第4話 水を確保せよ
小屋二棟が完成した頃、クワが言った。
「井戸を掘る」
全員の視線が「それは大変そうだ」という内容で揃った。
「ナル川がある」
ガンが敷地の西を顎で示す。
「わざわざ掘らなくても、徒歩で行ける距離だ」
「川は遠い。往復で半刻かかる。雨が降れば泥が混じる。危険生物が出れば近づけない。井戸があれば敷地内で水が取れる」
「それは正しいが……」
反論の余地、なし。
「井戸掘りの経験者はいるか」
三十人が顔を見合わせた。誰も手を上げない。集落で井戸を掘ったのは、もっと年配の世代の話らしかった。
しばらくして、カネヅカから来た鉱山経験者、赤ら顔の中年男が挙手した。名前はイサ。坑道の掘削をずっとやってきたという。
「穴を掘るのは得意だ」
「それが役に立つか」
「穴を掘ることに変わりはない。ただし地下水脈がどこにあるかはわからん。掘ってみなければ」
「それで見つからなかったら」
「もっと掘る」
「……なるほど」
それ以上、聞くことが思いつかないという顔だった。
「場所を選ぶ必要がある」
ミコトが続けた。
「水は低い場所に集まる。地面が周囲より少しくぼんでいるところ、草の色が濃いところ、朝に霧が出やすいところ——そういう場所は地下水が近い」
「見当はあるか」
「ある。北側の建物との間の一角。あそこだけ夏草の色が濃い。地面も少し締まっている。水気がある」
※
井戸を掘り始めた。
まず地点を決めた。ミコトが示した場所——草の色が周囲より濃い一角。スコップと骨甲製のつるはしで掘り始めると、最初の半刻は思ったより掘れた。しかし一メートルほど掘ったところで、土質が変わった。石交じりの固い層に当たった。
「深くなる」
つるはしの先で固い層を一度叩き、イサが淡々と返す。
「どのくらい」
「わからん」
それから掘り続けた。交代で入れ替わりながら、一日目には一メートル弱。穴が深くなればなるほど、土を取り除くための作業が大変になる。垂直の穴は簡単に崩れる。崩れないように内壁を石と骨甲で補強した。掘ることよりも、内壁の処理に時間がかかった。
井戸ができるまでの水の確保も問題だった。ナル川まで汲みに行くしかない。徒歩十五分。桶を担いで往復するのは骨が折れる作業で、一日に三回は行かなければ人数分の水が足りなかった。
「水汲み班を作る」
カイたちに順番が割り当てられた。
※
最初の水汲みに行ったのはカイとスズとリュウだった。川へ向かう道を下ると視界が広がった。南東の標塔がいつもより近くに見えた。
ナル川は穏やかで、岸近くは浅く、飛び石を使えば渡れる程度の川幅だった。透明度が高く、底まで見える。上流では小さな魚が泳いでいた。
桶を川に沈める。水が入ってくる。冷たい。指先まで一瞬で痺れる。
「気持ちいい、この冷たさ。汗かいた後だと最高」
水面に手を入れる。
そのとき、川底で何かが動いた。
「スズさん」
声が低い。
「はい」
「水から手を出してください。ゆっくり、でも今すぐ」
「なぜ——」
川底の石の色が変わった。いや、動いた。石に見えていたものが浮き上がった。青黒いうろこ、幅広の頭、水面近くで開いた口。
「鰐!」
後ろに飛んだ。
「走るな! 動くものを追う!」
「走ってない! 走ってない走ってない走ってないーーーっ!」
足が猛烈に動いている。川岸から遠ざかる方向に、疑いなく走っていた。
深淵鰐。体長一メートルほどの小型個体で、本来は水深の深い場所に生息するが、危機以降は浅い場所にも上がってきているらしい。噛まれると骨まで達する。石に擬態して動かないため、見えていても気づきにくい。三集落の隊商が使う略図には、当然この一言は書いてない。図を作った者がここに来たことはないのだから。
カイは桶を回収して距離を取った。リュウも後退した。鰐は少し上がってきたが、陸には来なかった。水際でとぐろを巻くように止まった。
スズが二十メートルほど離れた場所から振り返る。
「無事ですか」
「無事です! 走っていません!」
「走っていましたよ」
横で淡々と続ける。
「気持ちの問題です!」
※
水汲みは以後、複数人で警戒しながら行う作業になった。川岸に近づく前に、石に見えるものがないかを確認する。桶を入れる間は別の人間が岸を見張る。それでも怖いものは怖かった。
「ドン」
スズが名付けた。
「なぜドンなんだ」
鰐の話をしているのに、なぜか名前から議論が始まっている。
「石の上に陣取っている感じがするので。それにあの顔、ドンって感じじゃない?」
「わからん」
「どんっ、という感じの顔」
「わからん」
「わかってもらえなくても、ドンはドン」
「俺を納得させようとしてたのか」
「少し」
「なんで俺に……」
言いかけて、やめた。それ以上は何も言わずに作業に戻っていった。
しかしその後、水汲みに行くたびに「ドンはいるか」という言葉が定着してしまったので、名前がついたようなものだった。生態系の命名権は、常にスズが握っている。
※
水汲みが日常業務になった一方で、井戸の掘削も毎日続いた。三メートル、四メートルと掘り進んだが、水は出なかった。イサは「まだ掘る」と言い続けた。
六日目の夕方、イサが「土が湿ってきた」と言った。
翌朝、五メートルほどの深さに水が滲み出した。少量だったが、確かに水だった。
「水脈に当たった」
昨日と変わらない口調。
「やりましたね!」
「まだ使える量ではない。もう少し掘る」
それでも底に滲んだ水を小さな椀に少し汲んで、井戸の縁に置いた。濁っていて、飲める水ではなかった。ただ、土の底から水が出てきた証拠ではあった。
「これが飲めるようになったら、朝の水汲みが一回減ります」
その一言で、周囲の顔が少し明るくなった。完成ではない。けれど、終わりの見える穴になった。
「では拠点全体への報告は保留か」
「使えるようになってから言え。使えないものを報告しても混乱するだけだ」
カネヅカの鉱山師は実用主義だった。
※
井戸が完成するまでの間、水汲みは続いた。
スズは毎回、川岸でドンと顔を合わせた。慣れてきたのか、ドンは以前ほど激しく動かなくなっていた。
「仲良くなってきた」
「そういうことではない」
「まあ、お互い認識してはいるのでしょう」
「認識している、ということは一種の関係では」
「水汲みに戻れ」
ガンが桶を指す。
「はい、はい」
「その返事、一回でいい」
「はいぃ」
「……今のは一回か二回かどっちだ」
「一回です」
「いいから戻れ」
スズはすたすたと桶を持ちあげて歩き始めた。
「今のは一回でした」
真剣な顔でついていくリュウ。カイは何も言わなかった。否定しても肯定しても、どちらかが続くとわかっていたからだった。




