第3話 寝る場所を作る
柵の作業が軌道に乗った翌日から、小屋の建設が始まった。
仕切るのはクワだった。カネヅカから来た三十歳の男で、口数が少なく、もくもくと働く。材木の見方や道具の扱いについては三十人の中で一番——少なくともカイにはそう見えた。
「まず寝られる場所が要る」
足元に積まれた木材を一度見渡してから、クワが言った。
「小屋を三棟建てる。一棟に十人入れる作り。二週間かける」
「二週間もかかるのか」
タケオが空を仰ぎながら言う。雲の動きが気になっていた。
「急げば一棟は一週間でできる。ただし荒い作りになる。急いで作ったものは最初に壊れる。冬まで持たせるなら二週間だ」
タケオは黙った。一年中同じ畑を見ている男にも、その理屈は通った。異論、なし。
※
作業は班に分かれた。木を切ってくる班、割って板にする班、柱穴を掘る班、屋根に葺く草束を集める班。
カイとリュウとスズは草束の班に入った。丈夫な草を刈り取り、束ねて乾かす。地味だが量が必要だった。
スズは最初から鎌が速い。袖と裾を短く折り返した薄手の格好で、腰を低くして根元から刈る。刈った草がすぐ足元に積み上がる。
「スズさん、速いですね」
「薬草採りで慣れてるので」
次の草に鎌を入れる。
「ミコトさんは草束班じゃないですね」
「木を切る班に行きました。あの人、斧が上手いんですよ。弓師なのに」
「見ましたか、振ってるの」
「さっき二回だけ。きれいな振り方でした」
「カイさんは見なかったんですか」
「草に集中していました」
「もったいない」
しばらく黙って刈っていると、スズが「それにしても」と切り出した。鎌を持つ手は止めず、視線だけ空へ上げる。
「よく、みなさんここに集まれましたね。三方向からほぼ同じ日に」
「大岩の三叉路ですよ」
リュウが手を止めずに続けた。
「隊商のルート地図には必ず載っています。あそこから西に少し行けばここです」
「そういえば来るとき、あの大岩を曲がりましたね」
「そうです。あの岩を知っていれば、どこから来ても迷わない。三集落の隊商はみんな、あそこを目印にしている」
「なるほど。それで三ツ辻なんですね、ここ」
刈っている途中で、リュウが手を止めた。
「これ、捕縛蔦に似てますね」
「そうですか」
「違います。葉の形が少し違う。でも似ています」
腰をかがめて観察する。目が輝き始める。危険な兆候だった。
「むしろ、捕縛蔦と交雑した可能性のある個体かもしれません。試してみてもいいですか」
「何を試すんですか」
「踏んでみます」
「やめてください」
「でも情報として重要で——」
「捕縛蔦だった場合、捕まって動けなくなる状況になるかもしれないですよ。それでもやめてください」
リュウが少し考えた。
「では鎌の柄でつついてみます」
「……それならいいです」
鎌の柄の先を、草の根元にそっと押し当てる。数秒待つ。
蔓が、ゆっくりと動いた。柄の先端に絡みつこうとする、たしかな動き。捕縛蔦より遅く、力も弱い。ただし反応はした。
「交雑個体ですね」
目が輝いた。
「反応速度が捕縛蔦の半分以下です。気づかないで踏んでも、まぁ十分対処できるでしょう。でも動いていますね」
ノートに「反応あり・速度:捕縛蔦の約半分・要継続観察」。
「名前をつけるなら緩捕縛蔦でしょうか」
「名前をつける前に、屋根の草かどうかを決めてください」
「屋根には使わないほうがいいですね。雨の日に屋根が動くかもしれません」
屋根がゆっくり動く光景を想像し、カイは少しだけ黙った。
「……踏まなくて良かったです」
※
午後、空が曇り始めた。
「雨が来る」
ミコトが焚き火の煙の流れを見ていた。
「作業を急ぐ。屋根材を先に搬入する」
全員が急いだ。丸太を組み、柱を立て、梁をかける。屋根はまだ葺けていない。草束の量が足りなかった。
雨が降り始めたのは夕方前。最初は小雨だったが、あっという間に本降りになった。
小屋の骨格は立ちあがっていたが、屋根がない。壁もまだ粗い。三十人が急いで荷物を骨格の中に押し込み、自分たちも中に入る。雨は梁の上を流れ、隙間から滴り落ちてきた。
