第87話 川の向こうの標塔
朝早く、五人はナル川の橋を渡った。
橋は、第22話でかけたものを、何度か補強したものだった。今は、しっかりしている。川の水位は、春にしては低かった。雪解けの水が、もう、引き始めている。
カイが川を見た。
「ドンは、いますか」
「川下です」
スズが下流を指す。
「今朝、見ました。日向ぼっこしています」
「日向ぼっこ、と言うな」
「鰐も、日向ぼっこします」
「鰐の気持ちが、わかるのか」
「三年の付き合いです」
橋を渡り終えると、そこは、もう三ツ辻の地図にない場所だった。なだらかな高台が、西へ向かって続いている。草は、三ツ辻の周りと、少し違った。背の低い、固そうな草が多い。
高台を登った。
登るにつれて、視界が開けた。後ろを振り返ると、ナル川と、その向こうに三ツ辻の柵が見えた。標塔の頂部も見える。いつも見ている景色を、初めて、外側から見た。
「三ツ辻が、あんなに小さく見えます」
「離れたからだ」
高台の頂上に近づくと、リュウが、足を止めた。しゃがんで、地面に手を当てる。
「地面が、温かいです」
手のひらを土に押しつける。
「ここも、温かい。禁域から、ここまで、地温の線が伸びています」
「禁域から、こんなに離れているのに」
「線が、繋がっています」
リュウが立ち上がって西を見た。
「禁域から、川を越えて、この高台まで。何かが、地下で、繋がっているのかもしれません」
高台の頂上に出た。
そして、見えた。
夕方の逆光の中に、細い柱が立っていた。金属の、灰色の柱。標塔だった。三ツ辻から見える、他の標塔と、同じ形。だが、こちらのほうが、近い。
「標塔です」
「西南西の標塔だ」
ミコトが目を細めた。
「計算通りの位置にある」
「一番近いのに、初めて見ました」
全員が、しばらく、標塔を見ていた。高台の向こう、それほど遠くない場所に、その柱は立っていた。三ツ辻からは、高台に隠れて、見えなかった。だが、確かに、そこにあった。ずっと、あった。
「近すぎて、見えなかったんですね」
「そういうことだ」
一番遠いものを探して、一番近いものを見落とす。人間の目は、たいてい、そういう作りになっている。
標塔の基部まで、行ってみた。
基部の周りには、石柱と同じ素材の、小さな破片が散っていた。リュウが、いくつか拾う。
「これも、灰色の光沢があります」
指先で表面を撫でる。
「禁域や、石柱と、同じ素材です」
カイが、標塔の基部を調べた。文字が、刻まれている。だが、これまで見たB番号とも、A番号とも、違う形だった。
「読めますか」
「一部だけ」
カイが刻印を指でなぞる。
「F、です。『F』という記号が、刻まれています」
「F番号」
ミコトが顔を上げた。
「Aでも、Bでもない。三つ目の系統だ」
「B番号は、環境」
カイが指を折る。
「A番号は、外の道で見つかったもの。そして、Fは、標塔。それぞれ、違う役割があるのかもしれません」
「複雑になってきたな」
「複雑です」
カイが標塔を見上げた。
「でも、繋がっています。禁域、石柱、標塔。全部、同じ素材で、別々の記号がついている。一つの、大きな仕組みの、部品なのかもしれません」
日が傾いてきた。
帰り道を考えると、そろそろ戻る時間だった。ミコトが、標塔の位置と、高台からの距離、角度を、記録した。
「今日は、ここまでです」
カイが空を見上げる。
「標塔Fの位置を、確認しました。素材も、記号も。十分です」
「もっと調べたいです」
リュウが破片を握った。
「基部の構造とか、破片の成分とか」
「次の機会だ」
ミコトが道具をしまう。
「日が暮れる。川を、暗くなる前に渡る」
「ドンが、夜は活発になります」
「だから、急ぐ」
鰐の生活時間まで頭に入れた撤退判断。スズの交友関係も、たまには役に立つ。
来た道を、戻った。高台を下り、川の橋を渡る。ドンは、まだ川下にいた。橋には近づいてこなかった。
「ドン、今日は、おとなしいです」
「鰐に、話しかけるな」
三ツ辻に戻ると、夜だった。
ドウが、帳簿を持って待っていた。
「全員、いますか」
「います」
カイが荷を置く。
「西南西の標塔を、確認しました。標塔Fです。AでもBでもない、三つ目の記号がありました」
「三つ目」
ドウが筆を取った。
「増えましたね」
「増えました」
カイがうなずく。
「禁域はB、外の道の石はA、標塔はF。それぞれ、別の役割があるのかもしれません」
ドウが、帳簿に書いた。
「西南西の標塔Fを確認。三ツ辻から最も近い標塔。F系統の記号を発見」
その夜、ミコトが、地図に標塔Fを書き加えた。これまでの標塔、禁域、石柱、地温の線。全部を、一枚の地図に重ねる。
ガンが、地図を覗き込んだ。
「見えてきたか」
「まだ、断片だ」
ミコトが線をたどる。
「だが、点が増えれば、線が見える。線が増えれば、形が見える。今は、点を増やしている段階だ」
カイは、地図を見た。三ツ辻を中心に、禁域、標塔、石柱が、散らばっている。一つ一つは、ばらばらに見える。だが、ツキの言った地温の線が、それらを、薄く繋いでいた。
「この全部が、繋がっているなら」
カイが地図に手を置く。
「それは、どれくらい、大きいんでしょうか」
「わからない」
ミコトが息を吐いた。
「三集落より、大きいかもしれない」
禁域は、扉の中だけの問題ではなかった。標塔も、石柱も、地温の線も、すべてが、一つの大きな何かの、部品だった。その全体像は、まだ見えない。だが、三ツ辻は、その地図を、少しずつ、描き始めていた。




