第34話 廃坑の近くまで、もう一度
前回の偵察から一年以上が経っていた。
出発前に全員が集まって確認した。
「去年と違う点をまとめます」
カイが指を折る。
「まず草が深い。春なので去年の秋より視界が悪い。次に、カジキさんの話によれば行動域が広がっている。縄張りが以前より外に出ている可能性がある。最後に、今回は作戦の事前調査なので、戦闘は避けること」
「わかってる」
「念のためです」
「わかってるが、言いたいことはある」
「なんですか」
「今日の偵察の一番の目的は何だ」
「通気口の確認です」
「そうだ。入口の状況より、通気口の場所と塞げるかどうかの確認が先決だ。入口から煙を入れても、逃げ道が確保されていなければ、個体が予期しない方向に出てくる」
「通気口の確認、帳簿に書きました」
「……お前は本当によく書くな」
「大事なことは書かないと忘れます」
「俺は書かなくても忘れない」
「ガンさんは書かなくても忘れないと思いますが、私は書かないと忘れます」
「書いてあれば他の人間が読めるな」
ミコトが口を挟んだ。
「そうです」
「……まあ、行くぞ」
道は覚えていた。三ツ辻を出て北西へ進み、カネヅカへの道から一本外れた低い丘陵を越える。去年は秋の終わりで、草が枯れて見通しがよかった。今回は春の盛りで、草がすでに腰の高さまで伸びていた。
「前回より草が深い」
ガンが草を掻き分けた。
「春ですから」
スズが応じる。
「草毛獣には気をつけた方がいいですよ。春は活発に動く季節で、子育ての時期でもあるので縄張り意識が——」
「わかっている」
「わかってますか」
「わかっている」
「わかってると聞いてましたけど、毎回言ってしまいます。癖みたいなものなので」
「直せ」
声の感じは怒っていなかった。目は前を向いたままだった。怒鳴り声のなりをした相槌である。
「ガンさんって、怒鳴りながら全然怒ってない時がありますよね」
スズが続けた。
「そんなことはない」
「いまのが、まさにそれです」
「……歩けるか」
リュウがしゃがみ、指で土をなぞった。
「足跡があります」
「草毛獣か」
「草毛獣と……もう一種類。少し大きい。爪の形が違う」
「鎌爪竜か」
「可能性があります。向こうは廃坑方向です。こちらに向かってはいない」
全員が少し足を止めた。
「廃坑から出てきている、ということは」
「行動域が広がっているという話と一致します」
「先を急ごう」
ガンが草の先を見据えた。
「見つかる前に確認を済ませる」
廃坑の周辺に近づくと、すぐに違いがわかった。
爪痕だった。
前回の偵察で確認した範囲より、明らかに広い。木の幹に入った爪痕の数が多く、しかも高い位置のものが混じっていた。ミコトが一本の木の前で止まり、腕を伸ばした。
「一番高いのが……二メートル八十は超える」
「前回より高い」
「大型の個体が来た、ということだ」
ガンが幹を見上げた。
「大きいと三メートル近くなる。それが一頭、少なくとも。縄張りの範囲も広がっているはずだ」
リュウが地面を見ていた。
「足跡の形が二種類あります。一つは前回と同じくらいの大きさ。もう一つは一回り大きい」
「記録してくれ」
「しています」
リュウが紙に書き付けた。
「あと——」
リュウが立ち上がり、廃坑の入口方向を見た。
「煙の臭いを感じます。微量ですが」
「坑道の中からか」
「鎌爪竜は体温が高い。古い坑道に溜まった有機物と組み合わさって、微量の気体が発生することがある、という文献を読んだことがあります」
「確証はあるのか」
「ないです」
「だったら後で言え」
「でも情報として持っておくのは——」
「後で言え」
「……わかりました」
少し間を置いて、付け加えた。
「後で言います」
「今言った」
「後でも言う、ということです」
言うなと言われた情報を、必ず後で言う男である。ここだけは一年経っても変わらない。
廃坑の入口は、前回と変わっていなかった。
石を組んだ入口の縁に、爪痕が新しく重なっている。中から暗い空気の流れがあった。音はない。ガンが入口から二歩踏み込み、すぐに戻ってきた。
「二頭はいる。奥の方に気配がある。もう一頭は奥の分岐を越えた先にいるかもしれない」
「通気口の確認に行きましょう」
