第29話 三集落が、拠点を見る目が変わった
三集落の代表が揃って三ツ辻を訪れたのは、針鼠狼を追い払ってから半月ほど後のことだった。
来る、という知らせは三日前に届いた。三集落からそれぞれ別の隊商の荷に挟まれた手紙で、同じ日に届いた。三通を並べて、ドウが首をひねる。
「奇妙な偶然ですね」
「おそらく相談して日程を合わせたんだと思います」
カイが返した。
「なぜ合わせたんでしょう」
「そういう時期だということだと思います」
それ以上の説明はなかったが、ドウには伝わった。何かが変わった、ということを、集落側も感じているのかもしれなかった。
※
ヤエが最初に来た。
以前と同じ装いだった。藍染めの作務衣、何度も繕った跡、骨甲の先端をつけた杖。四日かけて歩いてきた疲れが顔にはあったが、目は変わらず鋭かった。
拠点を見渡した。一年前に視察した時と同じように、最初に建物を数えた。次に柵を確認した。見張り台を見上げた。
「大きくなりましたね」
感想のような、確認のような言い方だった。一年前と同じ場所に立って、一年前より高くなった見張り台を見上げていた。
「見張り台を高くしました。今は八メートルです」
ドウが言った。
「橋もできたとか」
「ナル川に。今はハラダとの往来が安定しています」
ヤエがもう一度拠点を見渡した。
「ここに来た時、いつも思うことがある。最初に来た時、正直、長続きしないと思っていた」
ガンが横に立っていた。一年前にここでヤエと口論した時と同じ場所に立っていた。
「長続きしてるな」
「していますね」
ヤエがガンを見た。
「あなたたち、本当にやるのね」
「え」
ガンが間の抜けた声を出した。
「本当にやるのね、と言いました」
「……今なんて言いましたか」
「聞こえなかったの」
ヤエが返した。
「なら言わない」
ガンが口を開けたまま固まった。スズが横でこらえていた。リュウがノートを出した。ミコトは何も言わず前を向いていた。カイが「続きをどうぞ」とドウに小声で言った。
ヤエの最大級の褒め言葉は、一度きりしか流れない仕様らしい。聞き逃した者に、二度目はない。
「ガンさん、嬉しそうな顔をしているのに困っていますよね」
後でスズがこっそり寄ってきた。
「見ていたのか」
「全員見ていましたよ」
※
カジキが昼前に来た。馬に乗って来て、馬を降りるなりまず見張り台の高さを測るような目で見た。それから柵の骨甲板の固定具合を拇指で押した。
「前回より強度が上がっている」
評価でも批判でもない、確認の言い方だった。
「補修を重ねました」
クワが言った。
「この柵、うちが送った小釘を使っていますか」
「はい。一本も無駄にしていません」
「……まあ、良いでしょう」
カジキが少し間を置いた。それがカジキの最大の褒め言葉だとわかるようになって、もう一年が経つ。褒め言葉の相場が集落ごとに違うのも、この一年で覚えたことの一つだった。
食堂の小屋で向かい合った時、カジキがいつも通り両手を卓上に置いて前のめりになった。
「草毛獣の件、橋の件、針鼠狼の件。三つの依頼をこなした。数字で言えば、農地被害はゼロになり、川向こうへの偵察路が確保され、針鼠狼を追い出したことで薬草採取量が戻った。拠点への投資が結果を出している」
カジキが続けた。
「それと、隊商がここで薬草を買えると広まっている。うちの取引先の一つがここで調達したと聞いた。通過するだけだった場所が、立ち寄る理由のある場所になっている」
「最近そういう話が増えてきました」
ドウが言った。
「良いことだ」
カジキが短く。
「拠点が物の流れの中に入れば、三集落にとっても意味が出る」
「ありがとうございます」
「礼はいい。むしろこちらから聞きたいことがある」
カジキが卓の上で身を乗り出した。視線がカイをとらえる。
「坑道の鎌爪竜の件、続報はないのか」
