第28話 針鼠狼を、本気で追い出す
ガンが設計に二週間かけた。
毎晩、食堂の小屋で地図と格闘していた。音響罠の設置ルートを書き直し、誘導柵の位置を変え、翌朝の巡回で確認して、また書き直した。リュウが「草毛獣の誘導の時も同じことをしていましたね」と言ったら、ガンが「今は違う」と返した。
「何が違いますか」
「あの時は失敗してから学んだ。今回は失敗する前に考えている」
「それは成長ですね」
「うるさい」
リュウが「ほめています」と言い、ガンが「ほめ方が感じ悪い」と言った。
そういうやり取りをしながら、設計は仕上がった。
作戦は三段構えだった。
まず補修した音響罠を縄張りの前縁に再設置する。次に、縄張りの東側と西側に「入りにくい柵」を置いて、針鼠狼が動ける方向を絞る。最後に、南の森の奥側——針鼠狼が本来いたはずの場所——に向かって誘導路を作る。音で怖がらせながら、行ける方向は奥だけ、という状況を作る。
「完全な排除じゃない」とガンは全員に説明した。地図の上に指で線を引きながら言った。「森の奥に追い返す。縄張りをもとの位置——森の内側——に戻す。それが目的だ」
「追い出した後、また戻ってこない?」とスズが聞いた。
「戻ってくる可能性はある」とガンは言った。「その時はまた追う。一回で終わりにはならない。でも今は道が使えなくなる前に対処するのが先だ」
「わかりました」とカイが言った。「全員で動きます」
作戦当日は朝から晴れていた。
春の明るい光の中で、五人が森の縁に向かった。音響罠の最終確認をして、誘導柵の位置を調整した。設置しながら、誰も余計なことを話さなかった。緊張しているというより、やることが決まっているから余分な言葉がなかった。
昼前、ガンが「始めます」と言った。
まず音響罠を一斉に鳴らした。ガンが蔓縄を引いた。連動した嫌音鈴が端から端まで波のように鳴り渡った。甲高い音が森の縁に向かって広がった。
森の中で動く音がした。
草を踏む音。低い唸り声。一頭ではなかった。
「来ます」とスズが小声で言った。音ではなく足の感触で感じ取った。「三頭。東からと西から。正面からも来ます」
ミコトが弓を構えた。威嚇のための矢だった。頭を狙わない、足元の地面に近い場所を目標にした。矢筈を耳まで引いて、息を一度止めた。
一頭目が森の縁から出てきた。体長一メートル半、肩の高さが膝くらいの、灰茶色の体。針状の体毛が立っていた。鼻を動かして空気を確認した。音がする方向——東側の柵の方向——を向いた。
「誘導柵の前に出ました」とリュウが小声で言った。「まだ入っていない。様子を見ています」
「待ちます」とカイが言った。
二頭目が出てきた。最初の個体の横に並んだ。三頭目は少し後ろに控えていた。
しばらく三頭が動かなかった。音響罠の音がまだ鳴っていた。
一頭目がゆっくりと西側に動いた。誘導柵の外縁に沿って、南の方向——森の奥側——に向かって歩き始めた。二頭目がそれに続いた。三頭目が最後に動いた。
「動いた」とガンが低い声で言った。「狙い通りだ」
三頭が森の縁に沿って南に移動し、誘導路の入口に入った。ここから先は音響罠と柵に誘導されて、森の奥へ続く。
その時、一頭が予想外の方向に動いた。
誘導路を外れて、東側に向かった。東側の柵の隙間から出ようとした。隙間はなかった。行き止まりになった。
行き止まりに当たった針鼠狼が、向きを変えた。
カイの方を向いた。
距離は十メートルほどだった。
カイは動かなかった。正面を向いたまま立っていた。足が動かないというわけではなかった——動いたほうがいいかどうかを考えていた。背を向けると追ってくる。動いても追ってくる可能性がある。正面を向いたまま、距離を保つ。
針鼠狼が鼻を動かした。体毛の針が立ったままだった。
カイは松明に火をつけた。腰に下げていた発火具で、二回で火がついた。炎を前に出した。針鼠狼が一歩引いた。
「カイ」とミコトが低い声で言った。「動くな」
「動いていません」
「左に三メートル、岩がある。岩の後ろに下がれ」
カイは正面を向いたまま、左にゆっくり動いた。三歩、五歩。岩の縁に背中が当たった。これ以上は後ろに下がれない。
ミコトが矢を放った。