通気口は廃坑から斜面を登った先の岩場にある。前回確認した場所だった。地図に記録してある。斜面を上がり、岩場を越えたところで——スズが立ち止まった。
「あれ」
スズが眉をひそめた。
岩の間から突き出した通気口が一つ。前回と同じ場所にある。しかし、その近くに、前回はなかった爪痕が地面に刻まれていた。いくつも。まるで何かがそこを出入りしたように。
「通気口から出入りしている……?」
「測ろう」
ミコトが紐を取り出して穴の径を測った。手早く、二度計り直す。
「直径で……約六十センチ。大型の個体は通れないが、若い個体なら通れる可能性がある」
「若い個体というのは」
「一年以内に生まれた個体なら体格が小さい。仮に廃坑の中で繁殖が起きていたとすれば——」
しばらく全員が黙った。岩場の風が、通気口の縁で低く鳴っていた。
「繁殖が、廃坑の中で」
スズがつぶやいた。その沈黙の後で、小さく漏らす。
「……名前を考えたくなってしまいますね」
「考えるな」
ガンが即座に遮った。
「考えていません。考えたくなっただけです」
「同じだ」
「同じじゃないです。考えたくなる、は気持ちであって、考える、は行動なので」
「言葉遊びをするな」
「言葉遊びじゃなくて区別です」
スズが少し間を置いた。
「……名前、つけたとしても、かわいい名前にはしないです」
「なんで言う!」
「可能性の話だ」
ガンが咳払いをした。
「ただし通気口から出入りしている痕跡は事実だ。塞ぐ前提で計画を立て直す必要がある」
「若い個体がいた場合、追い出す難易度は上がりますか」
「上がる。煙に敏感かどうかわからないし、親が攻撃的になる可能性がある」
「……それは変数が増えますね」
「そういうことだ」
「鎌爪竜って、廃坑で繁殖するものなんですか」
リュウが眉根を寄せた。
「記録を見たことがないです。これは——」
「後で言え」
「今回のは重要な情報では」
「帰ってから言え。今は確認を続ける」
「……はい」
リュウが紙に「帰ってから言う重要なこと:廃坑での繁殖の可能性」と書き込んだ。
「書いたのか」
スズがのぞき込んだ。
「後で言うためです」
「確かに確実ですね」
「お前ら歩けるか」
ガンの声に、一行は岩場の先へ進んだ。
帰り道、カイはミコトに話しかけた。
「廃坑の問題、カネヅカにとっては経済的な話でもあると聞きました。機材が戻れば採掘が再開できて、カネヅカの収入が回復する」
「三ツ辻にとっての意味は何だ」
「カジキさんとの関係が変わるかもしれない。去年は『頼む』という感じだった。今年、実際に動けたなら——」
「対等に近づく、ということか」
「そうなるといいと思います」
ミコトが少し考え、メモを取り出した。
「記録しておく」
「後で読み返した時に、今の判断が正しかったかどうかわかるから」
「ありがとうございます」
「カイ、帳簿に書くのと、俺が記録するのと、二重になっているが問題ないか」
「問題ないです。同じ出来事を違う視点で書くと、後で見た時に一方だけでは気づかないことが出てくると思うので」
「なるほど」
ミコトがメモを閉じた。
「合理的だ」
後ろでリュウが口を開いた。
「廃坑で繁殖した場合の——」
「帰ってから」
「……はい」
そのさらに後ろで、スズがリュウの袖を軽く引いていた。帰ってから、だよ、と口だけで言っている。リュウは頷きながら、紙の端に小さく何かを書こうとしていた。スズがその手元を見て、もう一度袖を引いた。リュウさんって、書いてないと不安になるんだよね、と口だけで言った。リュウが小さく、そうです、と口を動かした。スズが、それはわかる、と返した。声のない掛け合いである。
帰り道は、来た時より少し静かだった。
三ツ辻に戻ると、ハナが食堂に汁物を用意していた。今日はアサが朝に採ってきた薬草が入っていて、乾燥肉だけだった去年の春と違う香りがした。全員が腰を下ろした。
「いい匂いだ」
「アサさんが持ってきてくれたものです」
ハナがお玉を止めた。
「……大したものじゃないんですが」
アサが小さく言った。
「大したことある」
スズが椀を受け取った。
「一年前には、この匂いがなかった」
カイが帳簿を開いた。作戦の変更点を書き留めながら、通気口を塞ぐ仮設壁の材料と、カネヅカへの連絡の段取りを整理した。日取りは来週には決められる。




