第37話 北東の塔、見えた
帰り道、ミコトが岩丘を指した。
「あそこに上がってみないか」
道から少し外れた場所に、岩が重なった小さな丘があった。高さは五メートルほどで、周囲の草地より一段高くなっていた。来る時に気づいていたが、目的地でもないので通り過ぎていた。
「何かあるのか」
「試してみたいことがある」
「試してみたいことが何かわかってから、言えないか」
「わかってから言うと、正確さが下がります」
「何が下がるんだ」
「直感は言語化する前の方が純粋なので」
「ミコトって、こういう時に目が輝くよな」
スズが小声でカイに寄った。
「もう試しましたね、顔でわかります、みたいな感じで」
「試してはいないと思いますが、見当はついているんだと思います」
「それがもう試した顔なんです」
「……まあ、行くか」
一行で岩の上に登った。三ツ辻でいつも上る見張り台より低いが、周囲が平野なので見通しがよかった。カネヅカ方向の丘陵地帯、三ツ辻方向の草地、南の森の縁——それぞれが手に取るように見えた。
ミコトが北東方向を見た。岩の上に立つと背が際立った。風が来て髪が横に流れたが、体は動かなかった。指の先を、北東へ向ける。
「ほら」
標塔が二本見えた。
ほぼ真北に、見慣れた北の塔の白い光沢があった。三ツ辻からいつも見ている北の塔だ。しかしその右手、北東の方向に——もう一本の細い光沢があった。三ツ辻の見張り台からは距離が遠く気づきにくいものが、この場所では並んで見えていた。
「北東の標塔だ」
ミコトが指の先で示した。
「三ツ辻の地図に記録してある。Cと呼んでいる」
「春の終わりにスズさんが気づいていた、三本目の標塔ですよね」
「そうだ。しかしここからだと、北の塔と並んでいることがはっきりわかる」
ミコトが距離を計算するように目を細めた。
「三ツ辻から北東の塔まで約四十四キロ。ここはカネヅカ方向に十キロ以上来ているから、ここからは三十キロ台で見えている。下部の見え方が、三ツ辻とは全然違う」
「近く見えます」
スズが目を細めた。
「いつもより太い」
「そうだ。上部だけじゃなくて、中程まで見えている」
全員がしばらく北東の塔を見た。
「見えた」
とスズがつぶやいた。声が少し違った。気づいた時から二年、地図に記録しながらずっと遠かったものが、今日は違う角度から見えている。
「見えましたね」
「この方向から近づけば、もっとはっきり見えてくるはずだ」
ミコトが続けた。
「近づく、というのはどのくらい」
「距離だけなら一日半から二日で着く。問題は途中が未踏の場所だということだ」
「あの標塔、触ってみたいよね」
スズが空に手をかざした。少し間があった。
「触ってみたい」
「そうですよね! 二年間毎朝見てたら触ってみたくなりますよね。カイさんも感じてたんですね」
「感じていました」
「私ずっと言えなかったんですよ。なんか変なこと言うなって思われそうで」
「変なことではないです」
「言えてよかったです」
スズが改めて北東の塔を見た。
「触ったらどんな感触なんですかね。冷たいんですかね」
「金属だから冷たいと思います」
「何千年も雨や風に当たっても全然劣化しないって、すごくないですか。ヤヒロの普通の石でも風化するのに」
「ヤヒロ、というのは」
リュウが不思議そうに顔を向けた。
「えっ、なんとなく言いました。このあたりの地名みたいなものかなと」
「聞いたことないですね」
「……私が言い間違えたかもしれないです。忘れてください」
「お前は変な言葉を知っているな」
「なんとなく出てきた言葉なので」
スズが少し首をかしげてから、北東の塔の方に向き直った。
「まあ、あの素材で作られたものは劣化しないよね。石柱も同じ素材で、制御区画B-7、だったっけ」
