↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
57/110

第57話 禁域という言葉

 翌日から、禁域の情報を整理する作業が始まった。


 父の記録。ナルセから聞いた話。B番号の地図。三ツ辻周辺の地形の記録。これらを食堂の大きなテーブルに広げて、五人で一つ一つ確認した。


 リュウが整理を担当した。「情報を種類別に分けます」と紙を並べる。「父親の記録から読み取れるもの、ナルセさんから聞いた話、地図から推測できるもの——それぞれ別にします。混ぜると混乱する」


「やれ」


「やります」


 リュウが分類を始めた。見落としを恐れて項目を増やす男だが、こと分類の緻密さにかけては、この場に代えがいない。



 一時間かけて整理が終わった。


「禁域は一か所ではないと思われます」


 リュウが分類した紙を示した。「父親の記録に『禁域』という言葉が三回出てきます。それぞれ違う場所を指しているように読める。どれが三ツ辻周辺の禁域を指しているか、まだ確定できていない」


 そのうち一つは「南東遠路」と読める断片の横にあり、ユズキが話した遠方のB番号と方向だけが近かった。別の一つには「北の乾いた谷」とあり、三ツ辻周辺の地形とは合わなかった。


「三か所ある、ということか」


「少なくとも三か所以上。もっとある可能性もあります」


「禁域って何?」


 スズが紙を覗いた。「伝承として『行ってはいけない』とは知っているが、なぜ行ってはいけないのかは知らない。理由が伝わっていない」


「理由が伝わっていないのは、理由を知っている人間がいないからです」


 リュウが顔を上げた。「伝承だけが残った。理由が消えた。それはなぜかというと——最初に『行ってはいけない』と言った人間が、理由を言わなかったか、言えなかったか、あるいは理由を知る人間が全員いなくなってしまったか」


「リュウさん、記録しながら聞いていましたよね」


「しています」


 リュウが筆を止めない。「聞きながら書けます。訓練しました」


「いつ訓練したんですか」


「野廻りで移動しながら記録するのと同じです。手と耳と頭を別々に動かす」


「それが全部できる人だったんだね」


 スズがにやりとした。「ガンさんに言いましょうか。リュウさんが新しい技術を習得したと」


「それはやめてください」


 リュウが手を止めた。「また荷物の話になります」


 新しい技術の習得も、リュウにかかれば荷物増量の口実になりかねない。本人がいちばんそれを恐れている。


「父親のメモにはどう書いてありますか」


 ミコトが問うた。


 カイが紙の一行を指で押さえた。「『禁域の中には、外を知る者がいる可能性がある』という一文があります」


 全員が黙った。風が扉を一度揺らした。



「外を知る者、というのは何?」


「わかりません」


 カイが一文を見つめた。「でも父親がそう書いた。外を知る者が禁域の中にいる——もしそれが本当なら、禁域は単に危険な場所というわけではない。何かがいる場所、あるいは誰かが意図的に守っている場所かもしれない」


