第1話 三ツ辻、始まります(?)
三集落の中間地点。
言葉にすればそれだけだが、実態は「どこからも等しく遠い場所」である。
ミナシロから四日、カネヅカから四日、ハラダから五日。誰にとっても近くない丘の端に、三十人が集まっていた。
全員、疲れていた。
荷を担いで歩いてきた者の顔。作務衣は汗と埃で汚れ、ブーツの紐を緩めてしゃがみ込んでいる者もいる。集落の外で複数夜を過ごすのが初めてだという者がほとんどで、地面に腰を下ろしたまま動こうとしない一団もあった。
荷馬車が四台。建設資材と食料を運んできた隊商のものだ。荷を下ろすと、隊商はさっさと次の集落へ去っていった。後に残るのは三十人と、山になった荷だけである。
カイはその端に立って、全体をなんとなく見渡していた。
特に疲れた様子はない。五日間、同じ距離を歩いてきたはずなのに、足元はしっかりしている。
隣に来たのはリュウだった。
「着きましたね」
「五日ですね」
「思ったより遠かったですね……」
大きな荷物を背負って肩で息をしている。薬草と道具を詰め込みすぎたせいで、背嚢の横から瓶がいくつか飛び出していた。
風が南東の平野から吹き上がって、二人の足元の草を撫でていく。
「それで、拠点はどこに建てるんですか」
「これから決めるんじゃないですか。三集落の代表が揃ってから、と聞いていますし」
北西に低い丘陵、東に平野、西にナル川。
どこに建てるかは、確かに「これから」の話だった。
その日は野営の準備だけで終わった。
夕食を仕切ったのはハナである。誰に言われるでもなく保存食の管理を引き受け、乾燥豆と大根と人参と塩漬け肉を鍋で煮た。味付けは塩だけ。三十人分を石を並べただけの座に二つ火にかけ、汁を椀に配る。
何も言わずに受け取る者、「助かる」と一言だけの者。三十人の疲労が、椀を受け取る手つきにそのまま出ていた。
焚き火が風に揺れ、隊商が去った後の静けさの中で、三十人は早々に眠りに落ちた。
明日から始めればいい。そういう空気だった。
※
翌朝、「どこに建てるか」の話が始まった。
開始三分で言い争いになった。
「南東の平地がいい」
ミナシロの農夫、タケオが腕を組む。四十代、声は大きくないが、言葉が地面に杭を打つように動かない。
「農地にできる土地に近いし、地面が安定してる。農作業を考えれば、これしかない」
「北西の丘のほうがいいと思います」
カネヅカの弓師、ミコトが最後まで聞いてから、首を少し動かした。
「高い場所から見張れる。獣も人も、はやく見つけられる」
「南西の森の縁が近いほうが」
ハラダの薬草採取者、スズが二人を交互に見比べる。
「怪我人や病人が出たとき、薬がすぐ用意できないと困りますし。縄や袋のもとになる繊維も、森から採ることになりますし」
三方向の主張は、どれも正しい。だから誰も引き下がらない。
ミナシロ組は「農地の都合が最優先でないのはなぜだ」、カネヅカ組は「鉱山の経験からすれば高地が常識だ」、ハラダ組は「薬草がなければ医療ができないだろう」——それぞれが正しいことだけを言い続ける不毛な三国志が、一刻ほど続いた。
もう一人の野廻り隊員、ガンは最初から腕を組んで黙っている。
いつ口を開くかと横目で見ていたカイだったが、ガンは終始「どいつもこいつも」という顔だった。発言、ゼロ。
その間、カイはひとり離れた場所を歩いていた。
足元を確認し、風の向きを感じ、ナル川の音の方向を確かめる。丘の端に立って南東を見れば平野、北西を見れば丘。北の稜線の向こうに、標塔が一本、空へ向かって立っていた。
南東の霞の中にも、もう一本。かすかな光沢。
夕方、空が赤みを帯びる頃、カイは戻ってきた。
「ここ。この場所にするのが一番良いと思います」
全員が口を閉じた。
「なぜそこが一番なんだ」