ずぶ濡れの三十人がぎゅうぎゅうに固まって、降ってくる雨粒を黙って受ける。
「明日、屋根を最優先にする」
雨に打たれながら、クワの声が骨格の中の全員に届いた。
「それを今日の昼に決めておけば良かったのでは」
「何をすべきだったかは、いつもそのあとにわかる」
反論ではなく、同意のような沈黙が場を埋めた。雨の音だけが、しばらく続いた。
※
骨格だけの小屋の中で、ハナが夕食の支度をした。外のかまどは雨で使えない。やむなく小屋の骨格の中に仮のかまどを移す——平らな石を床に敷いて、煙が梁の隙間から抜けるのを祈りながら火を起こす。濡れた薪は火がつきにくく、それでも豆の煮たものと乾燥野菜のスープを作った。煙が充満しかけて、スズが板を一枚外して換気口を作った。
「こういう日に限って、いい鍋を作りたくなる」
食べている途中で、ミルクに気がついた。荷物が積まれた奥に丸まっている。
「追い出せ」
クワが顎で指す。
「かわいいので……」
スズの小声は、全員に聞こえた。
「獣を中に入れるな。雨が止んだら病が広がる」
「でもこれはミルクなので」
怪訝な顔に、スズが付け加える。
「クワさん、ミルクを知らないんですか? あの白い草毛獣です。雑草しか食べない、うちの除草係です」
「ミルクとは何だ」
「ペット……だそうです」
諦めたような口調で、ハナが鍋を混ぜる手を止めずに言った。
クワが三十人を見渡した。誰も「追い出せ」に同意しない。何人かは目を逸らした。
「……なんで」
「雑草しか食べないので、荷物を荒らしません」
「それは理屈になっているのか……」
言いかけて、やめた。雨の中、雨漏りの修繕のほうが優先度が高いと判断したらしい。
ミルクは奥の荷物の影でおとなしくしていた。濡れていなかった。いつ入り込んだのかは、誰にもわからなかった。
※
夜中まで雨が続いた。梁の隙間から水が滴り続けたが、荷物の大半は防水の布で包んであったので、大きな被害はなかった。
見張りはミコトが立っていた。屋根なしの場所で雨の中、微動だにしていない。髪も衣服も、もう完全に濡れていた。
「交代します。もう二刻は立ってますよね」
「まだいい」
「濡れますよ。風邪をひきます」
「わかっている」
「そういうことではなく——」
「体が冷えたら交代する」
前を向いたまま。雨粒が顎から落ちる。
「……わかりました」
カイはミコトの隣に立った。二人で雨の中を眺める。
しばらくして、ミコトが「なぜここに来たんですか」と聞いた。
唐突な問いだった。カイへの問いだったが、同時にミコト自身に対する確認でもあるようだった。
「いろいろあって」
嘘ではなかった。ただそれが全部でもなかった。父のこと、メモのこと、この場所が何かに近いという根拠のない感覚——それを雨の中で初対面に近い人間に話す言葉は、まだ持っていなかった。
少し間があった。
「私も」
短い言葉だったが、責めている感じではなかった。ただ同じだ、と言っているようだった。
カイは少し驚いた。この人もそういう理由でここにいるのか、と思った。それ以上は聞かなかった。ミコトも続けなかった。
雨が続く中で、二人は黙って外を見ていた。
※
翌朝は晴れた。北の標塔が、朝の光を受けてかすかに光っていた。
全員が朝一番で屋根葺きを始めた。刈り取ってあった草束を梁の上に積み重ね、蔓縄で固定していく。午前中には一棟目の屋根が完成した。水をかけて漏れがないことを確かめた。
「二棟目を始める」
「はい」
昨日より声が揃っていた。
三棟が完成したとき、クワが「もう一棟建てる」と切り出した。最初の予定にはなかった話だった。
「三棟で十人ずつ入れる計算だったが、食料保管庫ができると調理場の場所が要る。調理専用の小屋がないと雨の日に炊事ができない。先日のことを繰り返したくない」
「それは助かります」
顔が明るくなった。先日、煙が小屋の中に充満して全員が咳き込んだ夜のことが、頭にあったに違いなかった。
こうして当初の計画より一棟多い、四棟目が建てられることになった。




