第25話 冬の準備
秋が深くなった。
朝の巡回から戻るたびに、空気が昨日より少し冷たい。草の色が黄から茶に変わり、低い灌木の葉が風に落ちていく。拠点の周囲に落ち葉が積もって、足元の音が変わった。乾いた草を踏む音から、湿った葉を踏む音へ。
その朝、ガンが朝食を食べながら切り出した。
「薪の備蓄が足りない」
ドウが帳簿を開いた。
「どのくらい要りますか、追加で」
「去年の冬を越したことがないから、わからない。ただ今積んである量は確実に足りない。これで一ヶ月も持たない」
食堂の入口では、ミルクが丸くなっていた。草地の草が硬くなってきたせいか、最近は朝だけ入口の近くに来る。暖かい空気が漏れる場所を、ちゃんと覚えたらしい。
「ミルクも冬支度が必要?」
スズが入口のミルクに目をやった。
「草毛獣は冬毛になります」
リュウが椀から顔を上げた。
「ただしこの個体は拠点内で過ごす時間が長いので、普通の草毛獣と同じかは確認が必要です」
「確認するな」
「見るだけです」
「見るだけで終わらない顔をしている」
ガンはそう言いながら、もう椀に戻っていた。慣れた口調だった。同じやり取りを今月で何度目かは、もう数えていない。
「一ヶ月あれば隊商から届きますか」
「届かない可能性のほうが高い。冬は隊商の動きが鈍くなる。山越えのルートが雪で塞がれることがある」
全員が少し黙った。
「切り出してきます」
クワが、当然のように言った。
「どの木を切るかは私が決める。ケンと二人でやれる量ではないので、手が空いている人間を使う」
「わかりました」
ドウがうなずいた。
「野廻り隊は巡回の合間に手伝えますか」
「合間に、というより」
カイが続けた。
「巡回に薪の調達を組み込んだほうが効率がいいと思います。北西の丘陵を越えたところに枯れ木が多い区域があります。巡回のルートを少し変えて、帰りに背負ってくることができます」
「巡回のついでに薪を取ってくる、ということですか」
「ついでというより、薪取りも仕事の一つとして組み込む感じです。獣の痕跡を確認しながら、枯れ木も確認する」
クワが少し考えた。
「どのくらい持ってこられますか、一人あたり」
「一回の巡回で、背負える分だけ。大きな量ではありません。でも毎日やれば積み上がります」
「……それでいいです」
クワがうなずいた。
「量より継続です」
※
次の朝から、野廻り隊の巡回ルートに「薪取りポイント」が加わった。
朝、五人が出発する前に、スズが食堂の小屋の入口で縄を確認していた。背負い紐に通した蔓縄の束で、枯れ木を束ねて背負うためのものだ。今朝も薄手の袖のままだった。
「お前、今日もその格好か」
ガンが顔をしかめた。
「冬が来たら見張りで静止する時間が増えるぞ。動いている間はまだしも、止まると冷える」
「わかってます」
「わかっているなら何か考えろ」
「考えています」
スズが縄の結び目を確認しながら言った。
「でも防寒着は動きにくいので……」
「それを解決するのが冬支度だ」
「はい」
スズの返事だけは素直だった。中身が素直かどうかは別である。
「それ、どのくらい持てますか」
リュウが縄を覗き込んだ。
「できるだけ」
「できるだけ、というのは量として何キロくらいですか」
「体が言いなりにならなくなるまで」
「……測定が難しいですね」
リュウは言いながら、自分でも縄を持った。
「僕も持ちます。採集かごと両方は難しいですが」
「採集は帰りにやればいい」
ガンが口を挟んだ。
「行きに薪を取って、帰りに採集する。帰り荷のほうが軽い」
「なるほど」
「先に重いものを持って疲れてから採集するほうが、見落としが出るのでは」
ミコトが淡々と口にした。手は薪用の縄を整えている。
全員が止まった。
「……それは考えてなかった」
少し間があった。
「じゃあ、行きに採集して、帰りに薪か」
「そのほうがいいと思います」
「言ってから決めろ。最初の話と逆になった」
「最初の話が間違っていたので」
「……まあそうだが」
ガンが短く返した。順番はリュウの方が正しかった。否定しても始まらない。
※
その朝の巡回は、カイとスズとリュウの三人だった。
拠点を出て北へ進む。草地が続き、丘の稜線が見えてくる。この方向は半月前から「北ルート」と呼んでいる。北の標塔が遠くに立っていて、方向の基準になる。今日はそこを経由して東へ折れ、森の縁手前で折り返す。全部で三時間から四時間の道のりだ。
スズが先頭を歩いた。音を立てずに進む癖が抜けていないのか、普通の道でも足音が静かだった。草の根元を確認しながら歩く。
やがて立ち止まった。
「捕縛蔦の端っこがここまで来てる」
足元から三メートルほど先、草に混じって細い緑の蔓が見えた。
「先週より少し北に広がっています」
リュウがノートを出した。
「気温が下がると休眠するはずですが、今年はまだ活性が残っています」
