第20話 針鼠狼の縄張りを知る
ハラダから使いが来たのは、鎌爪竜の偵察から十日ほど後だった。
使いは二十代の若い男で、左腕に包帯を巻いていた。ハラダからミナシロ方面へ向かう隊商に同行して三ツ辻に立ち寄ったのだという。見張り台のスズが「南西の方向から隊商と思われる一行が来ます。端の一人、歩き方がおかしい」と言ったのが最初だった。
隊商が立ち寄る間、男は食堂の小屋に通された。
「ハラダへの道が使えているうちに、知らせたいことがあって」
※
セリが傷を確認した。
「針鼠狼に遭遇しました」
男はテーブルの上に左腕を置き、セリが包帯を解くのを待った。
「三日前です。ハラダ道を歩いていたのですが、道の脇で薬草を採ろうとして森の縁に少し入った時に、針鼠狼が出てきて。逃げようとして——引っかかれました」
包帯の下は赤く腫れていたが、深くはなかった。針の刺さった跡もなかった。
「清潔にすれば治ります。針は入っていない」
セリが顔を上げた。
「正面を向いたまま下がりましたか」
「それが……咄嗟に振り向いて走ってしまいました。背中を見せたらまずいとは知っていたんですが」
「それで引っかかれた」
「はい。すぐ止まって振り向いたら、向こうも止まって。そのまま後退して距離を取りました」
「正しい対応でした」
セリが薬草を傷に当てる。男が息をのんだ。しみる薬草だった。
「ハラダへの道が使えているうちに」
カイが繰り返した。男が最初に言った言葉だった。
「はい」
男はハナが出した茶を両手で持って、すこし温まってから続けた。
「森の縁の道は、最近ずっと針鼠狼が出ます。採取者が全員、薬草の採集に行けなくなっています。ハラダの薬師長が、状況を伝えるよう言いました」
※
その夜、カイは地図に向かった。
男から聞いた内容を書き込んでいく。縄張りが広がり始めたのは最近のこと。道に近い場所での目撃が増えた。採取者が入れなくなった区間がある。男が言えたのはそこまでだった。
ハラダからここまでは、歩いて四日以上かかる。縄張りの正確な範囲も、地面の状態も、道のどこが一番危険かも、聞き取りだけではわからない。現地を見れば一時間で掴めることが、言葉だけでは輪郭しか見えない。
でも今は行けない。往復で十日近くかかる場所に、野廻り隊が全員で出ることはできなかった。拠点を空けられる日数ではなかった。
それがもどかしかった。
リュウが隣に腰を下ろして、ノートを広げた。
「聞き取りからわかることを整理します」
男から聞いた習性の記述を書き始める。
「針鼠狼は、道の脇の薬草採取エリアに出てきている。採取のために森の縁に入った人間と遭遇している。縄張りが最近東に広がっている。これだけでも、状況の輪郭は見えます」
「見えますが」
「現地を見なければわからないことが多い」
リュウがペンを止めた。
「わかっています」
地図の上には、男の話をもとに書き込んだ点がいくつかある。輪郭だけだった。
※
翌朝、全員で状況を共有した。
地図を卓に広げて、男から聞いた内容をミコトが整理した。道の中間区間に縄張りがかかっていること。迂回路がないこと。このまま東に広がれば道が完全に塞がれること。
ハラダへの道が塞がれるということは、薬草の採取ができなくなるだけでなく、ハラダとの連絡が途絶えるということだった。三集落の中で最も遠い集落との道が、なくなる。「ハラダへの道が使えているうちに」と男が言った言葉が頭に残っていた。
「何か手を打たないといけない」
「そうだな」
ガンが地図を見たまま、短く返した。
「ガンさんが悩んでる」
スズが小声でリュウに言う。
「見れば分かる」
リュウも小声で返した。
「……聞こえてる」
ガンは地図から目を上げない。
「聞こえた上で黙る」
黙る宣言だけはしっかり声に出す男である。
※
拠点に戻り、ガンがしばらく考えた。夕食の間も、焚き火の前でも、地図を広げたまま動かなかった。炎が揺れる中で、地図の上の線を指でなぞっていた。
「まず当面の話ですが」
リュウが切り出す。
「ハラダへの道を今すぐ通れなくなるわけではない。嫌音鈴を持って通れば多少の抑止にはなります。完全ではないですが、手ぶらよりは安全です」
「ハラダへの連絡は続けられる」
「はい。ただし——これは時間を稼ぐだけです。縄張りが東に広がり続ければ、いずれ嫌音鈴でも足りなくなる」
「嫌音鈴を使った大規模な仕掛けを作れないですか」
リュウがガンの隣に腰を下ろし、同じように地図を見た。
「縄張りの境界線に沿って音の壁を作れれば、縄張りを押し返せるかもしれません。完全な排除でなくても、少し縮めるだけでハラダへの道が通れるようになります」
「作れる」
ガンが地図から目を上げて、リュウを見た。
「ただし——俺たちが設置に行くのは無理だ。ここから四日以上かかる場所だ。設置しても管理ができない。鈴が壊れても直しに行けない」
「では」
「設計図と作り方をハラダに渡す。あとはハラダの人間がやる。俺たちは仕掛けを作って、説明して、送り出すところまでだ」
全員が少し間を置いた。
「それで伝わりますか」
ドウが帳簿を閉じた。
「設置の手順は複雑ではないですか」
「図を丁寧に書けば伝わる」
ガンが即答する。
「縄の張り方、間隔の取り方、固定の仕方。現地で判断が必要な部分は、判断の基準も書く。現地を知っているのはハラダの人間だ。設計の考え方さえ渡せば、あとは向こうが現地に合わせて動ける」
「ハラダの人に、できますか」
「俺たちにできて、ハラダの人にできない理由はない」
ガンは迷わなかった。
「現地を知っているのはあちらだ。むしろ俺たちより上手くやれる部分がある」
カイは「そうしましょう」とうなずいた。
「次にハラダから使いが来たとき、一緒に送り返す。それまでにガンさんが設計図と試作品を用意する」
「三週間あれば十分だ」
暗い森の縁との距離は、まだ縮んでいなかった。でも縮め方が見えてきた。その仕事をするのが自分たちでなくてもよい、とカイは思った。方法を渡すことも、仕事のうちだった。




