第79話 調べて、戻る仕事
保存槽の扉を、もう一度見に行くことになった。
前回、扉は開かなかった。複数で開ける必要がある、というところまではわかっている。だが、どう開けるかは、まだわからない。今日は、扉の周りをもう一度調べて、手がかりを探す。それだけの予定だった。
「開けに行くわけではありません」
カイが出発前に念を押した。
「調べに行くだけです。開けられそうでも、今日は開けません」
「なぜですか」
「準備が足りないからです」
カイが荷を背負い直す。
「中に何があるか、わからない。開けたら、戻れなくなるかもしれない。だから、今日は調べるだけ」
「カイさん、最近、ガンさんみたいなことを言います」
「うるさい」
外から聞こえるように、ガンが言った。
「ガンさんは外にいるのに、返事しました」
「聞こえたからだ」
弟子が増えたと思ったのか、本家が壁越しに反応する。血は繋がっていないが、口癖は伝染する。
保存槽の扉の前に立った。
カイが、扉の文字をもう一度読んだ。「外部記録保存」「保存槽」。それから、扉の縁を、指でなぞった。
「手動の仕掛けがあるはずです」
リュウが扉の縁を目で追う。
「複数で開けるなら、何かを、同時に動かす必要があります」
ミコトが、扉の左右を調べた。すると、扉の両脇に、小さなくぼみがあった。手のひらほどの大きさで、左右対称についている。
「これ、押す場所でしょうか」
「押してみますか」
「待ってください」
カイが左右のくぼみを見比べる。
「両方、同時に押す仕掛けかもしれません。一人では、両方に手が届かない」
カイが、左のくぼみに手を当てた。ミコトが、右のくぼみに手を当てた。
「同時に押しますか」
「待ってください」
カイがもう一度、手で制した。
「押したら、開くかもしれません。開いたら、戻れる準備が必要です。今日は、調べるだけと決めました」
ミコトが、手を止めた。
「……そうだった」
「危なかったです」
スズが胸をなでおろす。
「押すところでした」
「押していない」
「手が、くぼみの上にありました」
「調べていただけだ」
「カイさんが止めなかったら、押していました」
「……否定はしない」
調べるだけのはずが、二人とも手がくぼみに乗っていた。好奇心は、慎重な人間ほど油断させる。
扉の前で、しばらく考えた。
くぼみは、左右に二つ。だが、それだけで開くかどうかはわからない。もしかしたら、もっと多くの手が必要かもしれない。あるいは、くぼみを押すと同時に、別の何かをする必要があるかもしれない。
「今日は、ここまでです」
カイがくぼみから手を離す。
「くぼみが二つあること、複数で押す仕掛けらしいこと。それがわかりました。十分です」
「開けないんですか」
クロが少し残念そうな顔をする。
「開けません」
カイがクロを見た。
「クロさん、開けたいですか」
「……開けたいです」
クロが正直に打ち明ける。
「中に何があるのか、気になります」
「私も気になります」
カイが扉に目を向ける。
「でも、気になるからこそ、準備してから開けます。父は、たぶん、気になって、準備せずに開けました。そして、戻ってこなかった」
クロが、少し黙った。
「……わかりました。準備してから、開けます」
「それでいいです」
来た道を、戻った。
スズが先頭で、迷わずに進む。前回覚えた道を、体が覚えていた。ミコトが札を回収しながら、後をついていく。
外に出ると、ガンがいた。
「開けなかったか」
「開けませんでした」
カイが息をつく。
「くぼみが二つ、見つかりました。複数で押す扉のようです。でも、今日は調べるだけにしました」
ガンが、少しうなずいた。
「よく、我慢したな」
「我慢、ですか」
「気になる扉を、開けずに帰ってきた」
ガンが腕を組む。
「それは、我慢だ。開ける勇気より、開けない判断のほうが、難しい」
「クロさんは、開けたそうでした」
「開けなかっただろう」
「開けませんでした」
「なら、いい」
やりたいのを我慢できたなら、それでいい。この男の合格点は、いつも低いところに、しっかり置いてある。
三ツ辻に戻ると、夕暮れだった。
ハナが食堂から顔を出した。
「弁当は、どうしましたか」
「持ち帰りました」
スズが包みを掲げる。
「帰ってから食べると、約束したので」
「では、温かい汁があります」
ハナが戸口を広げた。
「入ってください」
全員が食堂に入った。弁当を出して、温かい汁と一緒に食べた。約束を守った者にだけ、汁が温かい。
ドウが帳簿を持ってきた。
「保存槽の扉について、報告を」
「くぼみが二つ、見つかりました」
カイが汁椀を置く。
「複数で押す扉だと思います。次は、開ける準備をして、開けに行きます」
「いつ開けますか」
「準備ができたら」
カイが指を折る。
「中に何があるかわからないので、撤退手順と、留守番体制を、もう一度確認してから」
「わかりました」
ドウが帳簿に書きつける。
「保存槽の扉を確認。複数で開ける仕掛け。開錠は準備完了後。撤退手順を再確認する」
ドウが、筆を止めて、顔を上げた。
「この一年で、禁域は、ずいぶん変わりました」
「変わりましたか」
「最初は、入ることすらできなかった」
ドウが帳簿を閉じる。
「今は、入って、調べて、戻ってくる。それが、当たり前になりました。禁域は、怖い場所から、調べて戻る仕事になりました」
夜、カイは外に出た。
草地で、ミルクとバターが眠っていた。ミルクが丸くなって、その背中にバターが乗っている。第71話の春から、変わらない景色だった。
ガンが、隣に来た。
「保存槽の中に、何があると思う」
「わかりません」
カイが眠る親子を眺める。
「父の記録には、『外を知る者』とありました。もしかしたら、誰かがいるのかもしれません」
「誰か」
ガンが繰り返す。
「神代の人間が、まだ生きているということか」
「断定はできません」
カイが夜空へ目を移す。
「でも、保存槽という言葉が、引っかかります。何かを――もしかしたら、誰かを、保存している場所かもしれない」
ガンが、空を見上げた。標塔の頂部が、夜の闇に溶けている。
「お前の父親は、そこまで知っていたのかもしれないな」
「知っていたかもしれません」
カイが静かに言った。
「だから、『外を知る者』と書いた」
バターが、寝返りを打って、ミルクの体に顔を埋めた。
「次は、扉を開ける」
「みんなで、です」
「そうだ」
三ツ辻の灯りが、静かに揺れていた。禁域は、もう怖い場所ではなかった。調べて、戻る場所だった。だが、その奥には、まだ開けていない扉がある。保存槽の扉。そして、その先に、誰かがいるかもしれない。
第一の扉は開いた。次は、もっと深い扉を、みんなで開ける番だった。




