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第23話 橋を、かけた

 橋の建設は二ヶ月かかった。


 木の切り出しから始まった。林から丸太を運び、板に加工し、橋桁を組む。縄も自前で撚った。クワとケンが中心になって、手の空いた者が全員で補助した。途中で板が割れて作り直したり、組んだ橋桁の水平が出ずに解体したりもした。クワは「余分に見積もっておくのが正しいやり方だ」と言っていたが、それでもぎりぎりだった。


 完成した橋は、幅が人二人が並んで渡れる程度のものだった。橋桁の上に板を渡し、両側に手すり用の柱が立って、蔓縄が渡してあった。クワとケンが二人で仕上げた最後の工程を、カイは川岸で見ていた。最後の蔓縄を結んで、クワが「終わった」と言って、道具を片付け始めた。


「名前はつける? この橋に」とスズが言った。橋を見ながら、川岸の石の上に立って言った。


「橋だ」とクワが、道具袋の紐を結びながら言った。


「橋という名前の橋ですか」


「橋と呼べばいい。名前はいらない」


「じゃあ私がつけます」


「つけるな」


「ドン橋はどうですか」


 クワが「つけるな」と言った。ケンが黙って作業道具を片付けていた。スズの提案には、目すら向けない。



 ドウが「渡橋式をしましょう」と言い出した。


「渡橋式とは何ですか」とカイが聞いた。


「橋を初めて渡る際の、記念の儀式です。名前、"渡り初め" にしますか?」とドウが言った。


「そういう慣習がありましたか」


「……ないかもしれませんが、作りましょう」とドウが少し照れた顔で言った。「こういう節目は何か形に残したほうがいいと思います。全員で渡るだけでも構いません」


「わかりました」


 夕食時に人が集まった時に渡橋式が告知され、翌朝、全員が川岸に集まった。常駐メンバー十三人が並んだ。橋の向こうに対岸が見えた。ナル川の水が橋の下を流れる音がした。初秋の風が川沿いに吹いていた。


 クワが橋を指して「問題ない。渡れます」と言った。それが開会の挨拶になった。


 ドウが前に出た。「それでは私から一言——」


 と言いながら少し高い石に登ろうとして足をかけ……その足が滑った。


 川岸の石が、朝の霜で濡れていた。ドウが川に落ちた。


 全員が一瞬止まって、それから笑った。橋の下の川が、ドウが落ちた場所でぱしゃんと音を立てた。ドウは腰まで水に浸かりながら「冷たい」と言った。


 ガンが手を伸ばして引き上げた。大人二人ぶんの重さがかかったが、ガンは踏ん張った。


 ドウがずぶ濡れで「……なんとなく、こういう展開になる気はしていました」と言った。髪から水が垂れていた。


「挨拶はこれで終わり?」とスズが笑いをこらえながら聞いた。


「終わりです」とドウが靴の中の水を抜きながら言った。「記録に残る開幕式になりましたね」


「ドウさんって、こういう時に何かしでかしちゃうことがありますよね」とスズが言った。


「言わなくていいです」


「でも初めてじゃないですよね、絶対」


「……気をつけます」とドウが水をぶるっと払いながら言った。「以後気をつけます」


「カイ、笑うのをこらえているのがわかるぞ」とガンが言った。


 カイが「……笑っていません」と言った。あまり説得力がなかった。



 全員が橋を渡った。


 足元がしっかりしていた。板の感触が足に伝わった。水面から少し上がった位置を歩く感触が新鮮だった。真ん中に来ると、川の流れが足の下に見えた。二十メートルの川幅が、橋の上からだとよくわかった。手すりの蔓縄を持つと、少し安心した。渡りきると、対岸の草地に立っていた。


 ここまでは水に入るしかなかった。深淵鰐に気をつけながら、足元を確かめながら、緊張して渡っていた。今は乾いたまま、一分もかからず渡れる。振り返ると、拠点の見張り台が川越しに見えた。


 全員が少し、同じ顔をしていた。達成した、という顔ではなかった。「あ、渡れた」という、少し驚いたような顔だった。


「便利だね、橋があると」とスズが、振り返って拠点側の岸を見ながら言った。


「当然だ」とクワが言った。


「ありがとう」とスズが言った。


「……言えばやると言った」とクワが少しだけ間を置いてから返した。照れているのかどうかわからなかった。視線は橋の真ん中あたりに落ちていた。



 全員が対岸に渡りきり、ドウが「これで渡橋式を終わります」と宣言したところで、振り返るとミルクが橋に差し掛かっているのを発見した。


 橋の端で立ち止まって、丸太の感触を確かめるように前足で踏み、慎重にもう一歩踏み出して、そのままこちら側の岸に来た。誰も渡るように教えていなかったが自然に渡ってきた。


「あいつが渡橋式の後、一番先に活用した」とガンが言った。どこか呆れているが、嬉しそうでもあった。


「ガンさん、嬉しそう」とスズが言った。


「うるさい」


「ミルクに先を越されたのに嬉しそうです」


「うるさい! 黙れ」


「本能的に安全な渡り方を選ぶんでしょうか」とリュウが言った。「変異種だから感覚が鋭いのかもしれない。ミルクは通常の草毛獣と比べて——」


「それはいい」とガンが言った。


「一行だけ——」


「いい」


 ガンとリュウが言い合っている間に、ミルクがのんびりと草を食み始めた。特に感慨はなさそうだった。



 橋ができてから三日後、ミナシロへ向かう隊商が三ツ辻に立ち寄った。


 四人組の隊商だった。荷馬車一台、馬二頭、護衛が一人。先頭の男が「一泊させてもらえますか。馬も疲れていますし、次の水場まで距離がある」と言った。ドウが「どうぞ」と答えて、馬を繋ぐ場所と寝床を案内した。


