第2話 まず、柵を作ろう
荊棘柵。棘のある灌木の枝を束ねて並べたものである。
材料は周辺にある。問題は、誰がどうやって作るかだった。
朝食はハナが用意した。昨夜荒らされた食料の残りと野草を混ぜた薄い粥。文句を言う者はいない。文句を言えるほどの余裕が、誰にもなかった。
食べ終えて作業に入ろうとした瞬間、ガンが手を上げた。
「俺が仕切る。罠師の仕事だ」
そこまでは良かった。
「まず枝を刈ってくる班と、地面に杭を打つ班に分かれろ。刈り取り班は俺の指定した灌木だけを切ってくれ。乾いた枝は使わない」
朝の冷えた空気に、声が張った。三十人がいっせいにそちらを向く。
「うちの集落では、乾燥させた枝を使う」
ミナシロのタケオが、首をかしげながら一歩前に出た。
「そのほうが固くなって崩れにくい」
「生の枝を使うんだ。乾燥させた枝は折れる」
「乾燥させたほうが折れない。長年そうしてきた」
タケオは腕を組んで動かない。ガンが息を一つ吐いた。
「場所が違えばやり方も違う。ここはうちのやり方でやる」
「うちのやり方、とはどういう意味だ。ここはあんたの集落か」
目つきが鋭くなる。タケオも引かない。ミナシロ組の何人かが、なんとなくタケオの後ろに集まり始めていた。
開始五分で早くも派閥抗争である。
※
スズはその一部始終を少し離れた場所で見ていた。隣にカイが来て、同じように眺める。
「どうします、あれ」
「しばらく様子を見ます」
「ガンさんは正しいんですか、間違ってるんですか」
「どちらも一理あります。こういう時は、どちらが正しいかより、どう動かすかの方が大事です」
「じゃあ止めなくていいんですか」
「もう少しだけ様子をみよう」
カイの目は、ガンとタケオではなくガンだけを見ていた。
「……ガンさんが自分で答えを出せるかどうか、見ています」
言い争いはしばらく続いた。ミナシロ組がタケオの側に寄り、カネヅカ組とハラダ組はやや距離を置いて眺めている。ガンの声は大きく、タケオの声は低く頑固で、どちらも怒鳴っているわけではないのに、どちらも一歩も引かない。
結局、正誤の決着ではなく、二人とも疲れて黙った。膠着の勝利。実に不毛である。
ガンがスズとカイに歩いてきた。眉間に皺、地面を蹴るような足取り。
「なんで俺がこんな目に。仕切ろうとしただけだぞ」
「集落ごとのやり方が違ったときどうするのか、最初に決めていなかったからではないですか」
「……それはそうだが」
「最初に決めてしまえばいいと思います。今からでも」
ガンがスズの顔を一秒見て、頭をがしがしと掻いた。
「……じゃあ、今後の例にもなるから俺のやり方で決める」
踵を返す背中に、若干の未練が見えた。
※
仕切り直しの場で、ガンは全員の前に立って声を張った。
「こっちから聞く。棘のある枝を切れる道具を持っている者は手を上げてくれ」
いくつか手が上がる。骨甲の鎌や、刃を巻いた棒。
「生の枝を束ねたことがある者は?」
ハラダ組とカネヅカ組に多い。
「乾燥させた枝を束ねたことがある者は?」
残りはほぼミナシロ組。
「わかった。じゃあ二手に分かれる」
ガンが両方の側を交互に指す。
「俺の側に来た者は俺の手順で動いてもらう。タケオさんの側に行く者はタケオさんのやり方で動いてもらう。端から作って、真ん中でつなぐ。それで両方試せばいい」
「……そういうことか」
タケオがようやく腕をほどいた。異論、なし。
スズがカイの耳元で小声。
「さっきより全然まとまりました」
「ガンさんが自分で出す答えを待っていました。止めると、次も誰かに止めてもらうことになる」
「最初からわかってたんですか」
「なんとなく」
「そういうことをさらっと言う人ですね」
スズはそれ以上、追わなかった。
ガンは何も言わなかったが、そのあとは二手それぞれが黙って動いた。最初の言い争いが嘘のように、ほどなく作業の音だけが敷地に広がっていった。
※
午後、ようやく柵の設置が始まった。棘のある灌木の枝を切り出し、束ね、並べて杭で固定する。骨甲製の道具で枝を切り、木の杭を打ち込み、蔓縄で結わえる。柵の向きをそろえるとき、ガンは遠くの標塔を目印にした。
単純作業だが、三十人が一斉に動けばそれなりの速さで進む。
「あれ」
スズが声を上げた。敷地南側、荷物の近くに白い影。
