第35話 煙作戦、実行
当日の朝は晴れていた。
カネヅカから来た鉱山師が三人。カジキとは別に、日頃から坑道作業をしている者たちだった。リーダー格はナガノという五十代の男で、体が大きく、腕に古い傷があった。イサと同じ集落出身だという。挨拶は短く、こちらの手順説明を静かに聞いてからうなずいた。
「やり方はわかった。あとは現場で合わせる」
それだけ言った。
「このナガノさんって、いつもこんなに無口なんですか」
スズが小声でカイに寄った。
「初めて会う人なのでわからないですが」
「なんか、クワさんに似た雰囲気があります」
「似ているかもしれない」
「クワさんとナガノさんが並んだら、また無言の会話が成立するかもしれないですね」
「試す必要はないです」
「試したら面白いと思うんですけど」
「お前、また面白そうなことをする前の顔してる」
ガンが小声で割り込んだ。
「今日は何もするな」
「バレてましたか」
「一年以上見てる。その顔になった時に止める準備はしてある」
「今日は鎌爪竜の日です」
自分で言った。今日だけは、無言二人衆の実験を封じるつもりらしい。
作戦はシンプルだった。
通気口を板と土で塞ぐ。次に入口から大量の煙を送り込む。廃坑内の個体が煙に耐えられなくなったら外に出てくる。それを待ち受けて、移動方向を制御する。廃坑から完全に離れれば完了——というのが計画だった。
「シンプルだが、問題は中に何頭いるかわからないことだ」
ガンが出発前に釘を刺した。
「前回の偵察で二頭は確認できましたが」
「それ以上いる可能性がある。出てきた数が想定より多かった場合の対応を考えておく」
「どうしますか」
「俺とナガノさんが前に出る。ミコトが後ろから牽制する。スズとリュウは側方を確保する。カイは全体を見て指示を出せ」
「全体を見て指示、というのは難しくないですか」
「難しいから頼んでいる」
「……わかりました」
「できるか」
「やります。できるかどうかは、やってみないとわかりません」
「あなたがリーダーか」
ナガノの視線がカイに向いた。
「状況によっては、です」
「状況によらず、リーダーは一人の方がいい」
ナガノがガンを見た。視線が一度、カイとガンの間を行き来した。
「あなたか」
「現場ではこいつが全体を見る」
ガンがカイを指した。
「俺は対処に専念する」
「わかった」
ナガノはそれだけで納得した。それ以上は確認しなかった。言葉の少ない男は、決めるのも速い。
通気口の封鎖は予定通りに進んだ。
マタとナガノの部下二人が板と土を組んで塞いだ。マタはほとんど言葉を使わなかったが、ナガノの部下と息が合っていた。どちらも「やること」だけを見ていた。
「クワさんと同じタイプの人が来たね」
スズがカイの横でつぶやいた。
「今日は集中してください」
「集中してます。集中しながら言ってます」
クワが離れた場所から封鎖状況を確認した。
「問題ない」
マタがナガノの部下に親指を立てた。部下が同じく親指を立てた。
「言葉なしで連携できた」
スズが目を輝かせた。
「マタさんって才能あるんじゃない」
少し離れたところで、ナガノが土の厚みを手で押して確認し、クワに向かって一度だけ頷いた。クワも同じ角度で頷いた。無言の男が三人。うなずきだけで壁が一枚できあがった。
「ほんとにクワさんと似てるね」
「入口の方へ行きましょう」
入口からの煙の注入は、薪を四束重ねて火をつけた板を、坑道の入口付近で燃やすことで行った。煙が坑道の奥に流れ込んでいくのは、入口から出てくる冷気がなくなったことでわかった。
「煙が入っています」
リュウが鼻をひくつかせた。
「その目が赤くなっているのは煙のせいか」
「……近づきすぎました」
「下がれ」
「あと少し前でいると——」
「下がれ」
リュウが二歩下がった。
「目を洗った方がいいですよ」
スズがリュウの袖を引いた。
「後で洗います。今は——」
リュウが言いかけて、また目を細めた。
「……下がります」
五分待った。煙がゆっくりと坑道に吸い込まれていく。入口の周囲に匂いが広がった。全員が目を細めながら待機位置を守った。
「目が痛い」
スズが目元を袖で押さえた。
「風向きが悪い」
「こっちに来てますよね、煙が」
「来てる」
「これ、作戦の範囲内ですか」
「想定内だ」
ガンが低く言った。
「黙って待て」
「見えないですが」
「見えなくていい。音を聞け」
全員が黙った。煙の中で、遠くから音がした。坑道の奥から、何かが動く音だった。
動いたのは十五分が経った頃だった。
坑道の奥から低い唸り声。それが近づいてくる。足音。ナガノが手を上げた。全員が静止した。
一頭目が出てきた。前回の偵察で想定した大きさの個体だった。煙で目が霞んでいるらしく、まっすぐ走らず右に傾きながら出てくる。