 夕食の後、男がドウに声をかけた。「ここに売れるものはありますか。乾燥薬草でも、余った食料でも」


 ドウが少し考えた。「薬草の余剰分が少しあります。リュウに確認してみます」


 リュウに聞くと、今月分の余剰薬草があるという。品目と量を確認して、値段の話になった。男が「ミナシロで売れる品種です。三ツ辻経由で拠点物産が手に入るなら、次から定期的に寄ります」と言った。


「定期的に」とドウが繰り返した。


「毎回ではないですが。この道を通るなら必ず寄る価値がある、となれば寄ります」


 ドウが帳簿に書いた。取引の内容、品目、数量、値段。初めての売買の記録だった。男が去り際に「次はもう少し量があると助かります」と言った。ドウは「検討します」と答えた。


 その夜、ドウがカイに「拠点が売り手になりました」と報告した。


「そうなりますね」とカイが言った。


「想定していましたか」


「いずれそうなると思っていました。ただ、こんなに早いとは思っていなかったです」


「私もです」とドウが帳簿を閉じながら言った。少し嬉しそうだった。「でも、良いことだと思います」


 その隊商に同行して、ハラダからの使いも来た。前回のように怪我をしていなかった。日に焼けた若い女性で、大きな背嚢を背負っていた。


「ハラダに戻る隊商が来るまで、こちらに置いてもらえますか」と使いは言った。「来る方向が逆なので、ミナシロへ向かう隊商とは一緒に戻れなくて」


「構いません」とドウが帳簿を開きながら言った。「ハラダ方面の隊商は、次はいつ頃来そうですか」


「三日から五日のうちには来るはずです。ハラダを出る前に確認してきました」


「では食事と宿をご用意します」



 使いの女性はイトという名前だった。ハラダの薬師長の助手で、三ツ辻で採れた薬草の余剰分を引き取りに来たのだという。ハラダでは採れない品種がいくつかあり、隊商経由で少量ずつ手に入れていたが、三ツ辻に直接来れば確実に手に入ると聞いてきた。


「薬草の採取は、ハラダ側はどうですか」とリュウが聞いた。夕食の席で、向かいに座って聞いた。


「まだ本格的には戻れていません。針鼠狼の縄張りが残っているので」とイトは言った。「でも以前より声が遠くなりました。音響罠が少し効いているのかもしれません」


「それは良かったです」とリュウが言った。「こちらからできることは設計と試作品を渡すことだけでしたが、ハラダの方々がうまく使ってくださっているようで」


「薬師長が、ガンさんの設計図は丁寧だと言っていました」とイトが言った。「現地に合わせやすかったと」


 ガンが「そうか」と言って、椀に視線を戻した。それ以上は何も言わなかった。


 その様子を見たスズが口を開きかけたが、今回は何故か思いとどまったようだった。


 翌朝、隊商はミナシロへ向けて出発した。馬の蹄の音が草地に遠ざかっていった。イトは拠点に残った。



 イトが滞在している間、リュウは針鼠狼の習性と音響罠の仕組みをイトに説明した。イトは熱心にノートを取った。リュウもイトのノートを覗き込んで「その記録の仕方、理にかなっています」と言った。イトが「薬師長に教わりました」と答えた。二人はそのまま夕方まで話し込んだ。


 セリがイトの荷物の中の薬草を確認した。「ハラダにはこれがあるんですか」と一つを手に取った。「こちらでは採れない種類です」


「森の奥でしか採れない品種です。今は針鼠狼がいるので採りに行けていませんが」


「針鼠狼が退いたら、分けてもらえますか」


「もちろんです」とイトが言った。「こちらからいただいてばかりなので」


 ハナがイトのために食事を用意した。ハラダの料理に近い味付けにしようとしたが、「三ツ辻の味で構いません」とイトが言った。「ここの食事、おいしいですね」とハナに直接言った。ハナが「そうでしょう」と短く返した。



 四日目の午後、ハラダへ向かう隊商が立ち寄った。


 二頭立ての荷馬車で、荷はまだ半分ほど積んでいた。ハラダからカネヅカへ向かう途中だという。「三ツ辻で一泊して、明朝カネヅカへ向かいます」と御者が言った。


「ちょうど良かった」とイトが言った。「ハラダまで同行させてください」


 御者が「構わない」と答えた。


 翌朝、イトは隊商とともに出発した。出発前にリュウに「また来ます」と言った。リュウが「記録を続けてください」と言った。セリには「針鼠狼が退いたら薬草を持ってきます」と言った。


「拠点の人たちがいてくれると、本当に助かります」とイトが最後に言った。


 特別な言葉ではなかった。でも、本当のことを言っている感じがした。


 ドウが帳簿に書いた。隊商の来訪日時、滞在人数、消費した食材、イトの滞在日数、ハラダへの同行隊商の名前。それから最後に一行、「ハラダから感謝の言葉をいただきました」と書いた。


 記録は細かかった。でも、そのどれもが今この拠点に人が集まっている証拠だった。



 カイは夜、日誌に書いた。


 三集落それぞれから、何らかの言葉が届いたことになる。ミナシロから「誘引罠による群の誘導は上手くいっているようで、農地の被害が無かった、ありがとう」。カネヅカから「引き続き監視と対応策の検討を」という信任。ハラダから「獣除けよる一次的な対応ではなく、根本的に縄張りを押し返す手法は新しい。助かります」という感謝。どれも大きな言葉ではなかった。でも、積み重なっていた。


 この三ヶ月で変わったことと、変わっていないことがある。変わったことは積み上げていけばいい。変わっていないことは、時間をかけて変えていけばいい。


 それだけ書いて、日誌を閉じた。

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