第9話 役割を決める
雨季が近づいていた。
空の色が変わり始めていた。春先の澄んだ青から、水分を含んだ白みがかった色へ。太陽が天頂を通る時刻が少しずつ変わっている。その弧が日ごとにわずかに北にずれる。太陽は、規則正しく季節を作り出している。
ドウが全員を集めたのは朝食の後だった。
「役割の整理をしたいと思います」
椀を置いてから切り出す。
「三集落からここに来た三十人ですが、建設のために来た方と、常駐するために来た方が混ざっています。そろそろはっきりさせないと、誰が何をするかが曖昧なまま雨季に入ってしまう」
全員が顔を見合わせた。言われてみれば、誰も正式に「自分はここに残る」「自分は帰る」と言っていなかった。
「個別に話します。今日の午後、一人ずつ少し時間をください」
※
カイは午前中、クワの隣で見張り台の材木を運びながら、周囲を見ていた。
三十人の動きが変わっていた。役割の話が出てから、建設の手伝いとして来た人たちの顔に何か考えているような表情が見えた。
「なんか、みんな顔色が違いますね、朝の話から」
「そうですね」
「帰ることが決まっている人の顔と、まだ迷っている人の顔が、少し違います。ガンさんは同郷の顔見知りが帰っていくのに、顔には出していませんね」
少し離れたところで丸太を担いでいたガンが振り返る。声が聞こえる距離にいた。
「何を見ているんだ」
「ミナシロから来た人たちが帰るのは寂しくない?」
「別に」
少し間があった。
「仕事が終わったら帰るのは当たり前だ」
「まぁ、そうだけど」
「お前に何がわかる」
「わかんない。だから聞いてる」
「うるさい」
丸太を担ぎ直す。
「素直じゃないですね」
小声でこぼすスズ。捕まらない天才である。
「どちらも黙って運んでください」
カイが割って入った。
タケオが丸太を担いで横を通った。
「ドウさんに呼ばれましたか、もう」
「まだだ」
額の汗を腕で拭ってから続ける。
「どうせ俺は帰るよ。集落の田んぼが待ってる」
「そうですか」
「お前たちはここに残るんだろう」
「そのつもりです」
少し間を置いた。
「無理するな」
静かな声だった。珍しく柔らかい。最初に場所決めで言い争った頃の声とは、別物のようだった。
「若い者だけで切り盛りするのは大変だ。困ったらミナシロに連絡を入れろ。返事が来るのに一週間かかるが、来ないわけじゃない」
「わかりました」
※
ドウが個別の話し合いを終えたのは夕方だった。結果として——常駐確定は野廻り隊五人、ドウ、ハナ、クワ、セリの計九人。その他に、どちらでもいいという立場の者が数人いた。理由は思ったよりばらばらだった。「棚が足りないので、ここに棚を作るほうが面白い」「見張り台から見える畑の方向が気になる」「若い者に席を譲る頃合いだ」。
「残っていただける方を、もう二、三人お願いしたいのですが」
静寂があった。二十人ほどが焚き火のそばに座っていた。誰も手を上げなかった。
「……えーと、」
ドウの声が、行き先を失って空中で止まる。
カネヅカから来た若者が、焚き火の反対側でクワの隣に座っていた。
「……まあ、もうちょっとここで働いてもいいか」
静かな声だった。手を上げる代わりに、ぼそりとそう言った。焚き火の音にまぎれそうな小ささだった。
全員が彼を見た。
「ありがとうございます。名前を改めて聞かせてもらえますか」
「ケン」
「ケンさん、よろしくお願いします」
ケンは「うん」とだけ返す。クワが特に表情を変えず、横から「助かる」と添えた。それがこの二人にとっての、何か決定的な会話だったように見えた。一ヶ月、隣同士で働いてきた者の間にだけ通じる短さだった。
※
その夜、常駐が決まった者と帰ることが決まった者が、初めて意識的に分かれた形で焚き火を囲んだ。誰も言葉にしなかったが、空気に線が引かれていた。
ガンが珍しく静かだった。
「なんか、しんとしてきたね、今夜」
「そうですね」
「帰る人たちは、どんな気持ちなんでしょう」
「帰れる場所があって、良かったと思っているんじゃないですか」
「カイさんはそう思いますか」
「どちらかといえば」
「どちらかといえば、というのは」
「残ることを選んだのは自分なので、羨ましいとは思わないです。でも帰れる場所があることの意味は、わかります」
火に枝を一本足す。
「ここに来て良かったと思ってる」
「そうですか」
「カイさんがいるから、ここにいる意味があると思ってる」
「そうですか」
「二回同じ返事をしました」
「どちらも本当のことを言いました」
苦笑した。
「そういう返し方をするんですね」
「もう少し何か言えそうなのに」
「言いたいことは言いました」
「カイさんは、それで終わりにする人ですよね」
焚き火が揺れた。星が出ていた。いつもの、動かない星だ。
※
翌朝から、帰る者と残る者の間に、以前とは少し違う動きが生まれた。
帰る者たちが、自分たちの持っている技術や知識を残す者に伝え始めた。誰かに言われたわけではなく、自然にそうなった。カネヅカの石工が「この土台の組み方は、こう直すと長持ちする」とクワに伝えた。ハラダの採取者が「この方向に行くと、いい薬草が生えている場所がある」とリュウに教えた。
言葉が短く、作業しながら伝えられた。それが余計に実用的に聞こえた。
ミコトだけは誰とも話していなかった。柵の端に弓を立てかけて、帰っていく人たちの列を遠くから見ている。
「何か言いたいことはないですか」
「ない」
答えは短い。
「帰れる人間の顔を見るのが、苦手なわけでもない。ただ見ている」
ガンが農夫から「雨季前の柵の補強はこうしろ」と教わっていた。それを見て、スズが少し離れた場所から声をかける。
「メモしていますか、ガンさん」
「している」
ぶっきらぼうな返し。手元の紙は持ち上げてみせない。
「ガンさんがメモを取るのは珍しいですね」
「お前に言われる筋合いはない」
声に怒気はなかった。手元の紙は、丁寧に書かれていた。手と口の温度差、この男の名物である。
北の稜線の向こうに、標塔が見えた。今日も変わらず、そこにある。石柱の遺物に刻まれていた「制御区画B7」という文字が、ふと頭をよぎった。あの金属光沢は標塔と同じだった。父のメモには「構造ノード」という言葉もあった。二つが何か関係しているのか、それとも別のものなのか、まだわからない。いずれ、確かめに行けるだろうか。
役割が決まった。次の仕事が始まる。




