第110話 外を知る者、目を覚ます
覚醒の、手順が、始まった。
保存槽区画に、五人が、いた。カイが、認証する。ガンとミコトが、手動の装置を、動かす。リュウが、記録する。スズが、帰り道を、確保する。それぞれの、役割を、果たす。
「覚醒手順を、始めます」
カイが、槽の中央に手を当てた。
低い音が、変わった。警告の音から、別の音へ。ゆっくりとした、規則的な音。
「リュウさん」
カイが、うながす。
「始まっています」
リュウが、槽の文字を追った。「『覚醒』。『生体活性化』。少しずつ、起きています」
槽の中の、アオイの、顔色が、変わっていく。眠りが、浅くなっていくのが、わかった。
時間が、かかった。
急に、起こすと、体に負担がかかる。だから、ゆっくり、起こす。リュウが、状態を、見ながら、進める。何度も、止まり、確かめながら。
「無理は、しません」
リュウが、手を止めながら言った。「少しずつ、です。アサさんに、言われました」
「アサさん、ここに、いませんよ」
「いなくても、聞こえます」
リュウが、真顔で返した。「少しずつ、起こせ、と」
あの日の叱責が、耳の奥に住みついているらしい。だが、そのおかげで、手つきは、慎重だった。
やがて、槽の蓋が、ゆっくりと、開いた。冷たい空気が、流れ出す。槽の中の、アオイの、まぶたが、震えた。
「動きました」
スズが、小声で告げた。
アオイの、目が、開いた。
最初、アオイは、何も、わからない様子だった。
目を開けたまま、天井を、見ている。焦点が、合っていない。二千年の、眠りから、覚めたばかりだった。
「アオイさん」
カイが、静かに声をかけた。「聞こえますか」
アオイの、目が、カイのほうへ、動いた。だが、すぐには、反応しない。言葉が、通じていないのかもしれない。
カイは、施設の、補助表示を、使った。槽の文字を、指でなぞりながら、古代文字で、話しかける。カイの、ナノマシンによる、古代文字の理解が、ここで、役に立った。
アオイの、目に、少しずつ、焦点が、合ってきた。そして、口を、開いた。
最初の言葉は、かすれていた。だが、確かに、言葉だった。
「ここは」
声は、かすれていた。「ヤヒロ、ですか」
その言葉に、五人が、止まった。
「ヤヒロ」
カイが、その音を繰り返した。
それは、聞いたことのない、言葉だった。三集落の、伝承にも、ない。だが、アオイは、はっきりと、そう言った。「ヤヒロ」と。
「ヤヒロ、というのは」
カイが、聞き返す。
「この、世界の、名前です」
まだ、かすれた声だった。「あなたたちは、ヤヒロを、何と、呼んでいますか」
五人は、顔を、見合わせた。世界に、名前があるなんて、考えたことも、なかった。世界は、ただ、世界だった。
「私たちは」
カイが、正直に答えた。「世界を、世界、としか、呼んでいません。名前は、知りませんでした」
「ヤヒロ」
アオイが、もう一度、口にする。「それが、この世界の、正式な、名前です」
アオイは、ゆっくりと、体を、起こそうとした。
まだ、力が、入らない様子だった。セリが、すぐに、支えた。
「無理を、しないでください」
セリが、肩を支えたまま言った。「二千年、眠っていたんです。ゆっくり」
アオイは、セリの言葉を、聞いて、少し、落ち着いたようだった。それから、また、口を開いた。
「航行は」
弱い声で問うた。「まだ、続いていますか」
「航行」
カイが、聞き返す。
「ヤヒロは」
アオイが、続ける。「どこかへ、向かっています。その、航行は、まだ、続いていますか」
カイは、答えられなかった。世界が、どこかへ、向かっている。アオイは、それを、当たり前のことのように、言った。だが、五人には、わからなかった。世界が、向かっているかどうかなんて。
「わかりません」
カイが、正直に言った。「私たちは、世界が、どこかへ、向かっているなんて、知りませんでした」
アオイの、表情が、わずかに、変わった。何かを、察したような、表情だった。
カイは、アオイに、何と言うか、迷った。
世界の、真実を、語ることは、できなかった。自分たちが、知らないのだから。だが、何かを、言わなければ、ならなかった。
カイは、シンプルな、ことを、言うことにした。
「ここは」
ゆっくり言った。「三ツ辻、です」
「三ツ辻」
アオイが、繰り返す。
「三つの集落の、中間にある、拠点です」
カイが、目を合わせた。「私たちが、暮らしている、場所です。世界の、真実は、わかりません。でも、ここは、三ツ辻です。あなたが、目を覚ました、場所です」
アオイは、しばらく、カイを、見ていた。それから、ゆっくりと、うなずいた。
「三ツ辻」
ゆっくりうなずく。「わかりました。ここは、三ツ辻、ですね」
世界の、真実ではなく、今、いる場所を、伝える。それが、カイに、できることだった。
アオイは、まだ、力が、入らなかった。だが、意識は、はっきりしてきた。
そして、こう言った。
「外部環境制御が」
アオイの声が、少し明瞭になった。「止まりかけて、います」
「外部環境制御」
カイが、繰り返す。
「ヤヒロの、環境を、保つ、仕組みです」
アオイが、天井を見た。「それが、止まりかけている。地温が、変わったり、霧が、出たりしていませんか」
五人が、顔を、見合わせた。禁域の周りの、地温の変化。霧。それは、まさに、起きていたことだった。
「起きています」
カイが、息を呑んだ。「禁域の周りで、地温が、変わって、霧が、出ています」
「やはり」
アオイが、目を閉じた。「環境制御が、弱っています。このまま、放っておくと、ヤヒロの、環境が、保てなくなる、かもしれません」
その言葉は、重かった。だが、それは、未来への、扉でもあった。アオイは、世界の、仕組みを、知っている。そして、その仕組みが、危機に、瀕している。
「あなたに」
カイが、身を寄せた。「聞きたいことが、たくさん、あります。でも、今は、休んでください。まず、三ツ辻に、来てください。温かいものを、用意しています」
「温かい、もの」
アオイが、少し戸惑ったように繰り返した。
「はい」
カイが、微笑んだ。「お腹が、空いているでしょう。二千年、眠っていたんですから」
アオイは、その言葉に、少し、表情を、緩めた。二千年ぶりの、人間らしい、言葉だったのかもしれない。




