第52話 外の集落のこと、ユズキのこと
三日目の昼前に、小さな集落の前を通った。
十棟ほどの小屋が集まって、周囲に低い木の柵があった。柵の作り方が三ツ辻に似ていたが、三ツ辻より古く、修繕の跡が重なっている。畑はあった。井戸もあった。しかし人の気配が少ない。柵の中で働いている人間が数人見えたが、外に出てくる様子はなかった。
「ここには立ち寄りますか」
カイがサリムに聞いた。
「いいえ」
サリムが柵に目をやった。「ここは隊商を歓迎しない集落です。かつてよくない取引があったらしく、外から来る人間を避けています。押しかけると問題になる」
「そうですか」
「三ツ辻に連絡できる人間も、ミナシロに連絡できる人間もいない。ここで何か問題が起きても、助けを呼べない。そういう集落が外にはある」
スズがその集落の方を見ながら歩いた。柵の中の人影の一人が、道を歩く一行を遠くから見ていた。目が合った気がした。スズが小さく手を振った。人影は動かなかった。
「ここの人たちは助けを頼む先がないん?」
スズがカイに小声で言った。
「今の私たちの仕事の外です」
カイも柵を見た。「でも、覚えておきましょう」
スズはその後もしばらく振り返った。低い柵の内側で動かなかった人影が、屋根の陰に半分隠れたまま、こちらを見ているのが見えた。
手を振り返さなかったことより、助けを呼ぶ先がないかもしれない場所が実際にあることの方が、胸に残った。
その午後、道の前方に人影があった。
一人だった。背嚢を背負い、手に細い杖を持っている。歩き方が慣れていた。旅慣れた人間の歩き方だった。こちらに向かって歩いてきていて、サリムの一行を見ると道の端に寄って通してくれた。
「サリム、久しぶりです」
女性の声だった。サリムが立ち止まった。「ユズキか。こっちに来ていたのか」
「少し寄り道をしていました」
女性が杖を持ち直した。「南からの帰り道です。一緒に北に戻ってもいいですか」
旅商人らしい格好をした女性だった。年齢は二十代の後半か三十代の初めくらい。日焼けした顔で、目が細く、物事をよく観察している印象がある。背嚢は大きかったが、背負い方が上手くて重さを感じさせない。腰に記録用らしき小さな手帳と筆入れが下がっていた。
「野廻り隊の方たちと一緒ですか」
ユズキがサリムに言いながら、四人を見た。
「護衛を頼んでいる。三ツ辻という拠点の」
「三ツ辻」
ユズキが言った。「聞いたことがあります。ミナシロ方面の先にある、変わった拠点だと」
「変わっているかどうかはわからない」
スズが横から言った。
「そうですか。外から聞くと変わって見えます」
ユズキがスズの装備を見た。袖と裾の折り返し、脚絆の巻き方を、目の動きで一秒で確認した。「軽装ですね。走ることが仕事ですか」
「斥候なので」
「ここの斥候は斥候っていう格好をしているんですね」
感心した口調だった。「わかりやすくていい。外からひと目でわかる」
「そういう見え方をしますか」
「見えます。とてもわかりやすい。装備を見れば役割がわかる設計になっている。珍しい集団ですね」
この女、会って一分で三ツ辻の設計思想を見抜いた。
リュウが身を乗り出した。「僕はどう見えますか」
ユズキがリュウに目を移した。「研究者、でしょうか。荷物の中にノートが多い。採集道具もある。手が黒い——墨か土か。記録と採集を同時にやる人間」
「当たっています」
リュウが顔をほころばせた。当てられて喜ぶあたり、研究者は当てられたがりである。
「カイさんは」
スズが指を向けた。「外から見るとどう見え?」
ユズキがカイを見た。目が、しばらく止まった。「……判断が難しい。指揮官でもある。でも決定を押しつけない。記録もしている。役割を一言で言いにくい」
「言いにくいよね」
スズがうなずいた。
「カイさんって、そういう感じの人なんですか」
「カイさんだと思う」
スズは当然のように言った。カイをカイと説明する。それ以上の言葉を、スズは持たない。
その日の夕方、サリムが「この先に目的地があります。明日届けを終えたら、北に戻ります」と言った。ユズキが「私も同じ方向です。同行させてもらいます」と言い、サリムが「構わない」と言った。
野営の準備をしながら、カイがユズキの荷を見た。記録用の道具が多い。手帳の類が数冊、計測用らしい道具、採集用の小さな袋。
三ツ辻の日誌は拠点の中で増えた記録だった。ユズキの道具は、道の上で増えた記録だった。持ち歩くために、小さく、取り出しやすく整理されている。
「記録が仕事ですか」
カイが道具に目をやった。
「商品を記録することも仕事ですが——それだけではないです」
ユズキが手帳を指で撫でた。「旅の途中で見たものを記録するのが習慣になっています」
「何のために」
「後で使えることがあるので」
「役立てる相手がいる時に、渡せるように」
