第104話 保存槽区画
保存槽を、起こす日が来た。
五人で、禁域に入った。準備は、整っていた。携行食、撤退鈴、目印紐、記録の道具。それぞれの役割も、決まっている。クロは、留守番。ガンも、今回は、入る。
保存槽区画の奥、これまで行き止まりだと思っていた場所。カイの認証と、ガンとミコトの手動操作で、最後の扉を開けた。
その先に、保存槽区画が、あった。
「これは」
スズの声が、小さくかすれた。
石棺ではなかった。透明な蓋を持つ、長い槽が、いくつも並んでいる。人が、横になって入れるほどの、大きさ。多くは、空だった。一部は、蓋が割れて、壊れていた。
区画は、冷たく、静かだった。
二千年の、静けさが、そこにあった。埃は、ない。空気は、動かない。音は、吸い込まれて、消える。
カイは、並んだ槽を、一つずつ、見ていった。空の槽。壊れた槽。中には、何もない。あるいは、あったものが、もう、失われている。
「ほとんど、空です」
指先で、槽の縁をなぞる。「あるいは、壊れています」
「何かを、保存していた場所、ですよね」
スズが、並んだ列を見渡した。「でも、もう、ほとんど、残っていない」
「二千年だ」
ミコトは、動じない。「保たなかったものが、多いんだろう」
リュウが、黙っていた。
これが、異常だった。ノートを開いて、ただ、記録している。文字を、写している。いつもなら、新しい発見の前で、口が滝のように止まらなくなる男が、一言も、発しない。
「リュウさんが、静かです」
スズが、小声でこぼした。
「怖いな」
ガンが、腕を組んだ。壮大な謎より、黙ったリュウのほうが、この男には不気味だったらしい。
区画の、奥へ進んだ。
空の槽、壊れた槽が、続く。だが、一番奥に、一つだけ、違う槽があった。
その槽だけ、微かに、光を、保っていた。蓋が、割れていない。中に、何かが、ある。
五人は、その槽に、近づいた。
低い音が、その槽から、聞こえていた。三ツ辻まで届いていた、あの音。保存槽の維持が、不安定になっている、警告の音。ここが、音の、源だった。
「これです」
カイが、槽の縁に手を添えた。「この槽が、まだ、生きています。音は、ここから、出ています」
カイが、槽の、表面を見た。文字が、刻まれている。淡い光に、照らされて、読めた。
「『乗員』」
カイが、その一語を読み上げた。
その言葉に、全員が、止まった。
「乗員」
ミコトが、その語を繰り返す。「何かに、乗っている、という意味だ」
「わかりません」
答えて、カイが続ける。「ただ、『乗員』と、書いてあります。この槽の中にいるものは、『乗員』です」
カイは、槽の蓋に、近づいた。透明な蓋の、向こうを、覗き込もうとする。だが、淡い光が、邪魔をして、中が、よく見えない。
「中に、何が、いるんでしょうか」
スズが、蓋を覗き込んだ。
「『乗員』なら」
リュウが、ようやく口を開いた。「人、かもしれません。乗員、というのは、何かに乗っている、人のことかも」
「何に、乗っているんだ」
「わかりません」
リュウが、槽に目を戻す。「でも、人だとしたら――この槽の中に、人が、いるかもしれません」
カイは、槽の蓋に、手を近づけた。
すると、蓋の表面が、淡く光った。文字が、浮かび上がる。
「『生体維持』」
カイが、浮かぶ文字を追った。「『安定』……いえ、『不安定』。維持が、不安定になっている」
「中の人は」
スズの声が、少し震えた。「生きているんですか」
「『生体維持』とあります」
カイが、なお続けた。「生きている、ということだと思います。でも、維持が、不安定。このままだと、いつか、止まる」
五人は、しばらく、その槽を、見ていた。中に、誰かがいる。生きている。二千年、眠っている。そして、その眠りが、終わりかけている。
「父が」
カイが、槽を見つめたまま言った。「守ろうとしたのは、これかもしれません。この、最後の、生きている槽。中にいる、誰か」
「『外を知る者』」
ミコトが、静かに言い添えた。
「かもしれません」
カイは、槽の前で、深く、息を吸った。
「起こすには」
息を吐いてから、続けた。「外から、手動で、復旧する作業が、必要です。私の認証と、みんなの手で。覚醒の手順を、始めます」
「いいのか」
ガンが、低く問うた。「起こして」
「わかりません」
カイは、目をそらさなかった。「でも、放っておけば、止まります。父が守ろうとしたものが、消えます。それは、嫌です」
「ユズキは、思っているより重い、と言った」
ミコトの声は、脅すでも案じるでもない。ただ、置いた。
「覚悟は、しています」
カイの声は、静かだが揺るがなかった。「中にいるのが、誰でも。何を語っても。それでも、起こします。一人じゃ、ありません。みんなで、向き合います」
五人は、最後の槽の前に、立った。淡い光を、保つ槽。中に、二千年、眠る誰か。その覚醒の手順を、始める時が、来ていた。
「今日は、覚醒の準備までです」
カイが、みんなを見回した。「中の状態を、もっと、調べます。安全に、起こす方法を、確かめてから。急がず、でも、先送りもせず」
「そうだな」
ガンが、短くうなずいた。
保存槽区画の、奥。淡く光る、最後の槽。その中の誰かが、目を覚ます日が、近づいていた。




