第8話 2ヶ月が経った
拠点を作り始めてから、ふた月ほどが経った。
ドウが帳簿の脇で報告書を書いていた。三集落の代表が来る前に整理しておきたかった。
「これまでの成果をまとめています」
カイに向かって、書きあがった項目を読み上げる。
「小屋四棟完成——三棟の予定が調理小屋を追加で一棟。荊棘柵は南・東・北が完成、西は雨季前に完成予定。食料保管庫完成。井戸は掘削中、水脈に到達。旅人の収容が一件。野廻り隊による周辺の安全確認が始まった」
「良いと思います、報告書としては」
「問題もあります。食料の継続調達が不安定、柵の耐久性がまだ低い、見張り台が未完成、雨季への備えが不十分。それと次の物資補給ですが、依頼する隊商の来訪日程がまだ確定していません」
「それも正直に書いたほうがいいですね」
「そう思います。良いことだけ書くより、問題を書いたほうが信頼される。長くやっていれば問題は隠せない」
※
代表たちが来たのは昼過ぎだった。三人はそれぞれ、この一帯を移動していた隊商とともに来た。ミナシロからヤエ、カネヅカからカジキ、ハラダからナルセ。カジキは五十代の元工匠長で、目つきが鋭く、何かを数えているような顔をしていた。ナルセは六十代の語り部で、白髪を後ろに束ねた穏やかな老人だった。
「では報告をどうぞ」
最初から業務的なカジキ。
ドウが報告書を読み上げた。成果と問題を両方。聞いている間、三人の表情はそれぞれ違った。ヤエは目を細めて聞いていた。カジキはメモを取っていた。ナルセは穏やかに微笑んでいた。
「見張り台が未完成とありますが、いつまでに完成しますか」
「雨季前に、柵の完成と合わせて」
「具体的な日数は」
「……あと二十日ほどで、雨季が来ると考えています。その前に」
「数字で示してください。あと何日で何をする、という形で。そのほうが確認しやすい」
「はい、次回は数字で出します」
「まあ良いでしょう」
ペンを置いた。これが彼の最大の了承だとわかるのに少し時間がかかった。
「次の物資補給の隊商は、いつ来ますか」
「調整中です。各集落への依頼は出しています」
「つまりいつ来るかわからない、ということですね」
「……現時点では、そうなります」
「数字で示してください」
「次回は数字で出します」
カジキがメモから視線を上げた。
「先ほどと同じ答えですね」
「はい」
場の空気が一瞬、引き締まった。管理会計の鬼、来訪。
「旅人を一人助けたことは聞きました」
ヤエが続けた。
「あれは良いことをした」
「ありがとうございます」
「まあ、及第点かしら。最初のふた月として、悪くはない」
ガンが少し驚いたような顔をした。カイはその横顔を見た。普段「うるさい」「黙れ」しか言わない男が、視線をどこへ向けるべきか迷っている。
「褒められましたね」
「俺が褒められたわけじゃない」
「でも嬉しそうです」
「うるさい」
「はい」
嬉しそうな顔だった。注意されているのか褒められているのか、もはや本人にも区別がついていないかもしれなかった。
※
その後、ナルセが話し始めた。
「ここの地域はね、昔から不思議な場所として知られていてね。私が若い頃に聞いた話では——」
「ナルセさん」
カジキが口を挟んだ。早口の中年男と、ゆっくりした老人の対比が際立つ。
「今日の用件とは関係のある話ですか」
「関係あります。地域の歴史は大事ですよ」
「どのくらいかかりますか」
「短くても一刻は……まあ、半刻で収めましょう」
「では後ほど、別に聞きましょう」
「そうですね、それが良いかな」
語り部の半刻は、聞き手によっては一刻を超えることをカジキは知っていた。時間感覚の交渉が、この場では最も緊張感のある取引だった。
※
代表たちが帰る準備を始めた頃、カイがナルセのそばに行った。
「さっきの話、聞かせてもらえますか。半刻でも構わないので」
「聞きたいですか」
「はい」
少し驚いたように見た。
「ほとんどの人は興味がないんですが、あなたは違うようですね。父親のカツオさんに似てますよ。あの方も、みんなが聞き飽きた頃にまだ聞いていた」
父の顔が、一瞬だけ思い出された。
「この場所の南に、石柱の跡があるんです。神代の遺物だと言われている。昔から、どんな雨風にも崩れないと。長老たちの間では『神代の番人の足跡』と呼ばれていました」
「番人の足跡、とはどういう意味ですか」
声が、少し低くなった。
「神代の時代に、何かを管理していたものの名残だ、という言い伝えです。何を管理していたかは、もう誰も知らない」
「父が何か言っていましたか、その石柱について」
視線が記憶を辿るように、ゆっくり下を向いた。
「カツオさんは一度、その石柱を見に行ったことがあると言っていました。何かを読もうとした、と。読めたかどうかは聞かなかったな」
カイは黙って聞いていた。
「あなたは父親に似ているから、きっと気になるでしょう。気になったら行ってみなさい。ただし一人では行かないように。南の森の縁は危ないですから」
※
その日の夕方、カイは一人で南側へ歩いた。
地図はない。「南の道から外れたところ」という言葉だけを頼りにした。一人では行かないようにと言われたことは、もちろん覚えていた。だから森の縁には入らない。道から見える範囲で位置だけを確かめ、危ないと思ったら戻る。次に調べるときは誰かと来る。日が落ちる前に戻れる距離だけを歩いた。
ハラダの方向に向かう道の途中を外れたところに、石柱があった。
近づいてみると、ふつうの石とは違った。灰色がかった金属光沢があった。標塔と同じだ、と思った。表面が滑らかで、神代の遺物とは思えない状態だった。風化した様子がない。
手を当てた。冷たかった。
よく見ると、表面に細かい刻み目があった。文字だ。普通の文字ではない。父親のメモの中にあった、読めない文字に似ていた。
記憶の中で、父親のメモを思い出した。ゆっくりと文字を追った。意味が断片的に浮かんだ。すべてではない。一部が、なんとなく、わかった気がした。
「……制御区画、B……7」
声に出してみた。メモを取り出して、その文字列と石柱の刻み目を見比べた。形が一致する。父親が「管理」と書き添えていた文字の、すぐ隣にある記号と、ここに刻まれたものとが同じだった。
つまり父親は、この場所——あるいはこれと同じ何かを——知っていた。
夜になりかけていた。しばらくそこに立っていた。拠点からここまで、歩いて半刻ほど。距離は遠くない。だとすれば、父親もかつてこの場所に来ていたかもしれなかった。
ナルセが「読もうとした」と言っていた。父親は、読めたのだろうか。
帰り道は暗かったが、道は覚えていた。
※
拠点に戻ると、焚き火が燃えていて、ハナが夕食の準備をしていた。全員が揃っていた。
「どこに行っていたんですか」
「少し散歩しました」
「嘘ですね、顔で分かります」
「何かを考えていただけです」
「どんなことを」
「あとで話します」
「わかりました」
スズはまた鍋の汁をすくった。それ以上は聞かなかった。スズはそういうところが、あった。
カイはポケットのメモを確認した。制御区画B7、と書いた。それだけ書いて、また折りたたんだ。




