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第7話 初めての嵐


 ヤエの視察から数日後の夕方、ミコトが空を見上げて言った。「嵐が来る」


「いつですか」とドウが聞いた。


「今夜か、遅くとも明朝」


 クワが空を確認した。西の空に重い雲があった。ナル川のほうから風が吹いていた。「屋根の補強が要る。食料保管庫の壁がない。急ぐ」


 全員が動いた。



 日没前の二刻を使って、できるだけのことをした。小屋の屋根の蔓縄を増し縛り、梁を追加した。食料保管庫は壁の代わりに防水布を張り巡らせた。荷物の中で雨に弱いものを建物の中に運び込んだ。


 日が暮れてから雨が来た。


 最初は静かな雨だった。やがて風が強くなった。草が倒れ、木の枝が揺れた。焚き火が風に吹かれて煙が横に流れた。遠くの標塔は嵐の中でも、いつも通りまっすぐ立っていた。


 小屋の中で全員が身を縮めていた。屋根の補強はした。しかし小屋を作り始めてまだ三週間だ。建てたばかりの構造材は、雨を吸って膨らんだり縮んだりする。各所から軋む音がした。


「大丈夫か」とガンが聞いた。


「今のところは」とクワが答えた。「ただ東の小屋の棟木が少し心配だ。明るくなったら確認する」


 そのとき、食料保管庫のほうでばたりという音がした。防水布が一枚、風で飛ばされた音だった。


「行きます」とクワが立ち上がった。


「私も」とガンが続いた。


 雨の中に出た。暗い中で、防水布を張り直す作業をした。冷たかった。作務衣が一瞬で水を吸って重くなった。袖を縛っていた紐が解けて、ぶら下がった袖先が作業の邪魔をした。



 その間、スズは拠点の外縁を見張っていた。


 嵐でも見張りは続ける。それは初日に全員で決めたことだった。スズが外に立って、暗い野原を見ていた。松明は風に消されてしまったので、提灯に火を入れて持っていた。


 風がひどかった。裾を短く折り返した薄手の格好では、雨が腕と脚に直接当たった。脚絆が水を吸って重くなる。それでもスズは動かなかった。止まって見ているほうが、動くより遠くまで見える。


 南東側の倒木の陰に、何かがいた。


 最初は獣かと思った。でも動き方が違う。獣はもっと低く、もっと素早く逃げる。これは荷物の重みで動けなくなっているものだ。スズはそう判断して、距離を置きながら近づいた。提灯を体で遮って、自分が明かりの中心にならないようにしながら。


 人間だった。二人、倒れた木に背を預けて動いていない。ずぶ濡れで、荷物を抱えていた。一人は目を閉じていた。


「人がいます!」とスズが大声で叫んだ。振り返らずに叫んで、すぐに二人のほうへ近づいた。体温が低いなら、一秒でも早く動かしたほうがいい。



 収容した二人はミナシロの旅人だった。四十代の男と、二十代の女で、ハラダへの使いの途中だったという。本来は同方向へ向かう隊商と同行するつもりだったが、出発の準備が遅れて先に行かれてしまった。二人だけで後を追ったところへ嵐に捕まって道を外れ、川が増水して渡れなくなっていた。迂回路を探しているうちに暗さと雨で目印を見失い、さらに迷った。


「もう少し遅かったら」と男のほうが言った。「体が動かなくなっていたかもしれない」


「荷物は濡れましたが、体は大丈夫ですか」とセリが確認した。


「寒い。それだけです」


「温めます」


 セリが乾いた布と温めた石を使って二人を温めた。リュウが生姜に似た植物を煎じて飲ませた。スズは二人の隣にしゃがんで「どこから来たんですか」「荷物の中に濡れたら困るものはありましたか」と話しかけながら、二人の様子を見ていた。医療の知識があるわけではないが、人が話しかけてもらうと体が少し動く、ということを知っていた。