「右から右へ」
ガンが左側から大きく手を振って視線を誘導した。鉱山師二人が右方向で木を叩いて音を立てる。
ゴンッ、ゴンッ。
個体が右方向に向いた。右の低木地帯を目指して走り去った。
「一頭」
カイが息を吐いた。
「続けてください」
薪を二束追加した。坑道の奥からまた音がした。
二頭目が出てきた。
これが大きかった。
体格が一回り大きく、目が赤く、煙で苛立っているのが全員にわかった。出てくるなり周囲を見回し——ガンの方向に向かって低く構えた。
「下がれ」
全員が後退した。大型個体がガンの方向に向かって動き始める。ガンが横に飛んだ。ナガノが反対側から音を立てた。個体の視線がわずかに分散する。
そこで——鉱山師の一人が岩で滑った。
ズルッ。
足がずれた。岩の陰から出てしまった。大型個体が向きを変えた。ずれた方向に向かって速く動き始める。
カイが「左から!」と言おうとした。間に合わない。
アサが動いた。
作戦範囲の外、草地の端に待機していたアサが——採集のかごの中身をばら撒いた。乾燥した薬草の束と、木の端材がいくつか。ちょうど風が吹いていた。薬草の強い匂いが広がった。
大型個体が止まった。
鼻を動かして匂いをかいだ。警戒しているのか、好奇心なのか、判断がつかない間が一秒あった。
その一秒でガンとナガノが動いた。左右から大きな音を立てた。個体の注意が分散する。滑った鉱山師が体勢を立て直した。大型個体が走り出す方向が変わり、北東の草地へ走り去った。
静かになった。
全員が少し動かなかった。煙がゆっくりと流れ出た。
「二頭」
カイが指を折った。
「これで全部のはずだ」
しばらく待ってから入口に近づいた。中から音はしない。
「出た」
「出ましたね!」
スズが声を上げた。作戦開始からずっと声を抑えていたぶん、少し大きな声になった。
「静かにしろ」
ガンは止めなかった。
ナガノが滑った鉱山師を確認した。打ち身はあったが怪我はなかった。「次は気をつけろ」と短く言い、次の確認に移った。
その鉱山師がアサに頭を下げた。
「助かった」
アサはかごを抱えたまま固まった。
ナガノもアサを見て、短く言った。
「良い判断だった」
「……はい(一拍)ありがとうございます」
「ナガノさんからも褒められましたよ。今日はすごい日です」
スズが小声で続けた。
「アサさんって、こういう時のためにいたんですね」
「そんな言い方……」
アサが困った顔をした。
「愛情込みです」
スズが言い切った。アサがかごを拾い集める。スズが手伝いながら言った。
「すごかったです」
「偶然です」
「偶然でも動けたのが大事じゃないですか」
「……薬草の匂いで止まるかもしれないとは思っていましたが、確証はなくて」
アサが少し考えた。
「体が先に動いていました」
「体が先に動くのって、私もそうなんですけど」
スズが首を傾げた。
「でも私のは考えなしに動いてるだけで、アサさんのは知識があった上で動いてた。全然違います」
「そうでしょうか」
「そうです」
スズが言い切った。そこへセリが来た。
「よかったです」
「……はい(一拍)」
セリが静かに頷いて、何も言わずに立ち去った。
「セリさんが『よかった』って言うの、珍しいよね」
「そうなんですか」
「うん。褒め言葉が少ない人なので、その分重いんです」
アサがもう一度「はい(一拍)」と言った。今度は少し表情が違った。
帰り際に、カジキが廃坑の入口を確認した。
煙の匂いが残る坑道を見て、入口の周辺の爪痕を見て、鉱山師の話を聞いた。それだけの確認を静かに行った後、カイに向かって言った。
「……合格だ」
それ以上は言わなかった。視線が一瞬、カイの目を捉えただけだった。
「礼は言わないのか」
ガンが横で小声を漏らした。
「言ってます、言ってます」
カイも小声で返す。
「どこで」
「目で」
「目で言えるのか」
「カジキさんのああいう顔が、最大の褒め言葉だと思うので」
「カジキさん式の褒め方って、カイさんにしかわからないと思います」
スズが小声で割り込んだ。
「ロマンがないよね」
「違います。ちゃんと伝わっています」
カイが首を振った。
「伝わり方が静かなだけです」
「カイさんって、静かに全部わかってるんですよね」
スズが小さく笑った。
「愛情込みです」
便利な言葉である。今日一日で三回目だった。
「……お前は父親に似てきたな」
ガンの声は低く、カジキには聞こえなかった。ここから先は、誰の耳にも入らない。
「そうですか」
「長い話の後で言うことじゃないが。そうだと思った」
カイが何も言わなかった。ガンも何も言わなかった。春の草地を、廃坑から離れる方向へ歩いた。