草毛獣だった。一頭だけ、ぼんやりと立って足元の草を食んでいる。柵の隙間から入り込んでいたらしい。
「追い出せ」
ガンの号令一下、数人が近づく。草毛獣は少し動いたが、逃げなかった。食料の袋には近づかず、地面の草だけを食んでいる。
「こいつ、荷物に寄ってかないな」
タケオが麻袋を叩き、それから草毛獣に視線を移す。
「野菜とか穀物とか、麻袋に入れていても嗅ぎつけて荒らすのが普通なのに、こいつ袋の方を見もしない」
「あ、この個体——食料を荒らさないですよ? 雑草だけ食べてます」
リュウが首を突き出す。目が輝いている。研究者の血が騒ぐ音が、たぶん聞こえた。
「変異種かもしれません」
ノートを取り出し、二歩先まで近づく。逃げるはずの獣が、逃げない。
「歯の動きが少し違います。袋を噛み切る動きではなく、葉だけを選んでいます。これは行動差です」
「今それを見てわかるんですか」
「わかる気がします。まだ断定はしません。断定しないまま興奮しています」
ガンが額に手を当てた。本日二回目のため息である。
追い出すはずだった数人が、なんとなく立ち止まっていた。
「名前をつけると食べられなくなりますよ」
ハナが釘を刺す。
「経験上、家畜にできない個体は早めに手放したほうがいいです」
五秒後。
「ミルク」
スズが言った。言ってしまった。
場が静止する。柵を結わえる手も止まる。
「名前をつけないでくれと、今言いましたよ」
「ミルクみたいな色なので。毛が、こう、白くて」
「それはわかりますが」
「でももうミルクなので」
ハナが深く息を吐いた。存在の確定は、命名によって完了する。ミルクと名付けられた草毛獣は、そんな哲学的問答を気にした様子もなく、雑草を食んでいた。耳一つ動かさなかった。
※
その日の夕方までに、拠点の南側と東側に荊棘柵の一部が完成した。まだ全周を囲むには足りないが、食料の置き場の周囲だけは守れるようになった。
並行して、ハナが「かまどを作ります」と動いていた。
前日は焚き火に鍋を直接かけていたが、風が吹けば炎が横に流れ、鍋の底に熱が当たらない。石をU字形に並べて壁にし、灰の床を作り、薪を差し込む口を前に開ける。簡単な作りだが、風が強くても火が安定する。中型と大型、二基並べた。
「これだけあれば三十人分の鍋が二つ同時にかけられます」
石を並べながら、段取りを確認するように一つずつ言葉にする。
「薪は一日どのくらい使えますか。集落だと月の取り分がだいたい決まってるんですけど、ここは無制限ってわけにもいかないでしょう」
「わからないですね。周囲の森がどれだけ持つかも、まだ調べていません。とりあえず必要な量を使ってみてください。今日から記録します」
かまどの設置と同じ頃、セリが陶製の壺を拠点の端へ運んでいた。建物や食料置き場から離れた、風下の一角。
「何ですか、それ」
「泥炭菌の壺です。生活すると出てくる不要なものを処理する場所を作ります。集落では当たり前にやっていることです」
スズが「ああ」と言って、それ以上は聞かなかった。処理した後は燃料にも肥料にもなる。どの集落でも当然のようにやっていることが、ここでも始まった。
日が落ちる前に全員が焚き火のそばに集まり、夕食を食べた。かまどで煮た豆と乾燥肉の汁。前日より熱くて、量もあった。
カイは食べながら、ミルクを見た。
乾いた草のあたりを選んで食んでいる。
「なんで雑草だけを食べるんでしょうね、あの子」
「普通の草毛獣は、食べられるものなら何でも食べます。種として群れで行動して、農地のものも食料の袋も区別しない。なのにこの個体は、袋を見もしない」
「特別なんですか」
「わかりません。でも珍しいと思います」
「リュウは珍しいもの、好きだよね」
「ええ」
迷いはなかった。椀を持ったまま、自分の言葉に頷くように。
「世界は珍しいもので出来ていると思っています」
カイは何も言わなかった。父親も似たようなことを言っていた気がした。火の音が小さく弾けて、それがしばらくのあいだ二人の間の沈黙だった。
夜になった。見張りのガンが焚き火の前に立って、暗い外を睨んでいる。
昨夜のような草毛獣の群れは、来なかった。
夜が更けて、ミルクがいつの間にか荷物の脇で丸くなって眠っていた。
誰も追い出さなかった。




