第70話 入るかどうかを決める
評議会を開く前に、五人で話した。
評議会より先に野廻り隊の意思を揃えておかないと、会議が迷走する。それはドウが言ったことではなく、ガンが言ったことだった。会議の迷走を一番よく知っている男の言葉である。
「俺は入りたい」
ガンが真っ先に言った。
「それだけだ」
「理由は」
「理由を言えるほどわかっていない。ただ、ここまで来て引く理由もない」
「ミコト」
「入る。ただし撤退の判断は私が補助する。方角と距離を把握する。何かがあった時に外に出る道を確保する」
「リュウ」
「入ります。記録します。帰ってきてから書き起こします。必ず帰ります」
「スズ」
「入ります」
スズが即答した。
「カイさんがいるから入ります。カイさんが行くなら、私がいる方が安全です」
「理由が私頼りですね」
「カイさんが一人で行きそうだからです」
「行きません」
「今は行かないだけです」
「……それは前にも言われました」
「何度でも言いる」
スズが引かなかった。同じ台詞を何度でも投げてくる。この娘の監視には、有効期限がない。
「だから、私が行く方が正しいです」
「カイ自身は」
ガンが確認した。
「入ります」
カイの声は静かだった。
「父が行こうとして行けなかった場所です。父の記録が向かっていた場所です。次の春に、入ります」
評議会には全員が集まった。
冬に比べて人が増えていた。クロ、マタが加わり、アサが隅に座った。春の夜は少し明るく、評議会室の窓から外の草地が見えた。
カイが禁域の入口で読んだ文字を説明した。緊急閉鎖。B区画。管理者認証。血縁確認。鍵。
ドウが項目を帳簿に書いた。
「入るかどうか、というより――入る前提で、どう準備するかを話したいと思います」
ドウが帳簿から顔を上げた。
「異論がある方は言ってください」
誰も言わなかった。
「わかりました。では入る前提で進めます。ただし――ハナさん、何か」
ハナが手を挙げていた。評議会で最初に挙がる手は、たいてい食堂から挙がる。
「入るなら、弁当を持たせます」
ハナはまっすぐドウを見た。
「入った日と、帰ってきた日の夕食は私が決めます。文句は言わないでください」
「文句を言う人間がいますか」
「たぶんいません」
「ではその件は決定とします」
禁域入域の第一議決が、弁当の主導権であった。三ツ辻の議事録は、いつでもこの調子である。
「弁当が決まりたね」
「大事なことだ」
ガンがうなずいた。
「食べなければ動けない」
「反論できませんね」
「できない。全面的に正しい」
全面的に正しいものは、たいてい食事か帰り道に関わっている。ガンの中では、そう決まっているらしい。
「体のことについて、セリさんとリュウさんから話があります」
ドウが続けた。
セリが立った。
「カイさんの体に、普通より早い回復力と、古代文字の読み取り能力があります。これは父親から何らかの形で受け継いだものと考えられます。禁域の管理者認証と関係がある可能性があります。禁域に触れた時に、カイさんの体に何かが起きるかもしれない。それが危険かどうかは今のところわかりません」
「危険かもしれない、ということですか」
アサが顔を上げた。
「かもしれません。ただし、父親がカイさんのためにそれを与えたとすれば、危険にはならないように設計されているはずです。あくまで仮説ですが」
「セリさんが仮説を言うのは珍しい」
クロが小声で漏らした。
「必要な時に言います」
セリの目がそちらを向く。
「クロさん、聞こえています」
「すみません」
「ガンさんより覚えが早いだね」
スズも小声で混ぜ返した。
「師匠を基準にしていないのでは」
クロが静かに返す。
「ガンさんを基準にすると、怒鳴られてから覚えますからね」
「先に怒られると思って動くようにしています。結果として早いです」
スズは少し笑った。
「合理的ですね」
怒鳴られる前に動く。師匠の指導法を逆手に取った学習である。ガンがこの場にいたら、また唸っていたに違いない。