 しばらくして二人の顔色が戻ってきた。



 その夜、小屋の東棟の屋根の一部が飛んだ。


 クワが気づいて全員を呼び、雨の中で修繕した。ずぶ濡れになりながら丸太と蔓縄で棟木を補強した。作業が終わった頃には夜半を過ぎていた。全員が疲れて、びしょびしょのまま床に転がった。


 途中で、風にあおられた梁材がずれた。ガンが支えに入ったが、雨で手が滑った。


「上げるな、先に縄だ」とクワが怒鳴った。


「縄が届かない!」とガンが返した。


 そのとき、スズが床に腹ばいになって、泥の上を滑るように縄を押し出した。「届きます! たぶん!」


「たぶんで渡すな!」


「でも届きました!」


 ガンが縄を掴み、クワが結び目を作った。二人の動きが一瞬だけ揃った。風がまた屋根を持ち上げようとしたが、今度は梁が耐えた。


 クワが短く息を吐いた。「今のは助かった」


「たぶん、ではなかったです」とスズが言った。


「今は言い返すな」とガンが低く返した。


「でも届きましたよ」


「わかった。届いた。それでいい」


「ガンさんが縄を掴む顔、すごかったです」


「何が」


「真剣というか、怖いというか」


「お前は黙れ」


「はい」


 ミルクは荷物の陰にいた。乾いていた。


「あいつだけ……」とガンがつぶやいた。


「先に入っていたのかもしれません」とリュウが答えた。


「どこから入った」


「窓の板の隙間だと思います。体が小さいので」


「賢いですね」とスズが言った。


「獣が賢くても」とガンが返した。


「褒めてもいいじゃないですか」


「……褒めてどうする」


「直す」とクワが言った。「明日」


 ミルクは誰かが何か言っているとは関係なく、丸まって目を閉じていた。



 翌朝、嵐が上がった。


 二人の旅人が起き上がって、礼を言った。


「助かりました。ここがあって良かった」


「お役に立てて良かったです」とドウが言った。


「ミナシロに帰ったら、話しておきます。この場所に人がいることを」


「ありがとうございます」


 二人が出発したあと、全員で被害確認をした。屋根が一部損傷、防水布が二枚紛失、食料の一部が濡れたが保管庫の棚のおかげで腐るほどではなかった。


「想定より被害が少なかった」とクワが言った。


「高床の棚は正解でしたね」とハナが続けた。


「運が良かっただけだ。次の嵐の前に壁を作る」


「次は雨季ですか」とカイが聞いた。


「そうだ。本格的な雨が来る前に補強する」


 全員が「わかりました」と言って、それぞれの作業に戻った。



 夕方、ドウが帳簿に記録を書いていた。カイが横に座って、同じように自分のメモに何かを書いていた。


「旅人の二人、ミナシロに話してくれると言っていましたね」とカイが切り出した。


「ええ。それは良いことだと思います」とドウが答えた。「信頼は少しずつしか積まれない。今日のことで少し積まれました」


「ヤエさんには届くでしょうか」


「届くと思います。あの方は情報を集めるのが上手い。集落のことは何でも知っている」


 カイが「そういう方なんですね」と言いながら、自分のメモに何かを書いた。


「何を書いているんですか」とドウが聞いた。


「日誌みたいなものです。父親が記録をつける人だったので、習慣として」


「お父さんは語り部でしたね」


「はい」


「語り部の方は記録が大事ですからね。聞いて、覚えて、残す」


「父親はそう言っていました」とカイは言った。「残したものが、後でわかることがある、と」


 ドウが「良い言葉ですね」とつぶやいた。カイは何も言わなかった。メモに短い文字を書いた。


 夜が静かになった。嵐の翌日の空は、澄んでいた。


 翌朝、クワが「雨季の前にやることをまとめる」と全員に言った。見張り台、西の柵の補強、食料保管庫の壁。一つ一つは終わっていないが、数えれば終わりが見える量だった。終わりが見えるのは、始まった頃とは違う感覚だった。

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