第33話 鎌爪竜作戦、準備を始める
カジキが来たのは春の半ばだった。
前回のように三集落の代表が揃っての来訪ではなく、カジキ一人に鉱山師が一人ついた、仕事だけをしに来た来訪だった。挨拶が短い分、話が早い。荷物も少なく、泊まるつもりのない段取りで来ていた。
「廃坑の周辺に残っている採掘機材がある。今年中に回収したい。そのためには鎌爪竜を追い出す必要がある」
カジキが卓上に手をついた。視線はそのままガンとカイに向いている。
「去年と違うのは、個体数だ。増えている可能性がある」
「増えているというのは」
ガンが目を細めた。
「行動域が広がっている。縄張りを示す爪痕が、以前より広い範囲についている」
「大型の個体が新たに入ったか、群れが増えたかのどちらかです」
リュウが身を乗り出した。
「去年の記録と比較したいんですが、爪痕の高さの変化はわかりますか」
「わかる」
カジキが帳簿を取り出した。カイも帳簿を出す。二人が並んで帳簿を突き合わせているのを、鉱山師が少し驚いた顔で眺めていた。集落の長と若い管理者が、同じ道具で同じ字を書いている。それだけで奇妙な絵面ではある。
「判断はあなたたちに任せる」
カジキが続けた。
「追い出してくれれば、機材の回収は私たちがやる」
「偵察が先だ」
ガンが腕を組んだ。
「実際に見ないと何もわからない」
「もちろんだ。偵察の段取りはそちらで決めてくれ。うちからも人を出す。何人要る」
「三人いれば助かる。坑道の構造を知っている人間が一人は欲しい」
「出す」
カジキはそれだけ言った。帳簿に何かを書いた。カイも書いた。カジキがちらりとカイの帳簿を見た。
「……帳簿を使っているのか」
「ドウさんに教わりました」
「ドウ、というのはあの管理係か」
「はい」
「……なるほど」
カジキが何か言おうとして止めた。少し表情が動いたが、感想は言わなかった。この男の顔が動くのは、年に数えるほどである。
「では偵察の日取りが決まったら連絡をくれ。人員の調整をする」
「わかりました。一週間以内に連絡します」
「よろしく頼む」
それだけで話が終わった。カジキが「では」と立ち上がった。鉱山師がついて出ていった。
「短い会議でした」
ドウが息をついた。
「でも全部決まりましたね」
「記録が揃っていると話が早い」
「帳簿のことを言ってるんですか。教えた甲斐がありました」
「カジキさんに褒められていましたよ」
「えっ」
ドウが驚いた顔をした。
「あの方が褒めていたんですか」
「直接は言っていませんが、なるほど、という顔をしていました」
「それは褒めているんですか」
「カジキさんにしては、だと思います」
ドウがしばらく考えた。
「……嬉しいような、よくわからないような」
「それで評価になるんですね、この集落は」
「なると思います」
「では、なるほど、という顔も帳簿に入れておきます」
「それは入れなくていいと思います」
翌日の夕方、ガンがテーブルに地図を広げた。
一年前にカネヅカから依頼を受けた時に使った偵察の記録が、地図の片隅に書き込まれていた。廃坑の入口の位置、通気口の位置、当時の爪痕の範囲。ガンが指で線を引く。
「問題は出口が二ヶ所あることだ。入口から煙を送り込んで追い出す作戦はシンプルだが、逃げた個体が通気口から出てくる」
「通気口を塞ぎながら煙を入れる、ということはできますか」
「できる。ただし通気口を塞ぐには仮設の壁が要る。廃坑の通気口というのは坑道の抜け道で、地面から突き出した穴だ。周囲の地形によっては、塞ぎやすいものも塞ぎにくいものもある」
「現地を確認しないとわからない、ということですね」
「そういうことだ。それと——」
「煙の量の計算をしてみました」
リュウが割り込んだ。全員がリュウの方を向く。来た。紙を取り出す音がした。
「廃坑の坑道の容積を前回の偵察から推算して、充分な煙を送り込むのに必要な薪の量を計算しました。まず坑道の断面積ですが、一般的な採掘坑道の規格から推算すると幅二メートル、高さ二メートル程度です。去年の偵察でガンさんが見た範囲から坑道の長さを推定すると、最低でも五十メートル。つまり容積は二百立方メートル以上。次に煙の充満に必要な薪の燃焼量ですが、一束の乾燥薪が燃焼する際の……」
「リュウ」
「はい」
「要点だけ言え」
「要点は七つあります」
ガンが額に手をやった。去年と同じ位置に手が乗った。
「七つ全部言うんですか」
スズが目を丸くした。
「一年前から変わってないじゃない」
「大事なことは七つある時もあるんです」
「リュウさんって、危ないことを調べる前に目が輝くんですよ。今もなってますよ、そのお顔」
「関係ないです!」
「少なくとも最初の三つは重要です」
「一番大事なのは何番」
「……二番です。薪の必要量についてです」
「二番を先に言えばよかった」
「一番も前提として必要で——」