「誰に渡すんですか」
「場合によります」
ユズキの答えはあいまいだった。それ以上は、言わなかった。曖昧な答えを曖昧なまま置いていく人間には、置いていくだけの理由がある。
夜の焚き火のそばで、サリムの人員が荷の整理をしていた。四人とユズキが火を囲んで座った。
「三ツ辻というのはどういう場所ですか」
ユズキが火に手をかざした。「聞いた話では、野廻り隊が拠点を持っていて、三集落の中間に位置していると。それだけ聞くと普通の中継所ですが」
「普通の中継所です」
「でも普通の野廻り隊は護衛の仕事で地図の外には出ないですよね」
「そうです。私たちは少し変わっているので」
「少し、というのが謙虚ですね」
スズが枝を折った。「三ツ辻には評議会がある」
「拠点の中に、みんなで決める会議の仕組みがある」
「野廻り隊の拠点に評議会があるんですか」
「なんとなくできました」
「なんとなく、というのがまた謙虚ですね」
この女、「謙虚ですね」を数える係でもいるのだろうか。
ユズキが四人を見回した。「あなたたちはいつもこういう感じなんですか。外から来た人間が話しかけても、すぐに普通に答える。警戒しないんですか」
「しています」
カイが火を見た。「でも話せる人間には話します」
「判断が早い」
「スズが早い」
「最初に話したのはスズです。私はその後です」
ユズキがスズを見た。スズが「外に来た時、警戒と観察は別にしています。話しかけることは観察の一部です」と応じる。
「旅慣れた判断ですね」
「ガンさんに教わった」
二度目の名前だった。ユズキはまだ会っていない人間だと気づいているらしく、「ガンというのは」と眉を上げた。
「今は三ツ辻に残っている方です。この旅の留守番をしてる」
「その方が来なかったのはなぜですか」
「拠点を守る方が本来の仕事だから、と言っていた」
スズが火を見た。「……本当は来たかったと思いますが、言わなかったです」
「言わないんですか」
「言わない人なんです」
ガンという人間の説明は、いつだって「言わない」で終わる。
「ガンさんって」
「記録はしている? 評議会の」
「しています。帳簿と日誌がある」
「どちらもですか。それは珍しい。帳簿か日誌のどちらか一方だけの場所が多い。両方持っている場所は、精巧な記録体制を持っていることになる」
「ドウという管理者がいます。その人が——」
カイが言いかけ、少し考えてから言い直した。「カイさんの日誌に倣って、と言っています」
「あなたが先に日誌を始めたんですか」
「いろいろあって」
カイが火を見た。「なんとなく書いていたものが、今の体制の元になっています」
ユズキが少し間を置いた。手帳に何か書いた。「……三ツ辻、見てみたいですね。帰り道に寄っていいですか。サリムさんの一行とは別行動になりますが」
「構いません」
カイがうなずいた。「泊まれる場所があります」
「それも珍しい。野廻り隊の拠点に宿泊設備がある」
「去年作りました。隊商が来るようになってから」
「なぜ作ったんですか」
「来る人間が増えたので」
カイが続けた。「来る人間に屋根を提供するのが、中継所の仕事だと思ったので」
ユズキが手帳に何か書いた。「行きます」「三ツ辻に」
翌日、サリムの一行が目的地に着いた。
小さな集落だった。隊商の荷を待っていた人間が数人いて、荷の受け渡しが始まった。カイたちは周囲を確認しながら待った。
集落の人間がこちらを見た。三ツ辻の服装を見て、「野廻りの方?」と聞いてきた。「はい」とスズが答えた。「どこの集落の」と聞かれ、「三ツ辻という拠点から来た」と答えると、「三ツ辻? 聞いたことがない」と言われた。
スズが「ミナシロ方面から少し外れた先です。三集落の中間にある拠点です」と説明しようとして、カイが「今は荷の護衛の仕事があります。ゆっくり話せる状況ではないので」と言って、スズに小声で「後で」と言った。
スズが集落を振り返った。「あの人たちに説明したかったです」
「三ツ辻のことを知らなかったから」
「次に来る時に説明できます」
カイが歩を進めた。「今日知らなくても、次に来た時に知っていれば、知っている場所になる」
「次に来るんですか、ここに」
「かもしれない。サリムさんが次回も護衛を頼むなら」
スズが集落の方向を振り返った。「ここの人たちも、助けを頼む先がない、とは言い切れないかもしれないですね。隊商が来ている。隊商を通じて、誰かに繋がれる」
「そうです」
「あの小集落は隊商を避けていた。この集落は隊商を待っていた。同じ外にある集落でも、違う」
「見えてきたものがありますね」
スズが「少し」とうなずいた。「少しずつ、地図の外のことが見えてきた気がする」
地図の外は、思っていたより普通で、思っていたより複雑だった。草地は草地、空は空。だが、そこに住む人間の事情は、集落ごとに全部違った。




