第68話 禁域の入口を読む
禁域候補地に着いたのは、出発から二日目の午後だった。
前回と同じ道を、今回は目印と音響罠を確認しながら進んだ。第三箇所の罠の縄が新しくなっていた。クロが替えた跡だった。ガンが指で触れる。
「ちゃんと締まっている」
「クロさんに伝え?」
「帰ってから言う」
「クロさん、今頃拠点でガンさんの感想を待っていると思います」
「待たせておけ。帰ってから言う方が本人に届く」
「ガンさん、ちゃんと考えていますね」
「うるさい。先を急ぐぞ」
褒め言葉を寝かせてから届ける。師匠の照れ隠しにも、一応の理屈がついている。それだけ言って、先へ進んだ。
針鼠狼の縄張りを音響罠で押さえながら越えた。前回より静かだった。縄張りが少し縮んでいる。
「罠の効果が続いている」
ガンが低く言った。
森の奥の空き地に、構造物があった。
前回見た時と変わっていなかった。崩れかけた形で、石柱と同じ素材の壁が三面残っている。入口らしき開口部は塞がれていた。大きさは石柱の十倍以上、天井があった時の高さは人の身長の三倍程度ではないかとミコトは計算していた。
全員が止まった。
森の空気は冷たかった。春だが、木が密でここまで光が届かない。石柱と同じ灰色の金属光沢が、薄暗い光の中でかすかに見えた。
カイが塞がれた開口部に近づいた。
塞がれ方を確認した。内側から押されたような跡がある部分と、外から埋め込まれたような跡がある部分が混在していた。どちらが先かわからないが、二度にわたって封印されたような形だった。
「中から塞いだ跡と、外から塞いだ跡の両方があります」
「誰が塞いだん?」
「わかりません」
「中から塞いだのは中にいた人間で、外から塞いだのは外にいた人間ですか」
「そうなりますね」
「じゃあ、中と外から両方塞いだ。なぜ?」
誰も答えられなかった。リュウがノートに書いていた。ミコトが入口の寸法を目測した。ガンが周囲の地面を見て、足跡がないことを確認した。問いだけが、冷たい空気の中に残った。
開口部の縁に、刻み目があった。
前回は遠目にしか見ていなかったが、今日は近い。カイがランタンを持ち寄せて、光の角度を変えた。刻み目は細かく、表面の劣化がほとんどない。神代から幾星霜を経ても、刻んだ日と同じ深さで残っている。
文字を追った。
ゆっくりと、形が頭に入ってきた。父から見せてもらったものと同じ形のものもある。初めて見る形もある。意味が浮かぶものと、まったくわからないものがある。
「読めますか」
リュウが小声で聞いた。
「少し」
カイの目が刻み目を追う。
「断片的に」
全員が静かに待った。
「……緊急閉鎖」
声が慎重になった。
「それから、B区画、という言葉。それから――」
止まった。
「それから」
「管理者認証、という言葉が続いています」
「管理者認証」
ガンが繰り返した。
「何だそれは」
「わかりません」
「でも読めたんですよね」
「読めたけど、理解できません」
「つまり、ドアが開かない」
「そうです」
読めるのに開かない。文字の意味はわかっても、扉の開け方はわからない。世の中で一番もどかしい種類の「わかった」であった。
「認証というのは、確認するということ?」
スズが指を折りながら考える。
「誰かが確認する。誰かが正しいかどうかを判断する。正しければ入れる」
「そういう意味だと思います」
「誰が確認するんですか。その管理者というのは、今もここにいるんですか」
「……わかりません」
「記録します」
リュウがノートに書きつけた。
「緊急閉鎖。B区画。管理者認証。この三つが入口に書いてある。つまり何らかの緊急事態があり、B区画を閉鎖した。入るには管理者の確認が必要。この順番で読んでいいですか」
「その読み方で合っています」
「では――誰かが、B区画をわざと閉めた」
「そうなります」
「なぜ閉めたかはわからない」
「わかりません」
ミコトが入口の右側を指した。
「別の刻み目があります。文字ですか」
カイが近づいた。ランタンを当てた。小さく刻まれた、別の文字列があった。入口の主要な文字より細かく、最初は見落としていた。
読んだ。
浮かんだ。
「血縁確認、という言葉があります。それから、鍵」
「鍵」
ガンが眉を寄せた。
「物理的な鍵か」
「どちらの意味かはわかりません。それとも――」
カイは止まった。父の記録の中に、「認証」「鍵」「血縁」という言葉があったことを思い出した。ばらばらに書かれていた断片が、今、同じ場所に集まっている。
「カイさん」
スズが顔を覗き込んだ。
「顔色が変わってる」
「変わっていますか」
「変わっています」
「父の記録に、同じ言葉があります。血縁、鍵、認証。父は、この文字を読んでいた」
森が静かだった。木の葉がわずかに揺れた。
「お父さんは、どこまで来たんだろう」
「ここまで来たかもしれない。それとも、別の禁域か」
「わかりますか」
「今はわかりません」
帰り道、ミコトが口を開いた。
「血縁確認という言葉について」
「どう思いますか」
「カイさんの体の特異性と関係があるかもしれない。古代文字が読めるのも、体の特異性も、父親から受け継いだものだとすれば――鍵というのが、体の中にあるかもしれない」
「……そう考えていますか」
「仮説です。証拠はない。ただし、矛盾しない」
「お前が仮説を言うのは珍しい」
ガンが横から言った。
「矛盾しない仮説は言っていい」
「ロマンがないだね」
「あります」
スズが少し驚いた顔をした。ミコトの口から出た「ある」は、なかなか聞けない部類である。
「ただし今は精度の方が重要なので、ロマンは保留にしています」
「保留って言い方がまたロマンないですね」
「ロマンと精度を同時に持つ時間は、今ではない」
「……いつですか」
「入れた後だ」
「では、入ったら聞かせてください」
「その時になったら考える」
ミコトのロマンは、口座に預けられた。引き出せるのは禁域に入った後。利子がつくかどうかは、本人も言わない。
カイは歩きながら考えた。血縁確認。鍵。管理者。父がここに来ていたとすれば、父もこの文字を読んでいた。父がわかったことと、わからなかったことが何かあった。
「帰ったら」
カイが前を向いたまま言った。
「リュウとセリに相談します」
「体のことですか」
「そうです」
「喜んで、という言葉は使いません。必要な確認として聞きます」
「ありがとうございます」
「お礼も言わなくていいです。仕事です」
「リュウさん、今日は落ち着いてる」
スズが感心したように言った。
「禁域の前では、落ち着く方が正しいとわかりました」
「成長しましたね」
「ツキさんに言ってください」
「今度ハラダに行った時に言います」
森を抜けた。草地の風が顔に当たった。前方に目印の杭が見えた。帰り道が続いていた。




