第36話 カネヅカの鉱山師と話した夜
廃坑の作業が終わった日の夜、鉱山師三人は三ツ辻に泊まった。
翌朝カネヅカに戻るには距離があった。ハナが「宿泊棟は完成していないけれど、食堂と倉庫に寝場所は作れる」と言い、ナガノが「ありがたい」と言った。それだけで段取りが決まった。無口な男が二人いると、話が短くて速い。
出発前の朝、ナガノがドウに声をかけた。
「荷物の中に余分がある。持ち帰っても邪魔なので、引き取ってもらえるか」
荷物の中身を見ると、坑道作業用の小型の骨甲製工具が数点と、カネヅカ特産の銅製の留め具が一掴み分あった。
「これは使えます」
クワが留め具を手に取って確かめた。
「柵の補修に使える。骨甲の工具も、消耗品として持っていると助かります」
「では薬草と交換してもらえるか。カネヅカでは薬草が採れないので、いつも割高で買うことになる」
リュウが余剰の薬草を確認した。量を合わせて交換になった。ドウが帳簿に記録した。
「カジキさんが送ってくれる物資以外で、こういう形の取引は初めてですね」
ドウが帳簿に筆を走らせた。
「カジキさんが関係ないところで取引した、ということですか」
「はい。集落の依頼ではなく、通りすがりの取引です。こういうことが増えてきました」
「それが普通の宿場というものだ」
ナガノが留め具の残りを卓に置いた。
「泊まった所で少し取引する。長旅では荷を軽くしたい時がある。そういう場所は重宝される」
夕食は骨甲製の鍋に根菜と乾燥肉を煮込んだもので、ハナが「少し足りないかもしれない」と心配していた。しかしアサとスズが採集してきた早春の薬草が入り、スープに香りと彩りが出た。ナガノが「うまい」と言った。ハナが少し驚いた顔をした。
「珍しいですね」
スズが後でハナに小声で寄った。
「何が」
「ナガノさんが『うまい』って言ったことがですよ。今日一日で一番長い言葉だった気がします」
「食べ物には正直な人なんですね」
ハナがお玉を置いた。
「それは信用できます」
「ハナさんの信用基準って、そこなんですか」
「大事なことです」
ハナが鍋の残りを持って食堂に戻った。腹に正直な者を、この料理番は信じる。至極まっとうな哲学である。
食後、焚き火を囲んで話した。
ナガノは話す人間だった。短い言葉が多いが、問われれば答えた。
「お前たちは変わった野廻り隊だな」
ナガノが火に手をかざした。
「変わっていますか」
「普通の野廻り隊は集落から出ない」
「出ないと守れないことがあったので」
「そう思って出る野廻り隊を、俺は今まで見たことがなかった」
ナガノが焚き火を見た。
「三集落の連中もそう思っているんじゃないか。最初は子ども扱いしていたが、今は違う」
「わかりますか」
「わかる。カジキが『合格だ』と言った。あの人間がそういう言葉を使うのは、多くない」
「そうか」
ガンの表情が少しだけ変わった。
「ガンさん、嬉しそうだよ」
スズが顔をのぞき込んだ。
「いまの顔、まんまと気にしてるよ」
「うるさい」
「嬉しくないんですか」
「……黙れ」
「『うるさい』と『黙れ』は別のことを言っているんですが、どちらが本音ですか」
「どっちも同じだろう」
ナガノが口の端を上げた。今日一番の変化である。
「お前のところのリーダーは、素直じゃないな」
「素直じゃないですか」
「言葉では否定しているが、顔が正直だ」
ガンが何も言わなかった。
「そうなんですよ」
ガンがスズを見た。
「事実なので」
ナガノが坑道の話を始めたのは、夜が深くなってからだった。
春の夜はまだ冷えた。焚き火から一歩離れると空気が変わった。草地の向こう、北の稜線の上にあるはずの北の塔は、夜の闇に溶けて見えなかった。昼間は白く光るものが、夜には消える。その見えなさの中でも、あれが神代からずっと同じ場所にあるという事実だけは変わらなかった。
「カネヅカには古い廃坑が複数ある。今日のは浅い方だ。もっと奥まで続いているものがある。そういうものには誰も入らない」
「入らないというのは」
カイが火に枝を一本足した。
「入ったら戻ってこない」
ナガノが火を見た。
「具体的には、十年前に三人が入って、一人しか戻らなかった。その一人も、何があったかを話せなかった。戻ってきた日の夜に死んだ」
焚き火の周りが静かになった。誰の手も動かなくなった。
「なぜ入ろうとしたんですか」
「何かがあると聞いたから、だったと思う」
ナガノが少し考えた。
「その前の世代の話でも、同じようなことがあった。深い坑道には何か別のものがある、という話が続いていた」
「何かというのは」
「それがわからないから入ろうとするんだ」
ナガノが枝を火に落とした。
「俺も一度だけ、入口の手前まで行ったことがある。入口のあたりに、石柱があった」
「石柱」
カイの声が少し変わった。
「ああ。古い石柱で、表面に文字のようなものが刻まれていた。読める人間はいなかったが」