「どのくらいで休眠しますか」
「霜が降りてから二、三日だと思います。今年初霜がまだなので」
「霜が降りたら確認に来ます」
カイが言った。
「ルートに組み込みましょう」
三人は捕縛蔦の端の位置をスズが足で示し、リュウが地図に点を打った。去年と変わらない場所もあれば、新しく伸びた場所もある。半年以上見ていると、どこが動いてどこが動いていないかがわかってくる。
※
丘を越えたところで、草毛獣の食痕があった。
昨日の朝の痕跡ではない。今朝のものだ。草の折れ方が新しい。足跡が湿った土にはっきり残っていた。
「群れの数は」
カイが足跡を見た。
「足跡の密度と歩幅から、十頭前後だと思います」
リュウが自分のノートの先週の記録と見比べた。
「先週の群れより少し小さい。同じ群れが少し分散したか、別の群れです」
「方向は」
「東に向かっています。ミナシロ方向ではない。いまのところ問題ない動きです」
「見張り台から確認できますか」
カイが問うた。ミコトは今日、拠点に残って見張り台当番だった。
「後で伝えます」
スズが言った。
「位置と方向を正確に伝えれば、ミコトさんが見張り台から確認できる区域かどうか答えてくれると思います」
「そうしましょう」
リュウが足跡の形と数をノートに書き始めた。こういう作業がいつの間にか、三人の中で手順として固まっていた。スズが範囲と方向を示し、リュウが書き、カイが繋げる。
※
枯れ木の多い区域は、北西の丘陵を越えてすぐの、岩盤が浅い場所だった。
土が薄く、木の根が浅いため、強風で倒れた木が多い。倒れた木は乾燥が進んで、薪として使いやすい。ただし腐っている木は役に立たない。スズが木を蹴って確かめた。硬ければ使える、沈んだ音がすれば腐っている。
「これは使えます」「これも」「これはダメです。中が空洞になっています」
三人で選別して、使えるものを縄で束ねた。カイが最初に持ち上げて、重さを確認した。腕への負担と、帰りの三時間を計算する。
「これで半分くらいにします」
束を少し軽くした。腰に手を当てて、重さを腕で量り直す。
「全部持てるよ、私」
「帰りに採集もするので」
「ああ、そうでした」
三人が束を背負って、東へ歩き始めた。この角度から見ると、南東の標塔が視界に入る。北の標塔と南東の標塔、二本の線を頭の中で結ぶと、拠点の方向が出る。
「今日は南東の標塔がよく見えます」
スズが遠くを見た。
「空気が澄んでいると遠くまで見えます」
「晴れた日の午前中は透明度が上がります」
リュウが薪を背負い直した。
「夕方は霞む。季節によっても違います。記録しておきます」
「何のために記録するんですか、それは」
「いつも視程がいい時と悪い時がわかれば、見張りの精度が変わります」
カイは黙って歩きながら、それを聞いていた。記録が役に立つかどうかはまだわからない。でも記録がなければ確かめようがない。リュウはそれを知っている。
※
帰り道で、リュウが薬草の採集を始めた。
今の季節に取れるものは少ない。秋の終わりに残っている薬草は、寒さに強い種類だけだ。それでもリュウは確認しながら進んだ。
「ここはまだ生きています」「これは来週には枯れます」「これは根を取ってしまえば来年同じ場所に生えません、地上部だけ取ります」
「どうしてそれがわかるの」
「この種類は根から再生するので、根を残しておけば春にまた出ます。地上部だけなら採ってしまっても構いません」
「薬草の事情は複雑ですね」
「植物は全部そういうものです。採り方を間違えると翌年以降に影響します。カイさんの父上もそれを知っていたと思います——ハラダの語り部は植物の話を何かしら持っているので」
カイは特に何も言わなかった。父親のことを持ち出されるのが嫌なわけではない。ただ答えを持っていないだけだった。
※
拠点に戻ったのは昼過ぎだった。
「腕がじんじんします」
スズが束を下ろした。リュウは薬草の重さが加わって、肩を回しながら荷を外した。
「帰りの採集は計算に入れるべきでした」
小声でつぶやいた。行きに薪、帰りに採集——ミコトの正しさが、今になって肩にきていた。
カイは束を下ろして、そのまま日誌を開いた。薪の束を指定の場所に下ろすと、クワが束を確認して、積み上げた。それだけで何も言わなかった。
「量は足りますか」
「まだ足りない。でも方向は合っています。続けてください」
「わかりました」
リュウが採集した薬草をセリのところへ持っていった。スズが見張り台に上がって、ミコトに草毛獣の位置を伝えた。カイは日誌に今日の巡回の内容を書いた。捕縛蔦の端の変化、草毛獣の足跡の位置と方向、薪の取れた量、薬草の採集量、視程の状態。
ドウが横に来て、カイの日誌を覗いた。
「こういうことを毎日書いているんですか、巡回のあとに」
「はい」
「……私の帳簿とやっていることが似ていますね」
