第81話 ミルクとバター、禁域道を塞ぐ
禁域へ向かう道の途中で、ミルクとバターが見つかった。
その日、留守番のクロが、禁域入口の様子を見に行く途中だった。道の半ばで、白い大きな体と、白い小さな体が、草を食べていた。
「なんで、こんなところに」
クロが足を止めた。
ミルクとバターは、三ツ辻の草地にいるはずだった。柵の中で、除草をしているはずだった。それが、禁域へ向かう道の、森の入口近くまで来ている。除草係が、持ち場を離れて出張していた。
クロは、二頭を連れ戻そうとした。だが、ミルクは動かなかった。その場所の草を、熱心に食べている。バターも同じだった。
やむなく、クロは戻って報告した。
「ミルクとバターが、禁域の道で草を食べていました」
クロが息を整える。
「連れ戻そうとしましたが、動きませんでした。あの場所の草が、よほど美味しいみたいです」
草の味に負けて帰ってきた留守番。三ツ辻の外周防衛は、今日はミルクの勝ちだった。
翌朝、五人で見に行った。
確かに、ミルクとバターは、同じ場所にいた。森の入口近く、禁域へ向かう道の脇。そこの草だけ、他より青く、よく伸びている。
「草が、早いです」
リュウがしゃがんで、地面に手を当てた。
「ここ、地面が温かいです。第77話の、霧が出る場所と同じです」
「禁域の熱が、ここまで来ているということですか」
「たぶんです」
リュウが手のひらの土を払った。
「禁域の周りの地面が、少しずつ温かくなっています。温かい地面では、草が早く伸びます。ミルクとバターは、その早い草を食べに来ているんです」
「賢いですね」
スズが目を細めた。
「美味しい草を、自分で見つけて」
「賢いというか」
ミコトが眉を寄せた。
「危ない。禁域の道は、私たちが警戒している場所だ。ミルクとバターが、勝手に来ては困る」
人間が地温計だの記録だので確かめている変化を、この親子は舌で先に見抜いていた。学者より、除草係のほうが優秀だった。
問題は、もう一つあった。
ミルクとバターが、禁域の道のど真ん中で草を食べているせいで、道が塞がっていた。禁域へ向かう五人が、二頭を避けて通らなければならない。
「ミルク、どいてください」
ミルクは、どかなかった。バターも、どかなかった。
「除草係なのに、道を塞いでいます」
「除草はしています」
スズが二頭を見やった。
「ただ、場所が悪いです」
仕事はしている。ただ、職場を間違えている。真面目な社員ほど、たちが悪い。
カイが腕を組んで考え込んだ。
「この草地に、ミルクとバターが来ないように、柵を作りましょう。それから、禁域の道とは別に、二頭が安全に草を食べられる場所を作る」
「誘導路を作るんですね」
「はい」
カイがうなずいた。
「危ない場所には来させない。でも、温かい草地で草を食べたいなら、安全な場所に同じような草地を作る」
その日のうちに、クロが柵と誘導路の設計を始めた。
禁域の道の手前に、柵を立てる。二頭が森に入れないようにする。そして、柵の外側、安全な場所に、誘導路を作って、別の草地へ導く。
「自分が、設計します」
クロが図面を広げた。
「ガンさんに、罠の応用だと言われました」
「罠の応用、ですか」
「動物の動きを読んで、行きたい方向に行かせる」
クロが図面に線を引いた。
「罠は、獣を罠の方へ誘導します。誘導路は、ミルクとバターを、安全な草地の方へ誘導します。考え方は、同じです」
ガンが、横で見ていた。口を出したそうにしていたが、我慢していた。
「ガンさん、何か言いたそうです」
「言っていない」
「目が、言いたそうです」
「クロが、ちゃんとやっている」
ガンが腕を組み直す。
「俺が口を出すと、邪魔になる」
「ガンさん、成長しました」
「うるさい」
そう返しながらも、口元はどこか緩んでいた。教えた弟子が、教えなくてもできるようになる。それを黙って見ている――この男なりの、最大級の甘やかしだった。
柵を立てる作業の途中、事件が起きた。
スズが、バターを抱えて、安全な草地へ運ぼうとした。すると、バターが、スズの服の紐を食べ始めた。
「また紐!」
「バター、紐が好きですね」
「好きじゃなくて、なんでも食べるんです」
スズが紐を引っ張りながら顔をしかめる。
「ミルクは、こんなことしませんでした。バターは、遠慮がないです」
バターは、紐をもぐもぐと食べ続けた。スズが、なんとか紐を取り戻すと、今度はスズの袖を狙い始めた。
「袖も駄目です!」
「ミルクより、好奇心が強いんですね」
「強すぎます」
スズがため息をつく。
「ミルクは、草しか食べませんでした。バターは、紐も、袖も、なんでも口に入れます」
草食獣を名乗っているが、口に入るものは全部食べる。定義に忠実でないのが、バターだった。
ミルクが、バターを見ていた。それから、ゆっくり近づいて、バターの首を、軽く押した。バターが、スズの袖から離れた。
「ミルクが、しつけました」
リュウが感心して声を上げる。
「親は、大変ですね」
人間の手に負えない子どもを、首ひと押しで黙らせる。親のほうが、よほど有能だった。
柵と誘導路が完成した。
ミルクとバターは、最初は新しい草地に戸惑っていたが、そこにも温かい草があると気づくと、満足したらしかった。禁域の道には、来なくなった。
「うまくいきましたね」
「クロの設計が良かった」
「ガンさんが、口を出さなかったからです」
「出していない」
帰り道、リュウが空を見上げてから切り出した。
「地面が温かくなる範囲が、広がっています。禁域の入口だけじゃなくて、道の途中まで。これは、もっと調べたほうがいいです」
「どこまで広がっているんでしょうか」
「わかりません」
リュウが眉を寄せる。
「でも、ナル川の方まで伸びているかもしれません。禁域の影響が、思ったより広い」
カイは、ミルクとバターのことを思った。二頭は、温かい草を、自分で見つけた。獣は、人間より先に、環境の変化に気づく。禁域の熱は、人間が気づくより前から、少しずつ、世界を変えていたのかもしれなかった。




