第14話 野廻りの地図を作る
巡回を重ねていくと、わかることが増えた。
増えた分だけ、わからないことも増えた。
草毛獣の糞がある場所を記録すると、群れが移動するパターンが見えてきた。三日ごとに同じルートを巡回しているらしかった。しかし四日目に違う場所で見つかることがあって、そのたびにリュウがノートに「例外」と書いた。例外の数が増えると、パターンが崩れる。崩れたパターンを整理すると、また新しいパターンが見えてくる。終わりがなかった。
「これは地図というより、地図のもとになる記録ですね」とリュウが、ノートを広げて言った。
「地図を作ると言ったのはミコトです」とスズが返した。
「私が言ったのは記録を統合するということだ」とミコトが答えた。「地図という言葉を使ったのはスズだ」
「そうでしたっけ」
「そうだ」
カイが「どちらでもいいです。続けましょう」と、二人の間に紙を一枚滑らせるように割って入った。
作業の役割が自然に決まっていた。
スズが位置を把握する。巡回中に見たものを方角と距離で覚えていた。「昨日の草毛獣の痕跡は、北の標塔を基準に東へ二十分の地点の低木の下」という精度で言えた。なぜそれができるのか、スズ自身もうまく説明できなかった。「頭の中に地形が入る感じ」とだけ言った。
「どうやって、それ」とガンが、不思議そうな声で聞いた。
「歩きながら、ずっと見てるので」とスズが答えた。「足の裏の感触と、見える景色と、風の向きと。全部が一緒に記憶に残ります。それを後から思い出す感じです」
「見える景色だけじゃないのか」
「見えるものだけだと、暗い時に使えないので」とスズは続けた。「夜の見張りでも同じことをやっていたら、足の感触のほうが確かになりました」
ガンが「……器用なやつだ」とつぶやいた。スズは「そう?」と首を傾けた。本人にはまったく自覚がないようだった。
「褒められましたよ」とリュウが脇から口を挟んだ。
「褒めてない」とガンが返した。
「『器用』は褒め言葉じゃない?」とスズが聞いた。
「事実を言った」
「ガンさんが事実を言う時は、だいたい褒めてる」
「……うるさい」とガンが言った。スズが「ありがとう」と返した。ガンが「受け取るな」と言った。
ミコトが距離と角度を計算する。標塔の方向を基準として、自分の歩幅と歩数から距離を推定する。精度は完全ではないが、一貫していた。同じ地点を三日続けて計測すると、数字が安定してきた。
リュウが内容を記録する。何がいつどこにあったかを書くだけでなく、それが意味することを書いた。「草毛獣の食痕が浅い——最近の群れは小さいか、若い個体が多い」「捕縛蔦の分布が先週より東に広がっている——乾燥に強い個体が外縁に移動した可能性」。
ガンが地形を読む。罠師として育った経験で、地面の傾斜・水の流れる跡・獣が通りやすい地点を体感で判断した。「ここは雨の後に水が溜まる。草毛獣が集まる」「この低木の配置では、向こう側が見えない。待ち伏せに使われる可能性がある」。
カイは全員の話を聞いた。聞きながら、頭の中で整理した。特に記録しているわけではなかったが、後で「あの場所とこの場所が繋がっている」と言うことがあって、それがよく当たった。
地図を紙に書く作業は、リュウが担当した。
縦長の紙を横に広げて、拠点を中心に置いた。北の方向を上にして、目印になるものを書き込む。北の標塔、南東の標塔、ナル川、大岩、森の縁。それから、記録した危険情報を書き込んだ。
「草毛獣の巡回ルートはこうなります」とリュウが、地図の中央あたりに細い線を引いた。「ただしこれは昨日までの観察に基づくので、明日には変わるかもしれません」
「変わった場合は線を引き直せばいいです」とカイが返した。
「毎回引き直していたら、地図が真っ黒になります」
「では別の紙に書いて、古いものと比較します」
リュウが「なるほど」と言ってノートに「地図は複数枚、日付入り」と書いた。
ミコトが「それはいい考えだ」と短く添えた。ミコトが誰かの意見を認める時は短く言う。それは全員が知っていた。
地図が初めて完成した夜、全員で確認した。
拠点の周辺、徒歩で約一時間から二時間の範囲が、おおよそ書き込まれていた。危険な場所に印がついていた。草毛獣の通過ルートに矢印がついていた。捕縛蔦の分布域が塗りつぶされていた。針鼠狼の声が聞こえた方向に「注意」と書いてあった。