「誰かが守っている」


 ガンが眉を寄せた。「父親を止めた可能性がある人間と関係があるか」


「わかりません。でも繋がりが全くないとも言えない」


「じゃあ、これはただの謎解きじゃなくなってきているな」


 ガンの声は静かだった。


「そうです」


 スズがガンを見た。「ガンさんは今、どういう顔をしているんですか」


「どんな顔をしているんだ」


「怖い顔をしています。でもいつもの怖い顔と少し違う。いつもは何かを制御している顔をしている。今は——制御より前の、ただ怒っている顔です」


「……そうか」


 ガンは否定しなかった。


「誰に怒っているんですか」


「わからん」


 ガンが低く続けた。「カイの父親をどうにかしようとした人間がいるとすれば——そこに向いている」


 スズが「そう?」と少し間を置いた。「私もです」



 一度、話が止まった。


 外で風が吹いて、食堂の木の扉が少し揺れた。


 その時、ミルクが扉の隙間から入ってきた。


 普通に歩いてきて、テーブルの下の草のある場所に向かった。いつも通りの動きで、いつも通りの速度で、何も気にしていない様子で、食べ始めた。


「……今入ってきた?」


「ミルクはいつも良いタイミングで入ってくる」


「空気を読んでいる」


「読んでいない」


 ガンがミルクを見た。「食べたいから来た。それだけだ」


「ミルク、今の話を聞いていた?」


 ミルクが草を食んだ。


「聞いていませんよね」


「聞いていません(草を食む)」


「ですよね」


 全員が少しだけ笑った。張り詰めていた気持ちが、白い草毛獣一頭で、少し軽くなった。ミルクは何も知らない。何も知らないまま、いちばん重い場面にだけ、いつも現れる。


「スズがミルクに話しかける時に使う声は、仲間に話しかける声と少し違う」


 ガンが腕を組んだ。


「……どう違う?」


「少し高くなる。ミルクが来るとわかった瞬間から、すでに声が変わっている。お前が次に何をするか、最近だいたいわかってきた」


「それは——」


 スズが少し間を置いた。「怖いんだね」


「止める準備ができる」


 ガンが口の端を上げた。「お前が動く前に、こっちが先に手が打てる。ありがたいと思え」


「……ありがとうございます」


 スズが少し悔しそうに言った。観察される側に回ると、途端に分が悪い。



「整理します」


 カイがテーブルに手を置いた。「今わかっていることと、次にやること」


 リュウが紙を準備した。


「わかっていること。B番号の構造物が三ツ辻周辺と外の道に複数存在する。B-7、B-6が確認済み、父の記録ではB-4が南南西にある。ユズキさんは南東の遠方で、末尾不明のB番号を見ている。標塔と同じ素材を使っている。父親がこれらを調査していた。禁域が複数存在する。三ツ辻周辺にも一か所あると思われる。父親の死の前年に調査が中断している」


「次にやること」


 ミコトが続けた。「南南西の標塔に接近して刻み目を確認する。禁域の候補地を絞り込む。針鼠狼の縄張りを越える準備を整える」


「優先順位は」


 ドウが筆を取った。


「まず標塔の確認」


 カイが指を一本立てた。「それが終わったら禁域への接近。順番にやります。一度に全部しようとしない」


「わかりました」


 ドウが帳簿に書いた。「来月の巡回予定に標塔確認を入れます」



 夜になった。


 一人ずつ部屋に戻っていった。最後にカイとガンが食堂に残った。


「お前、ずっとこれを持ちながら拠点の仕事してたんだな」


 以前にも同じことを言われた。


「続いていますね」


「今日も続いた。父親の死が事故じゃないかもしれないというところまで来た」


「そうです」


「重い荷だ」


「重いかどうかはあまり考えていません。知りたいから調べています。それだけです」


「お前らしい」


 ガンが小さく息をついた。「重さで測らない」


 焚き火が落ち着いてきた。細い炎が静かに燃えている。


「ガンさんはなぜ一緒に調べるつもりでいるんですか」


「前に言ったとおりだ」


 ガンが炎に目を落とした。「お前が見つけようとしているものは、俺たちにも関係あるかもしれない。この世界に住んでいる全員に」


「今もそう思っていますか」


「ますますそう思っている。外部環境制御とか、禁域とか——そういうものがこの世界にある。住んでいる俺たちが知らなくていいとは思えない」


 カイが少し間を置いた。「ありがとうございます」


「礼を言うな。仕事だ。拠点の仕事の一部として調べると言った。変わっていない」


 ガンが立ち上がった。「見張りを替わってくる。お前は寝ろ」


「わかりました」


 ガンが扉を開けて出て行った。


 カイが父の記録の紙を折りたたんで布袋に戻した。


 禁域という言葉が、頭の中に残っていた。行ってはいけない場所。なぜいけないのか、誰も知らない。でも父は近づこうとしていた。そして死んだ。


 カイは父が行こうとした先に、自分も行くつもりだった。ただしいつかは、ではなく——準備が整ったら。


 翌朝には、標塔確認に出る人数、測量縄、拓本用の薄紙、刻み目を照らす油灯、針鼠狼除けの音響具を一つずつ揃えることになる。誰が行き、誰が残るかも、評議会で決める必要があった。


 外の草地で、ミルクが夜の草を食んでいた。秋の終わりの冷たい風が、三ツ辻の柵を静かに揺らした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。