第49話 隊商護衛の依頼が来た
秋の終わりに、サリムが来た。
馬三頭、荷運びの人員五人。銀縄隊のリーダーである。三ツ辻に立ち寄るたびに顔が少し増え、荷が少し増え、挨拶の仕方が「通りすがりの隊商」から「知っている場所に来た人間」のものに変わっていた。今日は馬を繋ぐ場所を自分で知っていて、ドウに確認を取る前にそこへ繋いでいた。もはや半分、住人である。
五人のうち、ナムという若い男には癖があった。馬が一歩動くたびに荷綱の結び目を指で確認する。サリムに「そこはもう締まっている」と言われても、指は止まらない。
「道の外に出るので」
それだけ返して、また結び目を確かめた。地図の外という場所は、若い荷運びの指先を、そういうふうにさせるものらしい。
「また来ました」
サリムが片手を挙げた。
「ありがとうございます」
ドウが荷に目をやった。「今日は荷が多いですね」
「そうです。ミナシロとカネヅカに届けるものがある。それが終わったら——折り入って相談したいことがある」
「相談、ですか」
「仕事の話です。急ぎではないので、荷の確認が終わった後で」
サリムはそう言って、人員と一緒に荷の整理を始めた。ドウが「夕食は出ます」と伝えると、「ありがとう」と短く返ってきた。用件を後回しにする人間は、たいてい用件が重い。
夕食の後、食堂に残ったのはサリムとカイとドウと、ガンだった。
リュウはミルクが外に出たと聞いて追いかけていって、戻ってこない。スズとミコトは夜の見張りに出ている。話の場に、いちばん静かな面子が残った格好である。
「ミナシロ方面の街道の先が、荒れてきた」
サリムが地図を広げ、指で示した。三ツ辻からミナシロ方面へ下り、そこからさらに南東へ向かう道。三ツ辻の地図にも載ってはいるが、その先は「道があるらしい」という程度の情報しかない。
「荒れている、というのは」
カイが顔を上げた。
「獣です。大型の獣が道を使うようになっている。先月、先行した人員が跡を見つけた。足跡の大きさからして、鎌爪竜より大型の個体です。そうでなければ、私の知らない種の獣か」
「足跡だけですか」
「いいえ。荷車の側板より高い位置の枝が折れていた。古い荷車に、五本の爪でこすったような跡もあった。姿は見ていないが、道を使っているのは確かです」
「三ツ辻の地図には出ていない獣ですか」
「そうです。ミナシロ方面の先は、あなた方の野廻りの範囲外でしょう。そこで起きていることは、私たちにもわからない」
サリムが言葉を続けた。
「その道は私たちの主要ルートの一つです。迂回すると四日余分にかかる。四日分の食料と水、それから人員の足への負荷——四日は小さいようで大きい」
「護衛を頼みたい、ということか」
ガンが卓に肘をついた。
「そうです」
率直な返事だった。「三ツ辻の野廻り隊は、今年カネヅカの廃坑の問題を解決した。あれを聞いて、外の隊商の間で話が広まっています。護衛を頼めるところを探していたところ、あなた方が一番信頼できると判断しました」
評判というものは、本人の知らないところで一人歩きする。三ツ辻が煙で鎌爪竜を追い払っている間に、その話は道を越え、隊商の焚き火を渡り、こうして戻ってきた。
その夜、全員が食堂に集まった。
スズとミコトが見張りから戻り、リュウがミルクを連れて帰ってきた。
「捕まりました」
「捕まえたんですか」
「いいえ、ミルクが戻ってきた」
「それは捕まえてないです」
誰が誰を捕まえたのかは、この際どうでもいい。サリムの依頼をドウが説明した。
「ミナシロ方面の街道の先、というのは三ツ辻の地図の外ですね」
リュウが身を乗り出した。目が輝いている。「地図の外に出るんですか」
「初めてです」
少し間があった。
「行く、という前提で話し?」
スズが眉を寄せた。
「行けるかどうかを考えてからにしましょう」
カイが一同を見た。「まず確認することがある。拠点から全員が出ることはできない。誰かが残る必要があります」
「それは私が残ります」
ドウが即座に応じた。「私が出ると、帳簿と評議会の管理が止まります。ハナさんとクワさんとマタさんも拠点にいる必要があります。セリさんも残ってほしい」
「野廻り隊の五人から、護衛に出る人間と残る人間を分けることになります」
全員が少し黙った。
「五人全員で出たことは今まで一度もなかったですか」
アサの声は小さかった。「ありました、一度。禁域候補の場所に行った時だけ。でもその時は拠点から半日の距離でした。今度は泊まりです」
