んだ。
もう一方の端を、カイとミコトが持つ。スズが、崩れた崖の縁を、慎重に進んでいく。一歩ずつ、足場を確かめながら。
「ここは、固いです」
スズが、声を出して伝えた。
「次は……ここは、緩いです。避けます」
ミコトが、スズの言う足場を、記録していく。後から渡る人のために。
スズが、崩れた場所の真ん中まで来た時、足元の土が、少し崩れた。
ザラッ。
「スズ!」
カイが、紐を引いた。
スズが、体勢を崩しかけたが、紐に支えられて、踏みとどまった。すぐに、固い足場へ、移った。
「大丈夫です」
スズが、息を整える。
「緩い場所に、足を置きました。でも、紐のおかげで、落ちませんでした」
「無理するな」
「無理していません」
スズが、足元を確かめる。
「ちゃんと、確認しながら、進んでいます。昔の私なら、確認せずに、走っていました」
スズが、崩れた場所を、渡り切った。向こう側で、振り返って、手を振った。
「渡れました! 足場、覚えました!」
スズが見つけた足場を、たどって、一人ずつ渡った。
ミコトが射線を警戒し、リュウが地質を見て、カイが全体の判断をする。隊商の人員も、荷を背負って、慎重に渡った。スズが、向こう側で、一人ずつ受け止める。
全員と、荷が、渡り終えた。荷馬車だけが、向こう側に残った。
「荷馬車は、帰りに、なんとかする」
サリムが、汗を拭った。
「今は、荷が、無事ならいい」
リュウが、崩れた場所を、もう一度見たそうにしていた。
「崖の断面を、もう少し見たいです。C番号の構造物が、どう壊れたのか」
「あとで」
カイ、ミコト、スズ、そしてサリムの人員までが、同時に言った。渡り切ったばかりの崩落崖の縁で、この団結。
「……はい」
リュウが、ノートを閉じた。
崩れた崖を越えて、隊商は、進んだ。
カイは、歩きながら、考えていた。崖のC番号が、壊れた。それで、道を支える地盤が、抜けた。何百年も崩れなかった道が、崩れた。
「リュウさん」
カイが声を落とした。
「C番号が壊れたのは、偶然でしょうか」
「わかりません」
リュウが、慎重に言葉を選ぶ。
「ただ、気になることがあります。禁域を起こしてから、地温が変わりました。もしかしたら、世界のあちこちで、古いものが、少しずつ、動いたり、壊れたりしているのかもしれません」
「私たちが、禁域を起こしたせいで」
「断定はできません」
リュウが首を振る。
「崖が崩れたのは、もっと前からの、自然な劣化かもしれない。でも、時期が、気になります」
カイは、崩れた崖を、振り返った。世界のあちこちに埋まった、古い仕組み。それが、二千年の眠りから、少しずつ、目を覚まし始めている。あるいは、壊れ始めている。
禁域を起こしたことは、扉を開けただけではないのかもしれなかった。世界全体の、何かの均衡を、ほんの少し、動かしてしまったのかもしれない。その考えは、重かった。だが、目をそらすわけにも、いかなかった。
「外部市に着いたら」
カイが前を見た。
「もっと、調べます。A番号も、C番号も。世界に、何が起きているのか」
「はい」
隊商は、平原を、北西へ進んだ。崩れた崖は、後ろに遠ざかっていった。だが、その崩れが何を意味するのかは、まだ、誰にもわからなかった。




