第57話 禁域という言葉
翌日から、禁域の情報を整理する作業が始まった。
父の記録。ナルセから聞いた話。B番号の地図。三ツ辻周辺の地形の記録。これらを食堂の大きなテーブルに広げて、五人で一つ一つ確認した。
リュウが整理を担当した。「情報を種類別に分けます」と紙を並べる。「父親の記録から読み取れるもの、ナルセさんから聞いた話、地図から推測できるもの——それぞれ別にします。混ぜると混乱する」
「やれ」
「やります」
リュウが分類を始めた。見落としを恐れて項目を増やす男だが、こと分類の緻密さにかけては、この場に代えがいない。
一時間かけて整理が終わった。
「禁域は一か所ではないと思われます」
リュウが分類した紙を示した。「父親の記録に『禁域』という言葉が三回出てきます。それぞれ違う場所を指しているように読める。どれが三ツ辻周辺の禁域を指しているか、まだ確定できていない」
そのうち一つは「南東遠路」と読める断片の横にあり、ユズキが話した遠方のB番号と方向だけが近かった。別の一つには「北の乾いた谷」とあり、三ツ辻周辺の地形とは合わなかった。
「三か所ある、ということか」
「少なくとも三か所以上。もっとある可能性もあります」
「禁域って何?」
スズが紙を覗いた。「伝承として『行ってはいけない』とは知っているが、なぜ行ってはいけないのかは知らない。理由が伝わっていない」
「理由が伝わっていないのは、理由を知っている人間がいないからです」
リュウが顔を上げた。「伝承だけが残った。理由が消えた。それはなぜかというと——最初に『行ってはいけない』と言った人間が、理由を言わなかったか、言えなかったか、あるいは理由を知る人間が全員いなくなってしまったか」
「リュウさん、記録しながら聞いていましたよね」
「しています」
リュウが筆を止めない。「聞きながら書けます。訓練しました」
「いつ訓練したんですか」
「野廻りで移動しながら記録するのと同じです。手と耳と頭を別々に動かす」
「それが全部できる人だったんだね」
スズがにやりとした。「ガンさんに言いましょうか。リュウさんが新しい技術を習得したと」
「それはやめてください」
リュウが手を止めた。「また荷物の話になります」
新しい技術の習得も、リュウにかかれば荷物増量の口実になりかねない。本人がいちばんそれを恐れている。
「父親のメモにはどう書いてありますか」
ミコトが問うた。
カイが紙の一行を指で押さえた。「『禁域の中には、外を知る者がいる可能性がある』という一文があります」
全員が黙った。風が扉を一度揺らした。
「外を知る者、というのは何?」
「わかりません」
カイが一文を見つめた。「でも父親がそう書いた。外を知る者が禁域の中にいる——もしそれが本当なら、禁域は単に危険な場所というわけではない。何かがいる場所、あるいは誰かが意図的に守っている場所かもしれない」
「誰かが守っている」
ガンが眉を寄せた。「父親を止めた可能性がある人間と関係があるか」
「わかりません。でも繋がりが全くないとも言えない」
「じゃあ、これはただの謎解きじゃなくなってきているな」
ガンの声は静かだった。
「そうです」
スズがガンを見た。「ガンさんは今、どういう顔をしているんですか」
「どんな顔をしているんだ」
「怖い顔をしています。でもいつもの怖い顔と少し違う。いつもは何かを制御している顔をしている。今は——制御より前の、ただ怒っている顔です」
「……そうか」
ガンは否定しなかった。
「誰に怒っているんですか」
「わからん」
ガンが低く続けた。「カイの父親をどうにかしようとした人間がいるとすれば——そこに向いている」
スズが「そう?」と少し間を置いた。「私もです」
一度、話が止まった。
外で風が吹いて、食堂の木の扉が少し揺れた。
その時、ミルクが扉の隙間から入ってきた。
普通に歩いてきて、テーブルの下の草のある場所に向かった。いつも通りの動きで、いつも通りの速度で、何も気にしていない様子で、食べ始めた。
