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第18話 草毛獣作戦、決行

 ガンとリュウが設計を直してから、三週間が経った。


 「慣れさせる」フェーズは、思ったよりも地味な作業だった。餌を置く。確認する。補充する。また確認する。それだけを繰り返した。ガンは毎日早朝に誘引ポイントを見に行き、足跡の数と餌の減り方を記録した。リュウはその記録を分析して「来ている個体が増えています」「今日は警戒が薄い」と報告した。


 スズが「ガンさん、毎朝が楽しそう」と言ったのが十日目頃だった。


「うるさい」とガンが言った。


「でも足跡が増えるたびに、目が少し明るくなってるよ」


「足跡を数えれば誰でもそうなる。余計なことを言うな」


 十四日目の朝、朝靄が晴れ始めた頃にガンが戻ってきた。


「そろそろいける」とガンは言った。地図を広げて朝食の椀を脇に押しやり、全員を呼んだ。「今朝、三ヶ所全部に三十頭以上の足跡があった。同じ群れが確実にポイントを把握している。行動パターンが固定された」


「慣れましたね」とリュウが続けた。「二週間で、あの場所が安全だという認識が群れ全体に定着した」


「今夜動くか」


「明日の夜明け前が一番可能性が高いと思います。草毛獣は夜明け前後が活動のピークです」



 作戦の全体像をガンがもう一度説明した。


 三ヶ所の誘引ポイントに餌を置き、草毛獣の群れをそこに集める。ポイントの周囲には低い荊棘柵を配置して、農地の方向への動線を塞ぐ。群れが「ここに来ると餌がある、でもあちらには行きにくい」という認識を持ったところで、少しずつ誘引ポイントの位置を農地から遠い方向にずらしていく。完全な排除ではなく、行動域を変えることが目的だった。


「捕縛罠は?」とカイが、地図を覗き込みながら聞いた。


「補助だ」とガンが答えた。地図の上を指で辿りながら言った。「動線を固定するための仕掛けをいくつか置く。ここと、ここ。主役は誘引と柵だ」


「嫌音鈴は、使いますか」


「今日は使わない」とガンは言い切った。「音で追い払うと群れが散る。散ると動線が読めなくなる。せっかく二週間かけて習慣づけたものを、音で台無しにしたくない」


 リュウが補足した。「草毛獣は群れで行動を揃える習性があります。群れの先頭が一方向に動き始めると、後続が全員同じ方向に動く。だから誘導の入り口さえ作れれば、群れ全体を動かせます」


「一頭だけ外れることはない?」とスズが聞いた。


「あります。でも一頭外れても、群れの大勢が農地方向へ向かわなければ目的は達成できます」


「なるほど」とスズが地図を見た。「ミルクも来る可能性あるよね」


 全員が少し間を置いた。


「ミルクは拠点の敷地内にいることが多い」とカイが言った。「今日は敷地の外に出ないように、別に対応します」


「どうするんですか」


「ハナさんに頼みます」


 ハナが「えっ」と言った。



 設置作業には丸一日かかった。


 夏の盛りを過ぎた空は高く、雲が薄かった。直射日光が強く、作業しながら汗が止まらなかった。五人で手分けして、誘引ポイントの餌を補充し、動線を塞ぐ低い柵を組み、捕縛罠を要所に埋めた。スズが先行して草毛獣の群れの現在位置を確認し、ミコトが高い岩の上から全体の位置関係を把握した。


「今日は東の平野に出ています」とスズが、汗を拭いながら戻って報告した。顔が赤かった。直射日光の下を何度も往復した疲れが出ていた。リュウも首に手ぬぐいを巻いて、木陰で息をついていた。カイは水を一口飲んで、地図を広げた。「誘引ポイントから離れています。夜に戻ってくるでしょう」


