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第9話 役割を決める


 雨季が近づいていた。


 空の色が変わり始めていた。春先の澄んだ青から、水分を含んだ白みがかった色へ。太陽が天頂を通る時刻が少しずつ変わっているのをカイは感じていた——朝に東の稜線から出て、南に弧を描いて、夕方に西の地平に落ちる。その弧が日ごとにわずかに北にずれる。この世界の太陽は、規則正しすぎるほど規則正しい。


 ドウが全員を集めたのは朝食の後だった。その日の朝食は麦の粥と、前日リュウが採集してきた葉物の塩煮だった。一ヶ月近くが経ち、持ち込んだ食料は底をついていた。補充の隊商が来るまで、採集で補う日々が続いていた。


「役割の整理をしたいと思います」とドウは切り出した。「三集落からここに来た三十人ですが、建設のために来た方と、常駐するために来た方が混ざっています。そろそろはっきりさせないと、誰が何をするかが曖昧なまま雨季に入ってしまう」


 全員が顔を見合わせた。言われてみれば、誰も正式に「自分はここに残る」「自分は帰る」と言っていなかった。最初から常駐前提だったのは野廻り隊の五人と、ドウ・ハナ・クワ・セリの四人だけだ。残りの二十一人は建設の手伝いとして来ていたが、いつまでいるかは曖昧なままだった。


「個別に話します」とドウは付け加えた。「今日の午後、一人ずつ少し時間をください」



 カイは午前中、クワの隣で見張り台の材木を運ぶ作業をしながら、周囲を見ていた。


 三十人の動きが変わっていた。気のせいかもしれなかったが、役割の話が出てから、建設の手伝いとして来た人たちの顔に何か考えているような表情が見えた。帰る日程を頭の中で計算している者もいれば、このまま残れるかどうかを考えている者もいるだろう。


 スズが隣で材木を運びながら「なんか、みんな顔色が違いますね」とつぶやいた。


「そうですか」


「顔に書いてある人がいます。帰るか残るか、計算しているって。ガンさんは絶対に残る顔をしていますね」


 少し離れたところで丸太を担いでいたガンが振り返った。「何を見ているんだ」


「ガンさんは迷いがないですね」とスズが続けた。


「当たり前だろう。柵がまだ全部終わっていない」


「理由が仕事です」


「それの何が問題だ」


「問題はないです。素直だと思って」


 ガンが「ほっとけ」と返した。スズが小声で「素直」と繰り返した。カイは「どちらも黙って運んでください」と割って入った。


 タケオが丸太を担いで横を通った。


「ドウさんに呼ばれましたか」とカイが聞いた。


「まだだ」とタケオは答えて、丸太を下ろした。「どうせ俺は帰るよ。集落の田んぼが待ってる」


「そうですか」


「お前たちはここに残るんだろう」


「そのつもりです」


 タケオが少し間を置いた。「無理するな」と静かに返した。珍しく柔らかい声だった。


「どういう意味ですか」


「若い者だけで切り盛りするのは大変だ。困ったらミナシロに連絡を入れろ。返事が来るのに一週間かかるが」


 カイは「わかりました」と答えた。タケオはまた丸太を担いで歩いていった。



 ドウが個別の話し合いを終えたのは夕方だった。結果として——常駐確定は野廻り隊五人、ドウ、ハナ、クワ、セリの計九人。その他に、どちらでもいいという立場の者が数人いた。


 個別に聞いてみると、理由は思ったよりばらばらだった。モモは「ハラダに戻っても薬草干しの棚が足りないので、ここに棚を作るほうが面白い」と答えたらしい。ヤスは「見張り台から見える畑の方向が気になる」と言い、ロウは「カネヅカでは若い者に席を譲る頃合いだ」と漏らした。残るか帰るかという話の中にも、それぞれの事情があった。


