第19話 カネヅカから、偵察依頼
カジキが拠点を訪れたのは、草毛獣の件でミナシロから礼の手紙が届いてから十日ほど後のことだった。
北西の丘陵の方向から馬に乗った一行が来るのを、ミコトが見張り台から見つけた。五人ほどで、護衛らしき者が二人ついていた。先頭の男は五十代で、背が低く、目つきが鋭かった。馬の乗り方に慣れた感じがあった。
「カジキさんが来ます。あと十分くらいで着きそうです」
ミコトが見張り台から下に向かって声を落とした。
下でそれを聞いたドウが「……また数字の話になる」と小声でこぼした。全員に聞こえた。
「数字は大事ですよ」
「わかっています。わかっていますが」
帳簿を脇に抱え、出迎えに向かう。すでに腹をくくった顔だった。板挟みのプロは、数字が来る前から胃のあたりを押さえている。
※
カジキ・元カネヅカ工匠長は、馬を降りるなり拠点を見渡した。前回の第一回報告会から三ヶ月ぶりだった。夏の日差しの中で、その目は変わらず何かを数えているような鋭さを持っていた。
「見張り台が高くなった」
評価でも批判でもなく、確認だった。
「二週間前に完成しました」
ドウが応じる。
「高さ八メートルです。以前の倍になりました」
「北西の丘陵の向こうまで見えるか」
「カネヅカの方向の稜線が視野に入るようになりました。晴れた日には地形の起伏がわかります」
「そうか」
短い返しで、質問は終わった。
カジキが先に進んだ。柵を手で触り、骨甲板の固定具合を親指で押して確認した。床板を踏み、たわみがないかを足の感触で測った。食料保管庫の棚を確認した。入り口から奥まで視線を走らせて、在庫の量を目測した。特に何も言わなかった。
言わないのが良い評価だとわかるようになってきていた——クワが「カジキさんは問題のあるものを見た時だけ口を開く」と言っていた。沈黙は合格通知である。
「お茶でも」
ハナが陶製の椀を二つ持って出てきていた。蒸気がまだ立っている。
「後で」
カジキは椀を見もしなかった。
「先に用件を」
※
用件は依頼だった。
食堂の小屋の日陰で、カジキが向かい合って座った。カイとドウと、野廻り隊の五人が揃った。外では馬が草を食んでいる音がした。
「坑道の北の廃坑に鎌爪竜が居着いている」
両手を卓上に置いて、前のめりで話した。
「三ヶ月前から足跡が増えていた。最初は一頭か二頭だと思っていた。だが今は坑道の中に巣を作っているらしい。夜中に音がする」
「音というのは」
「坑道の中で何かが動く音だ。石が転がる音、重い足音。採掘作業ができない。昼間に近づいた作業員が坑道の入口に爪の跡を見つけた。深くて長い跡だった。引っかき跡じゃない、体重をかけた跡だ」
そう言いながら、手の甲を卓の上に置き、指先でゆっくりと引っかく動作をした。想像させるための動作だった。
「怪我人は」
「今のところいない。全員、指示を出して遠ざかっている」
「賢明です」
カジキが少し驚いた顔をしたが、何も言わなかった。
「周辺の偵察をしてほしい。どの程度の規模か、何頭いるか、どういう状態かを確認してほしい。それだけでいい。倒してくれとは言わない」
「報酬は」
「銅製の工具一式。ナイフ三本と鋸一本、それと骨甲小釘を百本分相当用意する。今すぐは出せないが、次の隊商に持たせる」
ドウが帳簿を確認した。
「いただきます」
スズが小声で「鎌爪竜にも、倒してくれとは言っていないので出ていってください、って伝わるといいな」とつぶやいた。
「伝わらん」
「だよね」
「どこから出てくる発想だ、そういうのが」
「……言葉が通じたらいいとは思う」
「思うな」
カジキがこちらを見ていたので、二人とも黙った。工匠長の前で鎌爪竜との対話を検討していたのがばれた形である。
※
翌朝、五人でカネヅカ方向へ出発した。
早朝の空気はまだ涼しかった。夏の終わりが近いのか、草地の虫の声がいつもよりうるさかった。拠点から北へ進み、丘を越えると視界が変わった。これまで巡回していた範囲の外だった。
地形が変わっていった。低い灌木が続く平地から、岩の露出した丘陵地帯に入った。土が薄く、岩盤がすぐ下にある感触が足に伝わった。
「足元が違う、ここから」
スズが足踏みして確かめた。
「地面が硬い。岩が多い」
「カネヅカ方向はずっとこういう地形だ」
ガンが足元の岩を一度蹴る。
「だから鉱山がある。岩があるところに鉱脈がある」
「岩があるから掘れる」
「岩があるから掘る価値がある。土だけなら何も出ない」
スズが「なるほど」と言いながら地面を蹴ってみた。固い音がした。先ほどガンが蹴った時と同じ、乾いた音だった。同じことを確かめないと気が済まない性分である。
ミコトが歩きながら距離を計測していた。歩幅と歩数を数えながら、地図に書き込んでいく。無言だったが、目は地形を読んでいた。
初日の夜は丘陵の岩陰で野営した。焚き火の明かりだけで、周囲は静かだった。二日目も同じ地形が続いた。岩が増え、灌木が減り、足元の音がより硬くなっていった。
三日目の午前、カジキが「廃坑の入口はカネヅカからさらに半日北にある」と言っていた場所に差し掛かった。