「泊まりか」
「二泊か三泊だとサリムさんは言っていました。道の状態によっては四泊になるかもしれない。その間、拠点の防衛はどうなりますか」
「俺が残る」
ガンだった。
「ガンさんが残るん?」
「外に行くより、拠点を守る方が俺の本来の仕事に近い。護衛についていくなら、カイとスズとミコトで足りる。リュウは——」
「行きます」
即答だった。地図の外という言葉を聞いた瞬間から、リュウの心はもう街道の先にある。「地図の外の採集と観察記録は僕の仕事です。外に出られる初めての機会を逃すわけにはいかない」
「荷物を軽くする条件で」
ガンが釘を刺した。
「……十二キロ以下にします」
「それでも重い。七キロにしろ」
「七キロでは——」
「七キロ」
交渉の余地は、ない。リュウが唇を噛んだ。「わかりました。七キロで収めます」
「嘘をつくな」
「……努力します」
「努力するって言った時のリュウは、だいたい一キロオーバーする」
スズが横から口を挟んだ。
「……統計ですか」
「経験です」
経験に基づく予言ほど、外れないものはない。
翌朝、サリムに返事をした。
護衛として出るのはカイ・スズ・ミコト・リュウの四人。出発は三日後。サリムの荷をミナシロとカネヅカに届けてから三ツ辻に戻り、それから一緒に南東へ向かう。
「四人でよろしいですか」
カイがサリムに確認した。
「十分です」
サリムが荷を肩に掛け直した。「多すぎても動きが悪くなる。四人なら意思決定が早い」
「道で獣に遭遇した場合、私たちの判断に従ってもらうことになります」
「わかっています。護衛を頼むということはそういうことです」
サリムが荷を確認しながら言った。「一つ言っておくと——ミナシロ方面の先は、あなた方の集落の知り合いがいない場所です。私たちの荷を守ることが仕事になる。それだけでいいです。外の集落の問題や事情に関わらなくていい」
「関わりたくても関われない、ということですか」
「そういうことです。今の仕事の範囲外です」
カイが少し考えた。「わかりました。今は荷の護衛に集中します」
「ありがとう」
サリムが顔を上げた。「正直に言ってくれる人間は信頼できる」
出発までの三日間、リュウが荷物と格闘していた。
七キロという制限のために、何を持っていくかの取捨選択を何度もやり直した。ノートを五冊から三冊に減らした。薬草の標本ケースを一つにした。観察用の道具を基本のものだけに絞った。
それでも八キロを超えた。
削って、超える。削って、超える。荷物の神は、リュウにだけは微笑まない。
「あと一キロ削れ?」
スズが荷を覗き込んだ。
「……これ以上は」
「この本は」
スズが一冊指した。
「それは三集落の植生記録です。地図の外の植物を比較するために必要で——」
「外の植物は三集落の記録にないです。比較対象がないなら持っていかなくていいです」
リュウが止まった。「……確かに」
「ここに置いていって、帰ってきたら追記すればいい。帰ってきてからの仕事を増やす方向で」
「そういう考え方ができるんですね」
リュウが少し悔しそうにした。仕事を増やす方向、という発想は、リュウにとって福音である。「では置いていきます」
出発の朝、ガンが四人の荷を確認した。リュウの荷は六キロ八百グラムになっていた。
「及第だ」
リュウが「三冊ノートを諦めた」とこぼした。少し悲しそうだった。スズが「帰ってきたら全部思い出して書けばいいです」と返し、リュウが「思い出せるかな……」と口を濁す。ミコトが「記録した内容を忘れるなら何のための記録か」と切り込み、リュウが「それはそうですが」と引き下がった。
正論に、リュウは弱い。
カイが四人を順に見た。スズ、ミコト、リュウ、自分。それからガンを見た。
「全員、準備できています」
「見ればわかる」
ガンが顎をしゃくった。「リュウ以外は」
「僕も準備はできています」
リュウが慌てて付け足した。「重量だけ少し」
「六キロ八百は及第だと言った。余計なことを言うな」
「……はい」
四人がサリムの一行と出発した。
ガンが柵の外まで出て、見送った。
「気をつけろ」
それ以上は何も言わなかった。視線だけが、四人の背中を追っていた。
スズが振り返って手を振った。ガンは手を振り返さなかった。ただ、四人が見えなくなるまで、そこに立っていた。動かない見送りというものが、この男の別れの言葉である。