「異論のある方は」
ドウが全員を見た。
クワが少し間を置いた。
「危険があるなら、入った後の撤退手順を今決めておく方がいい」
低く、しかしはっきりした声だった。
「入口の文字が読めても、中に何があるかはわからない。倒れた人間を運ぶ場合の役割分担を先に決めておいた方が安全だ」
「その通りです」
ドウが帳簿に書いた。
「後で五人と一緒に確認します」
「もう一つ」
クワが指を立てた。
「入口の認証に時間がかかる場合、外で待つ人間の休憩場所と食料も確認しておいた方がいい」
「それも後で確認します」
クワは椅子に戻った。マタがうなずいた。
クワとマタは、今日で三言話した。いつもより多い。無口な二人が三言話す日は、それだけで拠点の一大事である。
「禁域に入ることで、三集落への影響はありますか」
アサが遠慮がちに聞いた。
「今のところはない、とカイさんは言っています」
ドウが答えた。カイが引き取る。
「ただし、見つかったものによっては報告が必要になるかもしれません」
「B番号の石柱が三集落周辺にも存在するので、禁域が三集落と関係している可能性があります。その時は、次の合同評議会で話す予定です」
「わかりました」
ドウが帳簿に書いた。
「三ツ辻評議会の決定として記録します。禁域候補地への入域を、三年目の春に実施する。五人全員が参加。ただし、撤退手順を事前に確認し、留守番体制は通常の外出と同じ原則を適用する。記録担当はリュウ、方向管理はミコト、安全確認は全員」
ドウが筆を止め、付け加えた。
「これはカイさん一人のことではなく、三ツ辻の判断として記録します」
カイはその言葉を聞いた。三ツ辻の判断。
最初は一人で抱えていた。父の記録、石柱の文字、B番号。ガンに話してから、全員が知っている。あの夜に、調べることが「拠点の仕事の一部」になった。そして今、禁域への入域が「三ツ辻の判断」として記録に残る。
一人の謎が、ここの仕事になった。
「ありがとうございます」
「礼は言わなくていい」
「毎回言うな、と言われましたが、言います」
「……まあいい」
評議会が終わった後、ハナが残った全員に茶を配った。
「明日から弁当の中身を考えます」
湯気の立つ椀を配りながら続ける。
「長時間保つもの、軽いもの、食べやすいもの。リクエストがあれば今日中に言ってください」
「何でも食べます」
「そういう返事は参考になりません。好き嫌いがあるんですか」
「ないです」
「なら一番食べやすいものを選びます。スズさんは」
「温かいものがいいです」
「温かいものは持ち歩きで冷めます」
「では冷めても美味しいものを」
「それはもともとそうするつもりです」
「じゃあ決まりですね」
「聞いた意味がなかったです」
ハナが少し笑った。リクエストを聞いても、結論は最初から鍋の中にある。この食堂で意見を求められた時は、たいてい答えが決まっている。
夜、評議会室にカイとドウが残った。
今日の議決が新しく壁に貼られた。
一枚目――ミルクの行動範囲について。
二枚目――移住者の受け入れ基準について。
三枚目――外への行動の原則について。
四枚目――禁域候補地への入域について。
「増えましたね」
「増えました」
ドウが壁を見上げた。
「最初の議決がミルクの行動範囲だったのに」
「ミルクから始まって、禁域まで来ました」
議決の並びだけを見れば、この拠点は草毛獣の散歩から世界の秘密へと、地続きに歩いてきたことになる。歴史の始まりは、たいてい間が抜けている。
「記録というのは、後から読むと面白いものです」
ドウの声は少しやわらかかった。
「最初の頃、こんなことになるとは思っていなかった。でも全部つながっている」
「つながっていますね」
「カイさん」
「はい」
「帰ってきてください」
ドウがまっすぐ見た。
「帰ってきたら、また記録が増えます」
カイはうなずいた。
「帰ってきます」
窓の外で、ミルクが夜の草地を歩いていた。壁の議決が四枚に増えても、一枚目の主役は今夜も草を踏んでいる。




