第105話 乗員という言葉
その夜、三ツ辻に戻った五人は、「乗員」という言葉を、考えていた。
資料室で、これまでの記録を、並べた。禁域の文字、保存槽の文字、A番号、B番号、C番号、F番号。そして、「乗員」。
「乗員、というのは」
リュウが、指を組んだ。禁域では黙っていた反動か、いつもの饒舌が、戻っている。「何かに、乗っている人、という意味だと思います。でも、何に、乗っているのか」
「船、でしょうか」
スズが、顔を上げた。「船には、乗員がいます」
「船」
ミコトが、短く返す。「でも、ここは、陸だ。船は、ない」
「川には、舟があります」
スズは、引かない。「ドンのいる、ナル川に」
「あれは、舟だ」
ミコトが、首を振った。「乗員、と呼ぶほどの、大きさじゃない」
カイは、「乗員」という言葉を、見つめていた。何かに、乗っている人。船でも、舟でもない。では、何に。
ミコトが、ふと、言った。
「この世界、そのものが」
ミコトの声が、いつもより低かった。「何かの、上にあるのかもしれない」
全員が、ミコトを見た。
「どういう意味ですか」
スズが、身を乗り出す。
「わからない」
ミコトは、慎重だった。「ただ、『乗員』という言葉と、『外を知る者』という言葉を、合わせて考えると――この世界が、何かに、乗っているのかもしれない、と思った」
「世界が、乗り物、ということですか」
カイが、確かめる。
「断定はできない」
ミコトが、言葉を選ぶ。「でも、『外を知る者』は、世界の外を、知っている者だ。世界に、外があるなら――世界は、何かの、中にあるか、上にある。乗り物のように」
部屋が、静かになった。世界が、乗り物。その考えは、あまりに、大きすぎた。
リュウが、これまでの言葉を、つなげた。
「『外部環境』」
記録を指でたどる。「『区画』。『乗員』。『保存』。全部、合わせると――この世界は、自然のままの土地じゃ、ないのかもしれません」
「自然のままの土地じゃない」
カイが、その言葉を受け止めた。
「『外部環境制御』という言葉も、ありました」
リュウの声が、速まる。「環境を、制御する。B番号が、地温や霧を、変えていました。あれは、環境を、制御していたんです。もし、世界全体の環境が、制御されているなら――」
「世界は」
カイが、先を引き取った。「誰かが、作って、管理している、ということですか」
「かもしれません」
リュウが、うなずく。「ずっと、不思議でした。星が、いつも同じ場所にあること。空に、光の柱が立っていること。地面の下に、古い仕組みが、埋まっていること。全部、世界が、自然じゃ、ないからかもしれません」
スズが、考えながら言った。
「世界が、乗り物なら」
天井を見上げる。「揺れたら、困りますね」
全員が、一瞬、本気で、考えてしまった。
世界の理を巡る、壮大な議論の途中で、投げ込まれた素朴すぎる一言。だが、否定する材料が、誰にもない。
「揺れたことは、ない」
ミコトが、真面目に応じた。
「地震は、ありますよ」
「地震は、揺れだ」
リュウが、言い淀んだ。「でも、世界が、乗り物として、揺れるのとは、違う……たぶん」
「たぶん、ですか」
「わかりません」
リュウが、頭をかいた。「世界が、何かに乗っているとして、それが、どこへ、向かっているのか。揺れるのか、揺れないのか。何も、わかりません」
カイは、窓の外を、見た。夜空に、星が、いつもの場所に、ある。動かない星。生まれた時から、ずっと、そこにある星。
「星が、動かないのも」
カイが、窓に目を向けたまま言った。「世界が、何かの、決まった場所に、あるからかもしれません」
誰も、しばらく、何も言わなかった。
世界が、乗り物。自然じゃ、ない。誰かが、作って、管理している。その考えは、これまでの、すべての発見を、説明するように思えた。だが、同時に、信じがたいほど、大きかった。
「保存槽の中の人は」
カイが、静けさを破った。「『乗員』です。世界が、乗り物なら――あの人は、世界が、まだ、自然じゃなかった頃のことを、知っているのかもしれません」
「『外を知る者』」
ミコトが、その言葉を置いた。「世界の、外を、知っている」
「だから、起こすんですね」
スズが、顔を上げた。「あの人に、聞けば、わかるかもしれない」
「かもしれません」
カイの声に、迷いがにじんだ。「でも、ユズキさんは、思っているより重い、と言いました。あの人が、何を語るか。それは、私たちの、世界の見方を、変えてしまうかもしれません」
その夜、カイは、なかなか、眠れなかった。
世界が、乗り物。自分たちが、乗員。その考えが、頭から、離れない。
もし、それが、本当なら――三集落も、外部市も、ナル川も、標塔も、全部、誰かの作った、乗り物の、中にある。そして、その乗り物は、どこかへ、向かっている。あるいは、向かっていた。
「父は」
闇に向けて、カイはつぶやいた。「これを、知っていたんでしょうか」
父の記録に、「外を知る者」とあった。父は、保存槽の中の人を、知っていた。なら、父は、世界が乗り物だということも、知っていたのかもしれない。
だが、父は、それを、語らなかった。語らないことが、守ること。ナルセも、ユズキも、同じことを言った。
「明日」
声にならないほど小さく、カイは続けた。「あの人を、起こします。そして、聞きます。世界が、何なのかを」
窓の外の星は、いつもの場所に、あった。動かない星。もし、世界が乗り物なら、あの星は、乗り物の、外にあるのだろうか。それとも、乗り物の、一部なのだろうか。
答えは、保存槽の中で、眠っていた。