「似ていると思います」
カイがうなずいた。
「違うのは、帳簿は物の量で、日誌は出来事の変化です」
「変化を記録して、どう使うんですか」
「何かが変わった時に、いつから変わっていたかがわかります。変化のきっかけも見えてくることがあります」
ドウが「なるほど」と言って、自分の帳簿を見た。数字が並んでいる。物の量だけが書いてある。
「私も、出来事の欄を作ってみようかな」
「良いと思います」
※
夕方、薪割りが始まった。
クワが大きい丸太を割っていた。ガンが手伝った。カイも加わった。骨甲製の楔と木槌を使う方法と、斧を使う方法がある。クワは楔を使い、ガンは斧を使った。カイが楔を試してみると、コツが掴めずに三回外れた。
「力じゃない」
クワが手元の楔を二度叩く動作をやってみせる。
「角度だ。楔の向きが節を外れていると入らない」
「木目を読んでから当てる」
ガンが補足した。
「木によって木目の向きが違う。無視して叩いても割れない」
カイがもう一度試した。今度は入った。きれいに割れた音がした。
「なんか当たり前のようにやってますね」
スズが横から覗き込む。
「カイさんって、初めてでも様になることがありますよね」
「ビギナーズラックでは」
ガンが返した。
「次は同じようにはいかない」
「なんとなくこっちが割れやすそうだと思って」
「……なんとなく、か」
ガンがつぶやいた。
「お前はなんでそういう発想が出てくるんだ。木を読めるのか読めないのかわからない」
それ以上は言わなかった。答えが返ってこないのは、なんとなく、わかっていたからかもしれない。
※
その日の昼過ぎ、カネヅカ方面からの隊商が立ち寄っていた。
三人組で、荷馬車に冬物の荷を積んでいた。
「ミナシロまで行く途中です。一泊させてもらえますか」
ドウが案内した。
夕方、先頭の男がドウに声をかけた。
「何か買えるものがあれば。余った荷を引き取ってもらえると、荷を軽くできる」
ドウが荷を見た。乾燥果実が数袋と、見慣れない香辛料の小瓶が三本あった。小瓶を手に取る。
「これは何ですか」
「カネヅカより北の集落で採れるものです。保存食に混ぜると風味が変わります。カネヅカではよく使いますが、南の集落にはあまり出回らない」
ドウがハナを呼んだ。ハナが小瓶を開けて匂いを嗅いだ。少し黙って、もう一度嗅ぐ。
「いただきます」
迷いがなかった。
「ハナさんが即決しましたね」
スズが小声でドウに言った。
「食材は早い方がいいです」
ドウが答えた。
「迷っている間に売れてしまう」
乾燥果実と香辛料の小瓶三本が、薪の余剰分と交換になった。ドウが帳簿に記録した。
「また通る時に寄ります」
男が荷を積み直した。
「冬の間は動きが鈍いですが、雪が消えれば」
※
夜、全員が食堂の小屋に集まった。
ハナが今夜は根菜と塩漬け肉の煮込みを作っていた。秋の終わりの根菜は甘みが増している。仕上げに、昼に手に入れた香辛料を少量加えた。
「寒くなると食材が変わります。冬は乾燥したものが中心になりますから、今のうちに根菜をたくさん使います」
ハナが椀を並べた。
「今日、いつもと少し違う匂いがします」
リュウが椀を受け取った。
「カネヅカの香辛料です」
ハナが答えた。
「少しだけ使いました」
「うまい」
ガンの声に特に感慨はなかったが、椀を置くことなく食べ続けた。
食べながら、ガンが言った。
「今日の巡回で気になったことを言う。北ルートの岩盤区域、倒木が先週より一本増えていた。最近の強風で倒れたものだ。まだ枯れていない。二週間後に薪として使えるかもしれない。場所をリュウが記録している」
「確認します」
リュウがノートを出して場所を示した。
「それと」
ガンが続けた。
「東の捕縛蔦の端。スズが確認した通り少し広がっている。霜が降りてから再確認する。それまでは三メートル余裕を持って迂回する」
「わかりました」
「以上だ」
短い報告だった。特に大きなことは何もなかった。でもそれが、今日一日の仕事の内容だった。
ミルクが食堂の入口付近に丸くなっていた。食堂の中には入れないのだが、入口近くなら暖かい空気が届く。ミルクはそれを知っている。
「賢い」
「獣は合理的だ」
ミコトが返した。
「ミルクは特に賢いと思います」
「根拠は」
「顔が賢そうです」
「根拠になっていません」
「ミコトさんらしいですね、その返し方」
スズは引かなかった。
「でもそう見えるんです」
「……俺も顔で判断したことはない」
ガンが口を挟んだ。
「まあ、よく働く草毛獣だとは思うが」
「ガンさん、それ褒めてるよね」
「薪を背負わせているわけじゃない」
「でも嬉しそうじゃないですか」
「うるさい」
ミルクは入口の前で目を細めていた。暖かさと満腹がちょうど良い場所だった。この一頭に関する限り、合理的なのはどうやら間違いなかった。




