第88話 銀縄隊、北の道へ
夏になった。
ウメとマツは、ひと回り大きくなっていた。クズハの調教で、人を乗せる練習を始めている。まだ短い距離だけだ。乗れるようになるには、あと何年もかかる。
子どもの成長は早いが、乗り物の成長は遅い。世の理である。
その夏、サリムが、正式な依頼を持ってきた。
「北西の外部市まで、護衛をお願いしたい」
机に、地図が広げられる。
「銀縄隊が、外部市へ行く。これまでより、ずっと遠い。三集落の、安全圏を、完全に出る」
「外部市」
カイが、地図の縁を指でなぞった。
「三集落の、外ですね」
「外だ」
サリムがうなずく。
「歩いて、片道、五日かかる。途中に、いくつか小さな集落があるが、危険な道もある。三ツ辻の野廻り隊に、ついてきてほしい」
評議会で、護衛の話を決めた。
行くのは、カイ、ミコト、スズ、リュウ。ガンは、拠点に残る。
「俺は、行かない」
ガンが腕を組んだ。
「片道五日の行軍は、足がもたない。それに、拠点を、空にはできない」
「ガンさん、行きたそうです」
「行きたい」
即答であった。
「だが、行けない。クロと一緒に、拠点を守る」
「自分が、留守番ですか」
クロが顔を上げた。
「お前と、二人で守る」
ガンが、クロを見る。
「俺が、お前に任せるんじゃない。一緒に守る。それが、いい」
クロが、少しうなずいた。
「……わかりました。一緒に、守ります」
「ウロジカに乗って行けたら、楽なんですけどね」
「まだ、子だ」
ミコトが首を振る。
「乗れるようになるのは、何年も先だ。今回は、馬を借りる」
「サリムさんの隊商の馬ですか」
「ああ」
サリムが応じる。
「予備の馬を、貸す。三ツ辻の厩舎ができたから、馬の扱いにも、慣れているだろう」
「クズハさんに、教わりました」
「少しは、乗れます」
出発の朝、ハナが携行食を渡した。
五日分の、保存食。乾燥させた穀物、塩漬けの肉、干した果実。それから、すぐ食べられる握り飯も、何個か。
「五日、外です」
ハナが、袋の口を結んだ。
「途中で、食料が手に入るかわかりません。だから、多めに持っていきます。でも、無理に食べきろうとしないで。足りなくなるよりは、余るほうがいい」
「ハナさん、荷物が重くなります」
「重くても、食べないよりいい」
この一言に反論した者は、三ツ辻の歴史上、一人もいない。
一方、リュウは、自分の荷物を、何度も確認していた。薬草、記録のノート、採集の道具。どう見ても、五日の護衛より、五日の採集旅行の荷である。
「リュウさん、荷物、多くないですか」
アサが、横からのぞき込む。
「必要なものだけです」
アサが、リュウの荷物を見た。それから、いくつか、取り出した。手つきに、迷いがない。
「これと、これは、いりません。外部市には、薬草を売る店があります。現地で、買えます」
「でも、僕の採取したものと、比べたい」
「比べるのは、帰ってからです」
ぴしゃり。
「荷物が重いと、五日、もちません」
リュウが、少し黙った。
「……はい」
荷物が、減った。
「アサさん、強くなりました」
「整理は、仕事です」
うつむいたまま、少しだけ口の端が上がっていた。整理係、任務に誇りを抱きつつある。
馬に乗って、出発した。
サリムの銀縄隊と合流し、北西へ向かう。隊商の荷馬車が四台、馬が六頭、人員が十人ほど。その前後に、三ツ辻の四人が、護衛として散る。
サリムの隊商員の中に、若い男がいた。まだ二十歳そこそこで、隊商に入って日が浅いらしい。
「三ツ辻の人たちですか」
若い男が、スズに馬を寄せてきた。
「噂は、聞いています。集落の外まで、何日も歩く野廻りがいるって」
「歩きます」
スズが胸を張る。
「最近は、馬にも乗ります」
「すごいです」
若い男が、素直に感心した。
「普通の野廻りは、集落の周りしか、回りません。外まで来るのは、珍しいです」
「最初は、私たちも、集落の周りだけでした」
スズが、少しだけ遠い目をした。
「だんだん、遠くまで行くようになりました」
道中、ミコトが、距離と方角を記録した。
歩く速度ではなく、荷馬車の速度。休憩する場所、水場、坂道。三ツ辻の地図が、野廻り用から、隊商用へ、広がっていく。
「ミコトさん、ずっと書いていますね」
「隊商の道は、野廻りの道と、違う」
筆が、止まらない。
「荷馬車が通れるか、坂がきつくないか。それを、記録する。次に、別の隊商が来た時、役に立つ」
ある坂で、スズが足を止めた。
「この道、足が嫌がっています」
「足の証言は、記録しにくい」
「でも、当たります」
スズが言い張る。
「この坂、雨が降ったら、ぬかるみます。荷馬車が、滑ります」
横で聞いていたサリムが、真顔になった。
「それ、当たるなら、記録してください」
「ほら」
スズが、得意げに笑う。
「……足の証言も、記録する」
ミコトが、少し不本意そうに筆を走らせた。世界の記録に、たった今、「足」という項目が加わった瞬間である。
一日目の野営は、小さな丘の上だった。
火を焚いて、ハナの携行食を食べた。サリムの隊商員たちは、三ツ辻の四人の手際を、感心して見ていた。
「あんたたち、慣れてるな」
サリムが、火の向こうから言う。
「野営も、見張りも、無駄がない」
「三年、やってきました」
カイが応じる。
「最初は、何もできませんでした。だんだん、慣れました」
サリムが、火を見ながら言った。
「外の道には、名前のない石が、いくらでもある」
「名前のない石、ですか」
「文字の刻まれた石だ」
サリムが、遠くを見る目をした。
「道のあちこちにある。隊商は、ただの道標だと思って、気にしない。でも、三ツ辻の人は、ああいう石に、意味を見つける。外部市までの道にも、いくつかある。見ていくといい」
カイは、火を見ながら考えた。A番号の石。サリムが前に持ってきた石。外の道に、同じような石が、いくつもある。その一つ一つが、何かの部品なのかもしれない。
「楽しみです」
「変わった人だ」
サリムが、呆れとも感心ともつかない顔をした。
「石を見て、楽しみと言う」
「三ツ辻は、そういう場所です」
夜の空に、星が出ていた。三ツ辻から離れても、星の配置は、同じだった。どこまで行っても、同じ星が、同じ場所にある。カイは、それを、少し不思議に思った。
だが、その不思議の答えは、まだ、ずっと先にあった。




