第10話 建設仕事を引き継ぐ
建設要員たちが帰り始めた。
一度に全員が帰るのではなく、隊商の動きに合わせてまとまりで出ていく。最初にまとまって帰ったのはカネヅカ組の七人で、ケンを除いた全員だった。朝、荷をまとめて、挨拶を短く済ませて、隊商の列の後ろについた。列が北西の丘陵を越えて見えなくなると、残った者たちはしばらく眺めていた。それから各自の作業に戻った。
数日後にハラダ組の大半が帰った。ミナシロ組も帰り始めたが、タケオだけがまだ残っていた。
※
拠点が静かになった。
三十人いた人数が、タケオを残してほぼ半分以下になったことは、日常の細部にすぐ現れた。
「なんか静かですね、十二人だけだと」
「静かですね」
「これが普通になるんですね、これからは」
「そうなると思います」
「慣れるまで少し時間がかかりそうです」
鍋をかき混ぜる。今日の夕食は豆と乾燥肉の煮込みだった。三十人分を毎日作っていた頃より鍋が小さく、食材は少し余裕が出ていた。
「量が減ると、味に気を使えます」
三十人の時は量を確保するだけで精一杯だったのだ、とカイは初めて気づいた。
※
翌朝から、引き継ぎが本格的に始まった。
建設の専門家が去ったことで、クワが全ての設備管理を一人で抱えることになった。設備の状態を一箇所ずつ確認して回り、補修が必要な場所をケンに教える。ケンは黙ってついて歩き、言ったことをメモに書いた。
「この柱は二ヶ月後に取り替える。それまでは東の壁に負荷をかけるな」
「どうやって負荷をかけないようにするんですか」
「東の壁に重いものを立てかけない。それだけだ」
「わかりました」
しばらく歩いてから。
「メモしていいですか」
「していい」
「紙を持っていません」
クワが少し止まった。立ち止まったまま、無表情にケンを見る。
「……言えば渡す」
「次からそうします」
「今すぐ言え」
「紙をください」
懐から紙を一枚取り出して渡した。ケンは受け取ると、さっきまでの内容を書き始めた。
「ありがとうございます」
こういう会話が、朝から午後まで続いた。伝えることが多すぎた。
「時間がかかる」
「焦りません」
昼過ぎには、ケンの紙の余白がなくなった。
「裏に書け」
「裏はさっきの続きです」
「では別の紙だ」
「ください」
最初からそう言えという顔をした。それでも紙を渡した。ケンは受け取って、何事もなかったように書き始めた。師弟の紙資源問題、絶えることなし。
※
ガンは柵の補修を一人でやり始めた。緩んだ杭を木槌で打ち直す。全周を見て回ると、緩んでいる場所が十数箇所あった。
「これ全部、俺一人でやるのか」
「手伝う」
スズが後ろから顔を出す。
「お前は巡回の仕事があるだろう」
「今日はまだ出発前です。三十分は時間あります」
二人で柵を補修した。ガンが杭の位置を決め、スズが打ち込む。打ち方にリズムがあって、力を余らせなかった。
「どこで覚えた、その打ち方」
「集落で、普通に。ハラダは薬草を砕くのに木槌を使うので。力加減が似ています」
「薬師じゃないのに」
「みんな使います」
「なるほど」
横から一度見た。短く折り返した袖と裾から出ている腕と脚は、細いが筋がある。
「寒くないのか」
「今は動いているので。止まると寒いです。だから止まらないようにします」
「……効率的だな」
「そう? 単純に動いてないと落ち着かないだけだけど」
「そういうやつが一番疲れを知らないんだ」
悪い意味ではなかった。
※
午前中、スズとリュウとカイの三人は巡回に出ていた。特に何もなかった。草毛獣の食痕は昨日と変わらない範囲。捕縛蔦の分布は先週と同じ。針鼠狼の声は聞こえなかった。「土が少し乾いている」とリュウが書いた。
帰り道、ナル川の上流寄りに差し掛かったところで、スズが「籠、確認してきます」と川岸に向かった。三分ほどして戻ってきたスズが、手にした籠を二人の前に持ち上げる。中に魚が七、八尾入っていた。
「入ってました!」
「良かったです」
「ドンもいなかったし、上流は安全ですね」
「この魚、ナル川にこんなにいるんですね。先週は一尾も入っていなかったのに」
「場所を少し変えました。石の陰に置いたら来るようになった」
「ドンが使ってた石の裏側です」
「ドンの縄張りを参考にした」
「そういうことになります」
帰り道、屋根を見上げる。
「今日は何もないね」
「良いことです」
「良いことなんだけど、なんか物足りない気がする、巡回って」
「慣れます」
ノートを片手に、リュウが顔を上げた。
「今日、ナル川沿いの草が前回と違う向きに倒れていました。風の流れが変わっているかもしれません」
「……リュウさん、それは何もなかったじゃないですか、結局」
「記録が増えました」
「記録が好きな人ですよね、リュウさんって」
「なにがですか」
「何かあっても何もなくても、同じ顔で帰ってきます」
「どちらも仕事ですから」
この男の情緒は常に一定である。晴れでも嵐でも、記録帳の前では平常運転。
夕方、野廻りの巡回から戻ってきたミコトが、ガンに「北の柵を一箇所見逃している」と言った。
「どこだ」
「北東の角から五番目」
確認に行くと、たしかに杭が二本、根元から傾いていた。
「なんで気づいた、見ただけで」
「並びが揃っていなかった」
「そんな細かいところまで見えるか」
「等間隔で並んでいるものが一本だけずれていれば、わかる。距離を目で測る習慣があるので」
ガンが黙った。ミコトの目の良さは、矢を放つことだけに使われているわけではないのだとわかった。
「次から一緒に確認してもらえるか、巡回のついでに」
「いい」
短い返事だった。長くはなかったが、確かな了解だった。
その夜、スズにその話をすると、少し驚いた顔をした。
「ミコトさんに頼んだんですね、ガンさんから」
「なんか変か」
「いや、ガンさんが人に頼むのを見たのが初めてだったから」
「俺はそんなに頑固か」
「そういうわけじゃないけど……素直じゃない、それ」
「うるさい」
スズが小声で「素直」と繰り返す。
「聞こえてる」
※
その夜の夕食に、焼き魚が出た。皮が少し焦げて、脂が落ちて煙が上がった。
「魚です。籠罠から来ました。スズさんが持ってきてくれたので」
「ちゃんと食べられますね」
「骨が細いので気をつけてください」
「おいしい」
骨を丁寧によけながら食べる。
「魚を焼いた日の食堂は良い匂いですね」
「今後も籠は続けましょう」
「俺の籠の設計を褒めろ」
「ガンさんの籠の設計が良かったです」
「それでいい」
夜、全員が食堂の小屋に集まった。クワが棚の修繕の経過を報告し、ガンが柵の補修状況を報告した。ドウが帳簿を確認した。
「物資の在庫があと三週間分です」
「次の隊商が来るまでに採集で補えますか」
「補えます」
即答だった。
「今の季節は野草も根菜も採れます。三週間なら問題ない」
「わかりました。では採集の計画を立ててください。明日の朝までに」
それだけの会話だった。建設要員がいた頃の、あの混乱した大人数の話し合いとは違う。必要なことを、必要な人間が、短く言う。それで済んだ。
「なんか、今夜は静かですね」
「十二人分の静かさです。悪くないと思います」
少し考えてから「確かに」とつぶやいた。ガンが何も言わなかった。それが、同意と同じだった。