カイは一瞬だけ、スズの横顔を見た。ヤヒロ。聞いたことがあるような、ないような響きだった。スズがどこでその言葉を拾ったのかはわからない。ただ、忘れてくださいと言われると、余計に記録したくなる種類の言葉だった。
「B-7です」
カイが短く返した。それ以上は、まだ言葉にならなかった。
「Bが制御区画で、7が番号で。あの標塔も同じ番号体系があるんですかね」
「そう思っています」
カイがうなずいた。
「石柱との関係も、あるかもしれない」
「カイさん、あの標塔に行きたいですよね」
「行きたいです」
「いつか行きましょう」
「いつか、な」
ガンが岩の縁に立った。
「今は帰るぞ」
「ガンさん」
スズが足の置き場を一歩ずつ確かめながら岩を降りた。
「なんだ」
「いつかって言いましたよね。今は帰る、って言っただけで、いつかは否定しなかった」
「……」
「行けると思っているってことですか」
「今は帰る、というのはそういう意味だ」
「じゃあ、いつかは行けると思っているということですね」
「行けると行くは別の話だ」
「でも可能性があるということ」
「可能性なら、どんなことにもある」
「私はそれを大事にしてるんで」
スズが足元を見ながら岩を降りた。
「ガンさんって、心配性なのに、ちゃんと先のことを見てるよね」
「心配性とは言っていない」
「でもそうじゃないですか、実は」
スズが振り返らずに言った。
「行けると行くが別、って言い方が、まさにそれなので」
「……歩けるか」
旗色が悪くなると歩かせにかかる。この団長の防御手段は、いつも同じである。
「スズが言外のことを捕まえるのが、上手くなってきた」
ミコトが小声でカイに言った。
「前からそうだったと思います」
カイも小声で返す。
「前は直感で動いていた。今は引き出して考えている気がする」
「成長してますね」
「記録しておく」
ミコトが手帳を出した。しばらく書いてから、顔を上げる。
「ついでに」
「ついでに何ですか」
「今日この岩丘から見た北東の塔の角度と、三ツ辻からの方向を組み合わせると、北東の塔への最短ルートが一本推定できる。カネヅカ道から北東に外れる形になる」
「メモしておいてください」
「もうした」
「ミコトさんは早い」
「言いながら書いた」
ミコトが紙を折ってカイに見せた。カネヅカ道から北東へ外れる細い線が、北東の塔の方向へ伸びている。
「それを、いつか使えるといいですね」
「使うために残す」
三ツ辻に戻ると、宿泊棟の建設が少し進んでいた。
マタとクワが柱を立てていた。二人とも黙って作業していた。夕方の光の中で、柱の影が長く伸びていた。
「進んでいますね」
クワがうなずいた。マタがうなずいた。
「どのくらいで完成しますか」
スズの問いに、クワが指を三本立てた。マタが二本に訂正した。二人が顔を見合わせた。マタが二本と半分くらいを示した。クワがうなずいた。
「……二週間半、ということ?」
クワとマタが同時にうなずいた。
「わかりました!」
スズが手を叩いた。
「クワ・マタ語が少し解読できました」
「解読、というのが引っかかりますが」
クワが眉を寄せた。
「解読って言われると言語みたいですよね」
リュウが割り込んだ。
「でも実際、会話は成立しているので、言語と言えなくもない」
「言語ではないです」
クワの脇で、マタがうなずいた。
「マタさんは同意してますよね、今」
マタが少し考えてから、うなずいた。
「やっぱり!」
「……お前らまた増えるな」
ガンがぼやいたが、誰も聞いていなかった。
「クワ・マタで二人、スズが三人目……ロマンがないな」
「ロマンの意味が違います」
ミコトが隣でさらりと言った。
「あれは言語の拡張です」
「ミコトに言われると、余計にロマンがない」
「ロマン、というのが何を指すのかが定義されていない」
定義を求められて、団長のロマンは行方不明になった。夕暮れである。