ハナが地図を見て「この赤い印の内側なら、採集に出ても戻りやすいんですね」と言った。
「危険がないという意味ではありません」とミコトが返した。それから少し間を置いて「何が危険かがわかれば、どこへ行けるかもわかる」と付け加えた。ハナを見ていた。
「何に気をつけるかが見えます」とハナは続けた。「台所で使う水と薪も、これで考えやすくなります」
ドウが頷いた。「これは、拠点の道具ですね」
その言い方で、全員が少しだけ地図を見直した。紙に線が引かれているだけではなく、今日から使うものになった。
リュウのメモが欄外に溢れていた。
「この草は食べられます(試済)」
「このキノコは食べられません(試済)」
「これは試していません(試したい)」
「このあたりの土は黒く、水分を多く含む——良い農地になる可能性」
「夜明け前に霧が出る地点——ナル川の蒸発によると思われる」
「これ、私が指定した場所と少し違います」とスズが地図を覗き込んで言った。指で印の上を軽く叩く。「この草毛獣の印、もう少し東です」
「どのくらい」とリュウが聞いた。
「……指二本分くらい」
「地図の縮尺では十分ほどの距離ですね」リュウが印を書き直した。「正確に教えてもらえると助かります」
「頭の中の地図と少しずれていたので」とスズは続けて、また別の場所を指差した。「ここも。捕縛蔦の境界はもう少し南まで伸びています」
リュウが「ありがとうございます」と言って描き直した。スズが「この大岩の形も、丸じゃなくてもっとこう……」と言いかけたところで、
ミコトが「地図の話をしているんですが」と遮った。
「これ、地図の話ですよ」とスズが返した。
「岩の形の話になっていました」
「形が違うと見た時に違和感があるので」
「機能として問題ない形で描けばいい」
スズが「……まあ、そうですね」と言って引いた。
「地図に書いてあります」とリュウが答えた。
「食べられる草の記録は別の紙でいい」
「でも場所の情報なので地図に入ります」
「……農地の可能性も地図に入るのか」
「入ります。将来、拠点で農業をするかもしれません」
ガンが「今の話は農業の話ではない」と返した。
「準備だけしておきます」
ドウが「リュウさん、その情報は別のページに書いてください。地図は危険情報だけに絞ります。その他の有益な情報は、別に記録帳を作りましょう」と割って入った。
リュウが「わかりました」と答えて、欄外のメモをすべて新しい紙に移し始めた。三十分かかった。
移し終えた紙の表題には「危険地図に入れなかったが重要なこと」と書かれていた。
「表題が長いです」とドウが返した。
「重要なので」とリュウが答えた。
ミコトが「別のページになっても、結局増えるのか」とつぶやいた。
「増えます」とリュウが答えた。「世界が広がっているので」
「一回落ち着いてください、リュウさん」とスズが言った。「三行で言えますか、今の」
「言えません」
「試してみてください」
リュウが少し考えた。指折り数えるような目つきになった。「地図は危険を書く紙。別の紙は有益なことを書く紙。両方増えます」
「三行になりました」とスズが言った。「すごいじゃないですか」
「無理があります」とリュウが返した。
翌朝、ガンが地図を持って見張り台に上がった。
見張り台はまだ簡易なものだったが、高さが上がった分だけ視界が広がった。北の標塔が以前より大きく見えた。東の平野の向こうに、薄くミナシロの方向への地形が見える気がした。ガンは地図と目の前の景色を何度も見比べた。
地図に書いてある場所が、本当にそこにある。
当たり前のことだったが、そこに書いてある情報が昨日の自分たちが足で集めたものだ、ということが、改めて実感として来た。
書かれていない場所には、まだ何があるかわからない。
巡回を続ければ、その空白が埋まっていく。
ガンはそれほど言葉にするタイプではなかったが、地図を折りたたんで懐に入れながら、そういうことを考えていた。
その日の昼、ミナシロからの隊商が荷物を運んできた。荷の中に、手紙が一通挟まれていた。ドウが封を開けて読んで、カイを呼んだ。
「ミナシロから、正式な依頼が来ました」