「リュウ」
ミコトが遮った。
「薪が何束必要だ」
リュウが少し考えた。
「三十束以上です。ただし坑道の深さや形状が変わっていれば、計算もやり直しになります」
「それを最初に言え」
「それが七つ目の要点です」
「……七番目に来るな」
「リュウさんの話の構成って、大事なことが後ろにある傾向がありますよね」
「後ろに来るんじゃなくて、前の六つを経て七つ目が意味を持つんです」
「でも聞いてる方は、七番目まで辿り着く前に途中で……」
「寝そうになる」
「寝ていないです!」
リュウが声を張った。
「全員起きていました」
「起きていたが、寝そうだった」
全員、目は開けていた。魂が半分抜けていただけである。
「……改善します」
リュウが紙を折りたたんだ。手の動きが少し悔しそうだった。
「三十束以上、が今日の結論です」
話し合いの終わりに、マタが来た。
カネヅカ出身の建設担当で、ケンが帰った後に新たに来た人間だった。がっしりとした体格で、手が大きい。挨拶はうなずきだけ。来た初日からそうだったし、二週間経った今もそうだった。
「マタ」
クワが向き直った。
「通気口を塞ぐための仮設壁の話だ。板と土を使う想定だが、廃坑の現地に行ったことはあるか」
マタが首を横に振った。
「資材の搬入路に傾斜があると難しい。現地を確認してから材料を選ぶ方がいい」
マタがうなずいた。
「それでいいか」
マタがうなずいた。
「……お前らは会話ができているのか」
ガンが眉を寄せた。
「できています」
クワがうなずく。マタもうなずいた。無口な男が二人並ぶと、うなずきだけで一日が終わる。
「何も言っていないのに」
「言葉のない部分で伝わっています」
「何が伝わっているんだ」
「今のやり取りでは、現地確認してから材料を決めるという方針に合意した、という内容が」
「マタが言ったのはうなずきだけだったが」
「うなずきで言っています」
「……ちゃんと伝わっているかどうか、試してもいいか」
クワとマタが顔を見合わせた。二人ともうなずいた。
「これは許可ということか」
「そうです」
クワが応じる。マタがうなずいた。
「では俺が質問する。マタ、この仮設壁の仕事だ。通気口を塞ぐための板と土の壁を現地で組む。三日でできるか」
マタが少し考えてから、小さくかぶりを振った。
「五日か」
マタが少しうなずいた。
「まあわかった。会話はできている」
ガンが息をついた。
「よかった」
「何が心配だったんですか」
スズがのぞき込んだ。
「心配してたんですね、ちゃんと」
「うるさい! 仕事の話が通じているかどうかが、心配だったんだ」
「素直に言えばよかったじゃないですか、最初から」
「言っている。仕事の話が通じているかどうかが、と言った」
「そういう意味じゃなくて……」
スズが口を閉じた。そして、にやりとした。
「なんだその顔は」
「クワさんがいれば通じるでしょう」
「まあ、そうだな」
クワがうなずいた。マタもうなずいた。
「私もこの会話に参加できますか」
クワとマタが顔を見合わせてから、二人そろってかぶりを振った。
「……え、なぜですか」
「まだ早い」
クワの返事に、マタがうなずいた。無言二人衆への入門には、資格が要るらしい。
「基準が謎だね」
スズがこぼしたが、二人はもう作業に戻っていた。
偵察の日取りは五日後に決まった。
「前回の廃坑偵察から一年以上だね」
スズがカイの隣に並んだ。
「そうですね」
「前回は草が枯れていた時期でした。今回は春で草が深い」
「気をつけながら進みます」
「草毛獣が多い季節でもあるし、鎌爪竜も春は活発に動くらしいし……あと、廃坑の近くって蛇も多いんですよね」
「なぜ急に蛇の話が」
「いや、なんとなく。怖いことを事前に全部出しておいた方が、当日落ち着いて動けると思うので」
「お前、出発前にいつもそうやって怖いことを並べるよな」
ガンが横から口を挟んだ。
「準備なのか不安なのか、どっちだ」
「どっちもです。ガンさんって、気づいてたんですね」
「一年以上見てたら気づく。次に何が来るか、だいたいわかってきた。止める準備はしてある」
「止めなくていいです!」
「あと……廃坑の鎌爪竜って、去年と同じ個体もいると思うんですよ。一年間あそこにいたんだとしたら、なんか」
「なんか、というのは」
「すごいですよね」
スズが空を見上げた。
「一年間、同じ場所で頑張って生きてたんだな、って」
「追い出すんですが」
「わかってます。でも思っちゃいますよね」
スズが少し笑った。
「まあ、向こうも同じことを思っているわけじゃないし。縄張りを広げるくらい元気ならいいと思います。別の場所で、元気でいてほしい」
「まあ、そうですね」
カイが帳簿の準備日程のページを開いた。追い出す相手の長寿を祈る斥候が、この世に何人いるだろうか。少なくとも三ツ辻には一人いた。