※
三日目の昼過ぎ、廃坑の入口が見えてきた。
古い坑道の口は、岩の斜面に開いていた。坑道を塞いでいた板が一部崩れて、暗い穴が口を開けている。入口の周囲の岩が黒く変色していた——長年の煤と、何かの体液が染み込んだ色だった。木の幹の低い位置に、深い引っかき跡が何本もついていた。力強い、迷いのない跡だった。
「新しい」
ガンが地面を見た。
「三日以内だ。まだ縁の乾きが浅い」
「大きいですね」
リュウが引っかき跡の高さを確認する。
「この高さからして、肩まで一メートル半以上の個体です。引っかき跡の間隔からすると体幅も相当あります。記録——」
「記録は後で」
ミコトが低く遮った。
「今は静かにしろ」
「記録したそうです」
スズが小声で言い添える。
「わかってる」
ガンも小声で返した。
全員が止まった。
坑道の奥から音がした。
がらり、という音。石が転がる音だった。続いて、重い何かが床を踏む低い音。一頭ではない。複数の動きが、暗い穴の中で交差していた。岩に反響して、音の方向が掴みにくかった。
「採掘してるんじゃないよね」
スズが坑道の暗がりを覗き込む。
「まさか」
ガンが小声で返した。
「でも律儀に坑道の中にいますね」
リュウも声を落とす。
「行動の意味が——」
「温度の問題だと思います」
ミコトが汗を拭いながら口を開いた。日差しの下だった。
「夏の暑い時期、岩の中は外より涼しい。体の大きい生き物は体温管理が難しいから、涼しい場所を選ぶ。巣として使うのは合理的だ」
全員が少し間を置いた。夜な夜な坑道で音を立てている巨獣が、実は避暑をしていただけだった。
「合理的だね、鎌爪竜」
「動物は合理的だ」
感心ではなく、事実としてミコトは言った。
※
坑道の入口から三十メートルほど離れた岩陰で、五人は状況を確認した。岩陰は日陰で涼しく、風の向きが坑道から離れていた。匂いが届かないことを確認してから全員が集まった。
爪痕の数と間隔から、ミコトが「三頭から五頭」と推定した。
「引っかき跡の高さにバラつきがある。成体と若い個体が混じっている可能性がある」
「家族か」
スズが岩陰の地面に書かれた数字を覗き込む。
「群れかもしれない。鎌爪竜は三頭以上で行動することが多い」
リュウが指を折る。
「糞の状況から、少なくとも一週間以上この場所を使っています。根拠地化しています」
「出入り口はあの一ヶ所だけか」
ガンが、坑道の入口の方を顎で示して確認した。
スズが岩の上に登って見渡した。しばらく動かない。戻ってきて告げる。
「もう一ヶ所あります。廃坑の裏側、岩の割れ目に通気口らしい穴があります。人は通れない大きさですが、鎌爪竜の子供なら通れるかもしれません」
「わかった。出入り口は二ヶ所」
ガンが地図に書き込み、顔を上げた。
「今の五人でどうにかなるか」
カイが少し考えた。夏の蝉が木の上で鳴いていた。全員がカイを見ていた。ガンも、スズも、リュウも、ミコトも。聞いたのはガンだったが、答えを待っているのは全員だった。
「なりません」
「そうだな」
「頭数が多すぎます。連携する複数頭の鎌爪竜を五人で対処するのは、今は無理です。いたずらに動けば怪我人が出る」
ガンが黙った。反論しなかった。ガンも同じことを考えていたのだと思った。
「現状を確認して、カジキさんに報告します。次に何をするかはそれから考えます」
「引くのか」
「今日は引きます」
ミコトが「正しい判断だ」と短く言った。はっきりしていた。ミコトが誰かの判断を「正しい」と言うのは珍しかった。だから余計に、その一言には重みがあった。
もっとも、重みを感じている場合ではない二人がいた。
「ミコトさんが褒めました」
スズが小声でリュウに耳打ちする。
「珍しい」
リュウも小声で返した。
「違います」
ミコトが割り込む。
「褒めたのではなく、判断の精度を確認しただけです」
二人が黙った。褒めたのではないという主張だけが、やたらと素早かった。
※
三日かけて拠点に戻った。来た道をそのまま引き返した。野営を二泊し、六日目の夕方に拠点の柵が見えた。
ドウがカジキへの報告書を書いた。
廃坑内に三〜五頭の鎌爪竜が居着いていること。成体と若い個体が混じる可能性があること。出入り口が二ヶ所あること。最低でも一週間以上の滞在であること。現時点での五人での対処は困難であること。
「正直に書きます」
ランプの明かりの下で羽根ペンを動かす。
「それが良いです」
「カジキさんは数字と具体性を求めますから……頭数の推定範囲も書きます。三頭から五頭、ただし確認できていない個体がいる可能性ありと」
「わかりました」
カジキは翌朝、護衛とともに北西へ向けて出発した。来た道を馬で戻る。短い別れだった。
カジキへの返書は次の隊商に持たせた。「現状確認を完了した。対処方法を検討中。時間がかかる」と書いた。
カジキからの返事は三週間後に来た。「わかった。採掘は当面停止する。続報を待つ」と短くあった。数字もなく、期限もなかった。
カジキなりの、信頼の表明だとカイは思った。