「どんな字でしたか」
焚き火の明かりの中で、カイが少し前のめりになった。
「覚えていない。読めなかったから、覚えようとも思わなかった。ただ——その石柱だけは、古い坑道の中でも劣化していなかった。百年前の地図にも同じ場所に記録されていた。もっと前からあったと思う」
「それは……B番号が刻まれていませんでしたか」
カイが身を乗り出した。
「制御区画という意味かもしれない言葉です」
「読めなかったと言った」
「そうでした。すみません」
「なぜそんなことを知っている」
「三ツ辻の南に、似たような石柱があります。文字の断片が少し読めました。制御区画B-7という言葉が」
ナガノが少しの間カイを見た。
「お前の親父も、その石柱に興味を持っていた、とイサから聞いた」
焚き火が小さくパチりと音を立てた。
「……父が」
「詳しくは知らない。イサがそう言っていた、というだけだ。直接関わった話ではない」
「父が石柱について何か言っていましたか」
「それは知らない」
ナガノが枝で灰をかいた。
「ただ、この辺りをよく歩いていたということは聞いた。廃坑の近くにも来たことがあると。その時に石柱を見たかどうかは——わからない」
カイがしばらく黙った。リュウが横で何かを書き始める。
「今は聞く時間だ」
ガンの小声に、リュウが手を止めた。
ナガノの話が終わり、鉱山師の部下二人が先に眠った。ナガノとカイとガンだけが起きていた。
「イサとは長い付き合いか」
「もう三十年になる。あいつがここに来るまでは、時々便りを交わしていた」
ナガノが火の粉を目で追った。
「今年の春の手紙で、拠点が随分変わったと書いてあった。二年で変わるものだと思っていなかった」
「来てみてどうでしたか」
「お前たちが若いのに驚いた」
ナガノが火を見た。
「でも、動き方は若くなかった」
「それは褒めているのか、貶しているのか、どちらだ」
「褒めている」
「そうか」
「さっきはすぐ受け取らなかったが、今回は素直だな」
「……人間によって変える」
「どう変えるんだ」
「信用できると思った人間の言葉は受け取る」
「それは正直だ」
少し間があった。
「今日の件では助かった。礼を言う」
「仕事ですから」
「仕事だが、礼を言いたい時は言う」
「……そうですか」
ガンが目を伏せた。
「ありがとうございます」
カイが帳簿を出して書き始めた。
「まだ書くのか」
「石柱の話を書いています。廃坑の場所と、石柱の位置の関係を」
「それを何に使う」
「いつか役に立つかもしれないと思っています。父が調べていたなら、続きを調べたい」
ナガノがしばらくカイを見た。
「あなたの父親は、どういう人間だったんだ」
「私が三歳の時にいなくなったので、よくわかりません」
言ってから、少しだけ火を見た。三歳の記憶は、顔や声よりも、背中の高さや手の温度みたいなものとして残っている。説明できるほどの形はなかった。
「でも同じ場所に興味を持っていたということは——似ているのかもしれない」
父の話を、自分から口にすることが、これまでなかった。
焚き火が燃えていた。乾いた薪がときおりパチリと鳴り、火の粉が小さく上がって消えた。その橙色の光が、カイとナガノの顔を交互に照らした。春の夜は静かで、草地から虫の声が少しずつ聞こえ始めていた。
翌朝、鉱山師三人は早くに出発した。
ナガノが出際、カイの肩を叩いた。
「廃坑の話は記録しておけ。知っている人間が減っていく。記録があれば、後の人間が判断できる」
「記録します」
「いい拠点を作れ」
それだけ言って、三人は北の道に消えた。カネヅカへの道だった。
「ナガノさん、最後も短かったね」
「ああいう人は長く言わない」
「でも大事なことだけ言う感じがします」
「そうだな」
「あと、ガンさんが、ありがとうございますって言いましたね」
スズが小声でカイに寄った。
「聞いたことにしない方がいいと思います」
カイも小声で返す。
「でも聞きました」
「聞いたことにしない方がいいと思います」
「ガンさんって、実はめちゃくちゃ礼儀正しいですよね、信用した人には」
スズが続けた。
「素直に言えばいいじゃないですか、最初から」
「……」
ガンが何も言わなかった。
「言いましたよ、今。沈黙で肯定した」
「してない」
「しましたよ。ナガノさんからも習いましたけど、言葉のない部分で伝わることがあるって」
「習っていない」
「習いました。今日一日で」
沈黙を証拠として提出してくる斥候である。裁判なら勝てないが、この拠点では勝つ。
「ガンさんに似てるよね」
スズが改めてカイに向いた。
「……どのあたりが」
「信用した人の言葉だけ受け取るところが」
ガンが前を向いたまま口を挟んだ。
「お前ら、さっさと歩け」
「そろそろ朝の巡回に行きましょう」
カイの一言で、二人が言い合いをやめた。春の朝日の中で、北の塔が白く光っていた。