針鼠狼の足元、三十センチ先に矢が刺さった。針鼠狼が飛び上がった。方向を変えた。誘導路の方向に走った。
そのまま森の奥に消えた。
全員が揃った位置に戻った。
ガンが「全頭、確認できましたか」とリュウに聞いた。
「三頭、全部森に入りました」とリュウが答えた。「少なくとも今日は完全に追い返した。縄張りの前縁を越えてこなかった」
「成功したんだね」とスズが言った。
「今日は成功した」とガンが言った。「来週また確認する。定着するかどうかはまだわからない」
全員が少し黙った。緊張が抜けた後の静けさだった。
「やった」とスズが言った。特に誰かに向けた言葉ではなかった。ただ言いたかったのだろう。
「ガンさん、設計が当たった時の顔、嬉しそうだよね」とスズが、ガンの顔を覗き込みながら言った。
「どんな顔だ」
「今の顔です」
「……今は普通の顔だ」
「それが嬉しそうな顔ですよ、ガンさんの場合」
ガンが「うるさい」と言ったが、反論はしなかった。視線も逸らさなかった。
スズがカイの方を向いた。「カイさん、正面から対峙してたけど」
「していましたね」
「怖くなかったですか」
「怖かったですよ」とカイは言った。「ただ、大丈夫な気がしていました」
「根拠は」
「なんとなく」とカイが言った。
ガンが「根拠がそれか」と言った。
「なんとなく、というのが一番あなたらしいですね」とリュウが言った。
「よく言われます」
ミコトが何も言わなかった。ただ弓を背に戻して、先に歩き始めた。
歩きながら、スズがガンの隣に並んだ。「ガンさん、今日の設計、よかったよ」
「……なんで急に」
「よかったと思ったので言いました。音響罠と誘導柵の組み合わせ、去年より明らかに精度が上がっていました」
「去年は失敗した」とガンは言った。「失敗した分だけ考えた」
「でも失敗してなかったら今日の作戦がなかったですよね」
「それはカイが前に言っていた話だ」
「ガンさんが実証したんだね」とスズが言った。
ガンが「……まあ」とつぶやいた。それ以上は言わなかった。でも歩き方が少し軽くなった気がした。
拠点に戻ると、ドウが「どうでしたか」と帳簿を持って待っていた。
「今日は何も壊してない」とスズが、笑顔で先に言った。
ドウが少し間を置いた。「……壊れたものがあるかどうかは聞いていませんでしたが」
「言っておいたほうがいいと思って」
「追い払いました」とカイが言って話を戻した。スズの背中を一度叩いて、自分が話す番だと示した。「今日の時点では、縄張りの前縁から森の内側に引き返させることができました。定着するかどうかは来週確認します」
ドウが帳簿に書いた。日付と、「針鼠狼、森の内側に退かせた。経過観察中」という一行。
「ハラダへの道は」
「今のところ問題ないはずです。もう少し様子を見てからハラダに報告します」
「わかりました」とドウが言って、帳簿を閉じた。閉じる前にもう一行書いた。「ガンの設計が機能した」という一行だった。
ガンが横から「余計なことを書くな」と言った。
「事実です」
「……まあ」とガンはまた言った。
三週間後、ハラダからの使いが来た。隊商に同行して、南西の方角から到着した。
「薬草採取ルートの南西区間を確認しました」と使いは言った。「去年は近づけなかった場所に入れました。針鼠狼の気配がほとんどなかった」
「ありがとうございます」とカイが言った。
「こちらこそ。ハラダからお礼の言葉を預かっています。薬師長が『ようやく仕事ができる』と言っていました」
ドウが帳簿に書いた。日付と、「ハラダ薬師長より感謝の言葉」という一行。
その一行だけだった。でも、その一行がここまでの全部の答えだとカイは思った。
ハラダの使いが帰った翌々日、カネヅカからの書状が届いた。隊商の荷に挟まれていた。
カジキの字だった。
「坑道の状況を確認したい。人間三人と馬三頭を送る。馬を野廻りに使ってかまわない。その間、人間は拠点の手伝いをする。野廻りが戻り次第、入れ替わりで帰す」
短い文章だった。数字と手順しかなかった。カジキらしかった。
「馬を借りられます」とカイがガンに言った。
「廃坑まで、馬があれば一日半で行ける」とガンが地図を見ながら言った。「往復三日。現地で半日使えば、四日もあれば戻れる」