「……今入ってきた?」
「ミルクはいつも良いタイミングで入ってくる」
「空気を読んでいる」
「読んでいない」
ガンがミルクを見た。「食べたいから来た。それだけだ」
「ミルク、今の話を聞いていた?」
ミルクが草を食んだ。
「聞いていませんよね」
「聞いていません(草を食む)」
「ですよね」
全員が少しだけ笑った。張り詰めていた気持ちが、白い草毛獣一頭で、少し軽くなった。ミルクは何も知らない。何も知らないまま、いちばん重い場面にだけ、いつも現れる。
「スズがミルクに話しかける時に使う声は、仲間に話しかける声と少し違う」
ガンが腕を組んだ。
「……どう違う?」
「少し高くなる。ミルクが来るとわかった瞬間から、すでに声が変わっている。お前が次に何をするか、最近だいたいわかってきた」
「それは——」
スズが少し間を置いた。「怖いんだね」
「止める準備ができる」
ガンが口の端を上げた。「お前が動く前に、こっちが先に手が打てる。ありがたいと思え」
「……ありがとうございます」
スズが少し悔しそうに言った。観察される側に回ると、途端に分が悪い。
「整理します」
カイがテーブルに手を置いた。「今わかっていることと、次にやること」
リュウが紙を準備した。
「わかっていること。B番号の構造物が三ツ辻周辺と外の道に複数存在する。B-7、B-6が確認済み、父の記録ではB-4が南南西にある。ユズキさんは南東の遠方で、末尾不明のB番号を見ている。標塔と同じ素材を使っている。父親がこれらを調査していた。禁域が複数存在する。三ツ辻周辺にも一か所あると思われる。父親の死の前年に調査が中断している」
「次にやること」
ミコトが続けた。「南南西の標塔に接近して刻み目を確認する。禁域の候補地を絞り込む。針鼠狼の縄張りを越える準備を整える」
「優先順位は」
ドウが筆を取った。
「まず標塔の確認」
カイが指を一本立てた。「それが終わったら禁域への接近。順番にやります。一度に全部しようとしない」
「わかりました」
ドウが帳簿に書いた。「来月の巡回予定に標塔確認を入れます」
夜になった。
一人ずつ部屋に戻っていった。最後にカイとガンが食堂に残った。
「お前、ずっとこれを持ちながら拠点の仕事してたんだな」
以前にも同じことを言われた。
「続いていますね」
「今日も続いた。父親の死が事故じゃないかもしれないというところまで来た」
「そうです」
「重い荷だ」
「重いかどうかはあまり考えていません。知りたいから調べています。それだけです」
「お前らしい」
ガンが小さく息をついた。「重さで測らない」
焚き火が落ち着いてきた。細い炎が静かに燃えている。
「ガンさんはなぜ一緒に調べるつもりでいるんですか」
「前に言ったとおりだ」
ガンが炎に目を落とした。「お前が見つけようとしているものは、俺たちにも関係あるかもしれない。この世界に住んでいる全員に」
「今もそう思っていますか」
「ますますそう思っている。外部環境制御とか、禁域とか——そういうものがこの世界にある。住んでいる俺たちが知らなくていいとは思えない」
カイが少し間を置いた。「ありがとうございます」
「礼を言うな。仕事だ。拠点の仕事の一部として調べると言った。変わっていない」
ガンが立ち上がった。「見張りを替わってくる。お前は寝ろ」
「わかりました」
ガンが扉を開けて出て行った。
カイが父の記録の紙を折りたたんで布袋に戻した。
禁域という言葉が、頭の中に残っていた。行ってはいけない場所。なぜいけないのか、誰も知らない。でも父は近づこうとしていた。そして死んだ。
カイは父が行こうとした先に、自分も行くつもりだった。ただしいつかは、ではなく——準備が整ったら。
翌朝には、標塔確認に出る人数、測量縄、拓本用の薄紙、刻み目を照らす油灯、針鼠狼除けの音響具を一つずつ揃えることになる。誰が行き、誰が残るかも、評議会で決める必要があった。
外の草地で、ミルクが夜の草を食んでいた。秋の終わりの冷たい風が、三ツ辻の柵を静かに揺らした。