「群れの数は」


「三十頭から四十頭。例の群れです。耳が少し長い個体が先頭にいた」


「先頭個体を把握しているんですか」とリュウが少し驚いた顔で聞いた。すでにノートを開きかけている。「同じ個体ですか?」


「たぶん。耳の形が特徴的なので」


「後でいい」とガンが言った。「まず柵を固定する」


 夕方、設置が完了した。ガンが全体を一周して確認した。柵の隙間、罠の位置、餌の量。一箇所だけ蔓縄の結び目が甘かった。その場で締め直した。


「あとは待つだけか」とガンが夕日を背に立って、遠くの草地を見た。


「今夜から動き始めると思います」とリュウが言った。「草毛獣は日没後に活発になるので。明日の朝が答えです」



 全員で拠点に戻った。夕食はハナが作った乾燥豆と根菜の煮込みで、いつもの味だった。話題は自然と草毛獣の話になった。


「捕まえたら、今度こそ肉にしますか」とハナが、鍋をかき混ぜながら聞いた。さりげない聞き方だったが、少し真剣な目をしていた。


「作戦の目的は誘導だ」とガンが椀を受け取りながら言った。「捕まえるのが目的じゃない」


「でも偶然捕まることはありますよね。捕縛罠も置いているんでしょう」


「……そうだな」とガンが少し間を置いた。


「ミルクじゃないやつなら、いいですか」


 全員が少し間を置いた。焚き火の音が聞こえた。


「ミルクかどうかは、どうやって確認するんですか」とカイが聞いた。


「見ればわかります」とスズが答えた。「ミルクは顔が違う。目が少し大きくて、鼻の横に薄い模様がある」


「草毛獣の顔を個体識別しているんですか」とミコトが言った。


「できます。慣れれば全員違います」


「……そうか」とミコトがつぶやいた。手帳を出して何か書きそうな間があったが、やめた。



 翌朝、ガンが確認に行って戻ってきたのは昼前だった。


「来た」とガンは言った。息が少し上がっていた。急いで戻ってきたらしかった。「誘引ポイント全部に足跡がある。三十頭以上だ。作戦通りに動いている」


 全員が立ち上がった。


 現地に着くと、状況は確かに「作戦通り」だった——三ヶ所の誘引ポイントに草毛獣の群れが集まっていた。問題は、その数だった。


「多すぎます」とリュウが言った。目を丸くしていた。


「そうだな」とガンが言った。珍しく当惑した顔をしていた。


 誘引ポイントの周囲が、白い毛の塊で埋まっていた。ざっと数えて五十頭以上。一ヶ所のポイントに十五頭以上が集中して、押し合いへし合いしている。草毛獣の高い鳴き声があちこちから上がって、夏の終わりの草地がちょっとした騒ぎになっていた。荊棘柵は機能していたが、その分だけ草毛獣が外に出られず、ポイントの周囲がすごいことになっていた。


「こんなに集まるとは思わなかった」とガンが言った。声に反省と驚きが半々混ざっていた。


「ガンさん、珍しく当惑してる」とスズが言った。


「うるさい!」


「でも私も当惑しているので、気持ちはわかります」


「隣の群れも呼び寄せたかもしれません」とリュウが続けた。「餌の匂いが想定以上に広がったようです。二つの群れが合流した可能性が——」


「今は考察しなくていい」とガンが割り込んだ。


「でも貴重な観察データ——」


「今は!」


 リュウが「わかりました」と言って、でも視線だけはノートに向けた。


 しばらく全員で眺めた。草毛獣たちは柵の内側で慌ただしく動き回っているが、危険を感じている様子はない。どこかのんびりした雰囲気すらあった。白い毛が風に揺れて、草地の上で固まってもぞもぞしている。


「肉にします?」とハナが、白い塊の群れを見ながら言った。


 全員が草毛獣の群れを見た。


「……多すぎる」とガンが言った。


「多すぎるということは、多い分だけ食料になりますね」とハナは言った。調理師の目で群れを見ていた。腕組みまでしていた。


「保存できる分に限界がある」


「燻製にすれば——」


「今日一日で燻製にできる量じゃない。あれを全部燻製にしようとしたら一週間かかる」


「肉にします?」とハナがもう一度言った。今度は少し真剣な顔で。


 カイが「今すぐ食べる分だけで良いと思います」と言った。「多すぎる分は解放して、作戦の結果を確認してから次を考えましょう」


 ハナが「肉にします?」と三度目を言った。首を少し傾けて、真顔で。



 結果として一頭だけ捕まえることになった。


 全員が「ミルクじゃないやつ」を確認するために慎重に選んだ。スズが「あの耳が長いやつはさっきいた先頭個体です。目が細い。ミルクじゃない」と言い、リュウが「体格は標準的で、毛並みに特徴なし。ミルクじゃない」と追加し、ガンが「長老ぶるのはやめろ。一番手前にいるやつでいい。あいつで決める」と言って終わった。


 残りは荊棘柵の一部を開けて解放した。草毛獣たちは最初に慌てて逃げ、十分後には静かになった。白い塊が草地に散って、また平野の方向へ去っていく。夏の草をかき分ける音だけが残った。


 ガンが足跡を確認した。農地の方向への足跡がなかった。


「拠点の畑方向に、群れが向かっていない」とガンは地面をじっと見ながら言った。


「誘導が機能しましたね」とリュウが言った。


「今日だけでは結論が出ない。三日続けて確認する。喜ぶのはその後だ」


「わかりました」


「でもガンさん、少し嬉しそう」とスズが言った。


「黙れ」


「足跡を見る目が明るい」


「黙れと言っている」



 三日後の朝、ガンが巡回から戻った。地図を広げて、足跡の位置に点を打った。三日間、農地の方向への足跡がなかった。


「確認した」とガンが言った。


「やりましたね」とスズが言った。控えめな声だったが、にやりとした顔で言った。


「三日確認した。次は一週間だ」


「ガンさんって、喜ぶタイミングが遅いですよね」


「うるさい」


「でも今回は少しだけ早かったと思います、顔が」


 ガンが何か言いかけて、やめた。



 同じ日の昼、ミナシロから連絡が来た。隊商の荷に挟まれた手紙だった。


「実験の続きを聞かせてほしい。誘引で動線を変えるというやり方、どこまで通じたか。農地への応用を考えたい」


 ガンが手紙を読んで、カイに渡した。カイが読んで、ドウに渡した。


「初めて、依頼を前に進めた」とドウが言った。静かな声だった。帳簿から目を上げて、カイを見た。


「そうですね」とカイが返した。


「感想は」


 カイが少し考えた。焚き火の炎が風に揺れた。


「……嬉しいですね」


 声は小さかった。拠点全体を揺るがすような喜びではなかった。ただ、「やれた」という感触が、静かにそこにあった。


 その夜の夕食は、昨日から塩漬けにしていた草毛獣の肉を使った煮込みだった。ハナが「薬草を加えて臭みを消しました」と言った。思ったより美味かった。汁が澄んでいて、薄い香りがした。


「ミルクじゃないよね」とスズが食べながら言った。椀を持ったまま、少し不安そうな顔で。


「違う」とガンが言った。


「確認できますか」


「できない。食べろ」


 スズが「……はい」と言って、目を閉じて一口食べた。それから「美味しいです」と言った。

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