「他の場所より、全部の条件が少しずつ良いので」
「少しずつ、というのは……」
「南東の平地より見晴らしが良くて、北西の丘より水源が近くて、南西の森の縁より安全です。全部で一番ではないですが、全部で悪くないのはここだけです」
タケオが「む」と漏らす。ミコトが黙ってその場所を見る。スズが「ああ、確かに」とつぶやく。
反論、出てこない。
「……まあ、それで行くか」
場所が、決まった。
決め手は理屈ではなく、「これ以上議論しても誰も損しない」という、極めて実務的な妥協点だったのだが、その場の誰も気付いていない。
リュウがカイの隣に来て、足元を見下ろした。
「あ」
「何ですか」
「捕縛蔦の群生地の端ですね、ここ」
三十人が一斉に足元を見た。草の間に、緑の蔓がうっすらと張り巡らされている。踏めば締め付けてくる、あの植物である。
「最初から言え」
ガン、本日の第一声がこれだった。
「気づいたのは今なんです。話し合いに集中していたので」
「今まで何を見ていた」
「皆さんの議論を聞いていました。それぞれの集落の事情がよくわかって、興味深かったです」
ガンが額に手を当てる。三十人の沈黙が、それを取り囲む。
「捕縛蔦の範囲を確認すれば、端を避けて設置できます」
さも何でもないことのように、リュウは平然と話を進める。
「むしろ北側の境界に使えるかもしれません。侵入してくる獣への抑止に」
誰も何も言わない。言葉の意味を、それぞれが頭の中で噛みしめている、そういう間だった。
「……それはそれで、一応役に立つのか」
「研究の余地があります」
拠点第一号の危険物件は、こうして「境界防衛設備(仮)」に格上げされた。
※
夕方、スズが「夜の見張りはどうしますか」と聞いた。
「交代で立ちましょう。一人ずつ、二刻ずつ」
「私が最初をやる」
ミコトが短く言い、それで決まった。
空が暗くなりかけた頃、ガンが北の方を見て「あれが見えるのか」とつぶやいた。稜線の向こうに、北の標塔の頂部がまだかすかに光っている。
「知っていますか、あの塔」
「北のやつは、ミナシロから来る途中には見えない。南東の標塔なら、道中でずっと見てきたが」
集落ごとに見える塔が違う。カイはこの旅で初めて知った。
「カネヅカからここへ来る道の左手に、ずっと見えていた」
「ハラダからは見えなかった。どちらも遠くて、霞んで見分けがつかなかったので」
三人が同じ標塔を、それぞれ違う角度から見てきていた。ただそれだけのことだが、カイには少し面白く思えた。
夜になった。
焚き火を囲んで三十人が休む中、カイは少し離れた場所に座り、荷物から父親のメモを取り出した。使い古された紙に、細かい文字。
父親が死んでから四年。語り部だった父は、死の直前まで何かを知っていた。
読めない文字が一か所ある。その隣に、父の字で小さく「管理」と書き添えてあった。何を管理しているのか。何の管理なのか。
そこには、何も書いていなかった。
空を見上げる。星が出ていた。動かない星。いつ見ても同じ配置に貼り付いている、この世界の夜空。
父が生前、こう言っていたのを覚えている。
「この世界には、まだ誰も気づいていないものがたくさんある。お前はそれに近づける」
近づける、と言った。気づける、ではなく。
答えのない問いを抱えたまま、カイはメモを折りたたんだ。
闇の中から、音がした。
ばきり。
ずるずる。
複数の足音が草を踏む、あの独特の軽い音。
「草毛獣だ。複数いる。荷の食料を狙ってる」
ミコトが弓を引き寄せながら立ち上がる。焚き火の明かりの外、白い影が動いていた。一頭ではない。十頭、いや二十頭。
その夜、三十人は草毛獣の群れを追い払いながら、食料の四分の一を荒らされた。
翌朝、全員の顔に同じ考えが浮かんでいた。
早く、柵を作らなければならない。