「現状維持です」
カイが言った。
「定期的に偵察して、個体数の変化を確認しています。今すぐ動ける規模ではないですが、状況は把握しています」
「いつ動けますか」
「……もう少し時間をください。作戦を詰めています」
「カジキさん」
カイが横を見た。ガンが自分から口を開くとき、大体いいことを言う。それをカイはここ半年でわかってきていた。
「針鼠狼の作戦で学んだことがある。追い出す前に状況を十分に理解しないと、余計に時間がかかる。今は理解を積み上げている段階だ」
カジキが少し間を置いた。ガンを見る。
「……そうか。続報を待つ」
カジキが続けた。
「待つ代わりに、必要な数字を送れ。偵察の間隔、確認した頭数、通気口の数、使える煙の量。作戦に入る前に、こちらで坑道を何日止めるか決める」
「わかりました」
「止める日数がわかれば、カネヅカ側も準備できる。急がせるためではない。止めるために必要だ」
ガンが少しだけ肩の力を抜いた。
「それなら、出します」
「出せ」
カジキが言った。
「数字は待てる。曖昧な返事は待ちにくい」
※
ナルセが夕方に来た。
白髪を後ろに束ねたいつもの格好で、大きな布袋を肩から下げていた。杖はついていなかった。六十代の語り部にしては足取りが軽く、拠点に近づいてくる姿が遠くからでも穏やかな感じがした。
カイが出迎えに行くと、ナルセが目を細めた。
「大きくなりましたね」
ヤエと同じ言葉だったが、声の温度が全然違った。
「一年経ちました」
カイが言った。
「お父さんが志願した時も、こんな顔をしていたかな」
独り言のような言い方だった。
「でも違うか。あなたは迷っていない顔をしている」
「迷っていないですか、私」
「迷う暇がなかったんでしょう」
ナルセが笑った。
「それはそれで良いことですよ」
食事の後、ナルセがカイの隣に座った。三集落の代表が揃うのが珍しいのか、常駐メンバーがほぼ全員食堂に残っていた。ヤエが端に座ってお茶を飲んでいた。カジキが帳簿の数字を確認していた。
ナルセが椀を両手で包んだ。
「南の石柱に行きましたね」
「はい。去年の秋に」
「何か読めましたか」
「少し。外部環境制御のサブノードという言葉が読めました」
ナルセが少し目を細めた。
「わかりましたか、その言葉の意味」
「まだわかりません」
「お父さんもそう言っていました」
ナルセが言った。
「でもあの方は、意味がわからなくても記録していた。あなたも記録していますか」
「しています」
「それで十分です」
ナルセが火を一度見てから続けた。
「お父さんが見ていたら、何か言いそうだな」
「何を言いそうですか」
「さあ」
ナルセがまた笑った。
「でもたぶん、嬉しそうな顔をすると思います」
※
三集落の代表が揃って拠点に泊まった夜、カイは焚き火の前に座っていた。
ミコトが隣に来た。
「今日、ガンが褒められていましたね」
カイが言った。
「聞こえなかったと言っていた」
「聞こえていましたよね」
「聞こえていた」
ミコトが少し間を置いた。
「ガンは素直に受け取れないだけだ。……あれがあいつの普通だ」
「ミコトさんは」
カイが問うた。
「こういう場所に来て一年、何か思うことはありますか」
ミコトが少し考えた。珍しく、少し時間がかかった。
「カネヅカにいた時は、弓を引く仕事しかなかった。ここに来て、地図を作る仕事が増えた。地図は、弓とは別の種類の精度が要る。その精度を上げることが面白いと思っている」
「それが来てよかった理由ですか」
「そうだ」
カイは「なるほど」と言った。ミコトらしい答えだと思った。
「カイは」
ミコトが問うた。
「来てよかったと思っているか」
カイは少し考えた。焚き火が揺れていた。
「思っています」
カイが言った。
「理由はまだ全部わかっていないですが」
「それはそれで正直だ」
ミコトが言った。




