第106話 眠っている人間
翌日、五人は、もう一度、保存槽区画へ入った。
最後の、生きている槽。その中を、確かめるためだった。覚醒の手順を、始める前に、中に、何がいるのかを、知る必要があった。
カイが、槽の蓋に、手を当てた。淡い光が、強くなる。蓋の表面の、曇りが、晴れていく。
そして、見えた。
中に、人がいた。
「人です」
スズが、息を呑んだ。「本当に、人が、いました」
若い女だった。
目を閉じて、横になっている。眠っているように、見えた。古代の衣服を、身につけている。三集落の衣服とは、まるで違う、見たことのない、布だった。
肌は、生きている人の、色をしていた。死んでいるようには、見えない。ただ、深く、眠っている。二千年、眠り続けている。
「生きている、んでしょうか」
スズが、小声で漏らした。
「『生体維持』とありました」
カイが、蓋越しに女を見た。「生きている、はずです。でも、維持が、不安定。だから、音が、出ている」
リュウが、ノートに、女の様子を、記録していた。手が、少し、震えている。
「リュウさん」
スズが、その横顔をうかがった。
「記録します」
声が、固かった。「ちゃんと、記録します。これは、すごい、ことです」
あれだけ喋る男が、また、一言に、なっている。喋りたいことが多すぎて、逆に喉が詰まる、という顔だった。
カイは、槽の、表面の文字を、読んだ。
「『外部記録担当』」
文字を追う。「それから、名前が、あります。……『アオイ』」
「アオイ」
ミコトが、その名を繰り返した。
「この人の、名前です」
カイが、女の顔を見つめた。「アオイ。外部記録担当。父の記録にあった、『外を知る者』は、この人かもしれません」
五人は、しばらく、眠るアオイを、見ていた。二千年前の人間。世界が、まだ、自然じゃなかった頃を、知っているかもしれない人。
「きれいな人ですね」
スズが、ぽつりとこぼした。
「二千年、眠っているのに」
リュウが、顔を寄せる。「年を、取っていません。保存槽が、時間を、止めていたんでしょうか」
「わかりません」
カイが、首を横に振った。「でも、この人は、二千年前の、姿のまま、眠っています」
カイは、複雑な、気持ちだった。
「この人を、起こすことは」
槽から目を離さない。「助けることなのか、それとも、危険な、干渉なのか」
「どういう意味ですか」
スズが、聞き返す。
「この人は」
カイが、声を落とした。「二千年、眠っていました。起こせば、目を覚まします。でも、目を覚ました世界は、この人が、知っている世界と、まるで違う。知っている人は、みんな、死んでいる。二千年、経っている」
「それは」
スズが、言葉を探した。「つらい、ことかもしれませんね」
「でも、放っておけば」
ミコトが、静かに割って入る。「保存が、止まる。この人は、眠ったまま、終わる。それは、助けないということだ」
カイは、眠るアオイを、見つめた。起こせば、つらい目覚めが、待っている。起こさなければ、静かに、終わる。どちらが、この人のためなのか。わからなかった。
リュウが、覚醒の手順について、調べていた。
「覚醒には」
手順書を指でなぞる。「いくつか、段階があります。急に、起こすと、体に、負担がかかるかもしれません。ゆっくり、時間をかけて、起こす必要があります」
「どのくらい、かかりますか」
「わかりません」
リュウが、口ごもった。「でも、すぐには、終わらない気がします。それに――」
「それに?」
「起きた後の、こともあります」
リュウが、指を折る。「二千年、眠っていた人が、目を覚ます。最初は、何も、わからないかもしれない。言葉が、通じないかもしれない。世話が、必要です。それから、聞きたいことが――外界のこと、乗り物のこと、環境制御のこと、星のこと、番号の意味――」
喉の詰まりが、抜けた瞬間、堰が切れた。指が、足りなくなっている。
「質問項目を」
リュウが、なお続けた。「作っておかないと。起きたら、まず何を、聞くか。順番も、決めて――」
「リュウさん」
いつの間にか記録の補助で来ていたアサが、横から遮った。「起きた直後に、たくさん聞くのは、だめです」
「でも、聞きたいことが、たくさん」
「起きたばかりの人に」
アサは、一歩も引かない。「質問を、浴びせたら、混乱します。少しずつ、です」
「……はい」
二千年の眠りから覚めた人を待っていたのが、質問項目びっしりのノートだったら、それはそれで気の毒である。アサの、真っ当な判断だった。
戻る前に、カイは、もう一度、眠るアオイを見た。
「あなたは」
蓋に手を触れたまま小さくつぶやいた。「外を、知っているんですか」
アオイは、答えなかった。ただ、静かに、眠っている。槽の維持が、不安定になりながら。低い音が、続いている。
「この人を」
カイが、立ち上がった。「起こすかどうか。三ツ辻、全員で、決めます。私たちだけじゃ、決められません」
「評議会だな」
ガンが、応じた。
「はい」
カイが、うなずいた。「この人を、三ツ辻に、受け入れるかどうか。それは、五人で、決めることじゃ、ありません」
来た道を、戻った。最後の槽に、眠る、アオイ。外を知る者。二千年前の人間。その存在は、思っていたより、ずっと、重かった。ユズキの言葉の、意味が、わかった気がした。
外に出ると、冬の空気が、冷たかった。カイは、空を見上げた。動かない星。もし、アオイが、目を覚ましたら――この星が、何なのかも、わかるのかもしれない。
「起こす準備を、します」
カイが、白い息を吐いた。「でも、その前に、みんなの、声を聞きます」