 ドウが最後に全員に向かって言った。「残っていただける方を、もう二、三人お願いしたいのですが」


 静寂があった。


 二十人ほどが焚き火のそばに座っていた。誰も手を上げなかった。ドウが「……えーと、」と言いかけた。


 カネヅカから来た若者が、焚き火の反対側でクワの隣に座っていた。二十歳ほどで、寡黙で、建設作業をずっとクワの隣でこなしてきた男だった。


「……まあ、もうちょっとここで働いてもいいか」


 静かな声だった。手を上げる代わりに、ぼそりとそう言った。


 全員が彼を見た。


「ありがとうございます」とドウが返した。「名前を改めて聞かせてもらえますか」


「ケン」


「ケンさん、よろしくお願いします」


 ケンは「うん」とだけ言った。クワが特に表情を変えずに「助かる」と横から添えた。それがこの二人にとっての、何か決定的な会話だったように見えた。



 その夜、常駐が決まった者と帰ることが決まった者が、初めて意識的に分かれた形で焚き火を囲んだ。誰も言葉にしなかったが、空気に線が引かれていた。


 ガンが珍しく静かだった。ミナシロから来た建設要員のほとんどが帰ることになっていた。同郷の顔見知りが減っていくのは、気持ちの上でどこか寂しいのだろうとカイは思った。ガンが「別に」と言いそうな想像もできたが、聞かなかった。


 スズが「なんか、しんとしてきましたね」とつぶやいた。


「そうですね」


「帰る人たちは、どんな気持ちなんでしょう」


「帰れる場所があって、良かったと思っているんじゃないですか」


 スズが「カイさんはそう思いますか」と返した。


「どちらかといえば」


「どちらかといえば、というのは」


「残ることを選んだのは自分なので、羨ましいとは思わないです。でも帰れる場所があることの意味は、わかります」


 スズが少し考えてから「私も残ることを選びましたよ」と口にした。


「知っています」


「カイさんが残るから残りました」


「そうですか」


「ついていきます」


「ありがとうございます」


 スズが「そういう返し方をするんですね」と苦笑した。「『わかりました』でも『嬉しいです』でも言えそうなのに」


「どちらも正確ではなかったので」


「正確なのは何ですか」


「ありがとうございます」


「……同じじゃないですか」


「伝えたかったことを言いました」とカイが答えた。スズが「カイさんはそういう人ですよね」と笑って、焚き火を見た。焚き火が揺れた。星が出ていた。いつもの、動かない星だ。



 翌朝から、帰る者と残る者の間に、以前とは少し違う動きが生まれた。


 帰る者たちが、自分たちの持っている技術や知識を残す者に伝え始めた。誰かに言われたわけではなく、自然にそうなった。ミナシロの農夫が「雨季前の柵の補強はこうしろ」とガンに教えた。カネヅカの石工が「この土台の組み方は、こう直すと長持ちする」とクワに伝えた。ハラダの採取者が「この方向に行くと、いい薬草が生えている場所がある」とリュウに教えた。


 言葉が短く、作業しながら伝えられた。それが余計に実用的に聞こえた。


 カイはその様子を見ながら、一つのことを思った。帰る者が何かを置いていこうとしている。残る者がそれを受け取ろうとしている。それは計算でも義務でもなく、ただそういう気持ちがある、ということだった。


 ガンが農夫から「雨季前の柵の補強はこうしろ」と教わっているのを見て、スズが「メモしていますか」と声をかけた。「している」とガンが少しぶっきらぼうに返した。「ガンさんがメモを取るのは珍しいですね」とスズが続けた。「お前に言われる筋合いはない」とガンが返したが、声に怒気はなかった。手元の紙は、丁寧に書かれていた。


 北の稜線の向こうに、標塔が見えた。今日も変わらず、そこにある。集落を出てここまで来る間も、常にどこかに見えていた。集落の人間は「この世界のどこにいても見える」と言うが、本当にそうなのかカイは確かめたことがない。ただ、拠点からは二本見えている。遠くの道を歩く旅人にも見えているだろう。最初からそこにあったのか、誰も知らない。ただ、道を示す目印として、今日も立っている。


 石積みの遺物に刻まれていた「制御区画B7」という文字が、ふと頭をよぎった。あの金属光沢は標塔と同じだった。父のメモには「構造ノード」という言葉もあった。二つが何か関係しているのか、それとも別のものなのか、まだわからない。いずれ、確かめに行けるだろうか。


 役割が決まった。次の仕事が始まる。

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