「行けます」とスズが言った。待ちきれない声だった。
「お前が一番行きたそうだな」とガンが言った。
「行きたいです」とスズは正直に言った。「馬で遠出したことがない」
「偵察だ」とガンが言った。「遠出じゃない」
「わかっています。それでも行きたい」
カネヅカからの三人が来たのは、書状から五日後だった。
三人は三十代から四十代の男で、それぞれ馬の手綱を引いていた。先頭の男がカジキからの口伝を告げた。「馬の世話は我々がやります。飼葉も持ってきました。拠点の作業で使えるものがあれば言ってください」
クワがすぐに「使えます」と言った。補修が重なっていた時期だった。
その日の午後、カイとスズとミコトの三人が馬で北西に出発した。
馬の速さは、歩きとは別の世界だった。
スズが「速い」と言った。最初の丘を越えてすぐに言った。「こんなに速いんですね」
「黙れ、集中しろ」とミコトが前から言った。ミコトは馬に慣れていた。カネヅカ出身らしい乗り方だった。
「集中しています」とスズが言った。「感動しながら集中しています」
「両立するな」
カイは黙って手綱を持っていた。馬に乗るのは初めてではなかったが、遠出は初めてだった。足元を流れていく草地を見ながら、歩きで来ればここまで何日かかるか、頭の中で計算した。
一日半、カジキの見積もりは正確だった。廃坑に近づいたのは翌日の昼過ぎだった。
廃坑の入口は変わっていなかった。
前回確認した爪の跡がまだ残っていた。新しい跡もあった。深くて、力強い。入口の地面には糞の痕跡があった。リュウがいれば詳しく分析できたが、カイには「まだいる」ということだけわかった。
「声は」とミコトが小声で言った。
三人が耳を澄ました。
坑道の奥から、低く重い音がした。石が転がる音。続いて、何かが動く音。前回と同じだった。居着いている。
「頭数の確認は」とスズが聞いた。
「入口周辺の爪跡の高さにばらつきがある」とカイは言った。「成体と若い個体が混じっているのは変わらない。前回より爪跡の数が多い」
「増えていますか」
「増えているか、行動範囲が広がっているかのどちらかです」
スズが岩の上に登って、前回確認した通気口の方向を見た。「通気口、ここからは見えません。同じ場所にあると思いますが」
「確認できた分を記録します」とカイは言って、ノートを取り出した。爪跡の位置と高さ、糞の痕跡の範囲、音の方向。前回ガンが書き留めた記録と照らし合わせながら書いた。
帰り道、スズが「追い出せそうですか」と聞いた。
「まだわかりません」とカイが言った。「でも状況は変わっていない。増えてはいても、坑道に留まっている。今はそれだけ確認できれば十分です」
「カジキさんは焦っていますか」
「焦っていないと思います。数字を求めている。焦っているのとは違います」
ミコトが「カジキは合理的だ」と前から言った。「できない時期に無理をさせても損失が出るだけだとわかっている」
「ミコトさん、カジキさんのことをよく知っているんですか」
「カネヅカにいた時に何度か仕事をした」
「どういう仕事ですか」
「護衛です」とミコトは言って、それ以上は言わなかった。
馬の足が草地を踏む音だけがした。日が傾いていた。帰りも一日半、夕方には三ツ辻の見張り台が見えてくる。
拠点に戻ると、カネヅカの三人が補修の仕上げをしていた。クワが横で確認していた。
「終わりましたか」とカネヅカの男が聞いた。
「終わりました」とカイが言った。「報告書を書きます。カジキさんに渡してください」
その夜、カイはカジキへの書状を書いた。確認した内容を数字で書いた。爪跡の数、高さのばらつき、糞の範囲、音の方向。最後に一行加えた。「現状は把握しています。作戦の準備が整い次第、連絡します」
翌朝、カネヅカの三人が馬とともに出発した。書状を持って、来た道を北西に戻っていった。
見送りながら、スズが「また借りられるといいですね」と言った。
「機会があれば」とカイが言った。
「機会を作れますよ。カジキさんは合理的だと、ミコトさんが言っていました」
カイは「そうですね」と言った。馬の影が北西の丘を越えて見えなくなった。




