第101話 禁域が拠点を試す
冬の初めだった。
禁域の影響で、地温が変わったせいか、その年は、獣の動きが、おかしかった。針鼠狼が、いつもと違う方向に出てきた。三ツ辻の、南側の警戒線に、近づいてきている。
「針鼠狼が、南に来ています」
スズが、見張り台から身を乗り出した。
「いつもは、森の奥にいるのに」
「禁域の熱で、獣の縄張りが、ずれたのかもしれません」「いつもの場所が、温かくなって、住みにくくなった。それで、移動している」
「数は」
「五頭くらいです」「群れで、動いています」
「三ツ辻に、向かっているのか」
「畑の、方向です」
畑、というひと言で、話は一気に切実になった。世界の秘密より、まず今年の冬の食い扶持である。
すぐに、対応が、始まった。
野廻り隊の五人、クロ、それに、ちょうど来ていたツキ、そしてアサ。総出で、針鼠狼を、押し戻す。
「正面から、戦いません」「嫌音鈴と、罠で、追い返します。怪我人を、出さない」
「自分が、罠を、仕掛けます」
クロが、すでに立ち上がっていた。
「南の警戒線に、補助罠を、置いてあります。それを、使います」
「クロの罠が、初めて、本番で使われるな」
「うまく、いきます」
クロが、南の警戒線へ走った。針鼠狼の進路に、罠を、配置していく。ガンが教えた技術が、クロの手で、動いていた。
針鼠狼が、警戒線に、近づいてきた。
五頭の群れ。低い唸り声を上げながら、畑の方へ向かっている。
「嫌音鈴、鳴らします」
リュウが、鈴を鳴らした。
リィン、リィン。
針鼠狼が、嫌がって、足を止める。だが、すぐには、引き返さなかった。
「効きが、悪いです」「いつもより、興奮しています。禁域の熱で、苛立っているのかも」
「罠の方へ、誘導します」
ミコトが、弓を構えた。針鼠狼の進路を、限定する。射るのではなく、足元に矢を放って、方向を、変えさせる。
スッ、スッ。
針鼠狼が、ミコトの矢を避けて、クロの罠のほうへ、進んだ。
「来ます」
クロが、罠の縄に手をかけた。
「もう少し……今です」
クロが、罠を作動させた。
ガランガランッ!
音響罠が、一斉に鳴った。針鼠狼が、驚いて、跳ねた。
ツキが、針鼠狼の動きを、見ていた。
「右の二頭が、群れから、外れます」
ツキの目が、群れの端を追っていた。
「あの二頭が、群れを、引っ張っています。あれを、押し返せば、群れごと、退きます」
「ミコトさん、右の二頭を」
「わかった」
ミコトが、右の二頭の進路に、矢を、続けて放つ。二頭が、たじろいだ。
同時に、クロが、別の罠を作動させた。音が、右から、針鼠狼を、押し返す。
群れが、向きを、変え始めた。
「退いています」「森のほうへ、戻っています」
針鼠狼の群れが、森の奥へ、引き返していった。怪我人は、出なかった。畑も、無事だった。
「うまく、いきました」
「クロの罠が、効いた」
「自分の罠が、役に立ちました」
クロの声が、少し弾んでいた。
「ガンさんが、教えた通りだ」
「ガンさん、嬉しそうです」
「うるさい」
嬉しそうな顔を、指摘されて否認する。この人の反応は、いつも同じである。
戦いが終わると、バターが、何事もなかったように、警戒線の草を食べていた。
「バター!」
スズが、両手を振り上げた。
「危なかったんですよ、今!」
バターは、のんびりと、草を食べ続けた。針鼠狼がいたことなど、気にしていない様子だった。むしゃ、むしゃ、と、いつもの速度である。
「心臓に、悪い草毛獣です」
いつの間にか、ハナが食堂の戸口から見ていた。証言者は、やはり厨房から現れる。
「ミルクは、ちゃんと、避難していました」「バターだけ、残っています」
「親より、肝が、据わっています」
「肝が据わっているんじゃなくて」「危険が、わかっていないだけだ」
「どっちにしても、心臓に悪いです」
どちらにしても、である。針鼠狼五頭を押し返した一同より、草を食べ続けた一頭のほうが、この日、いちばん堂々としていた。
その夜、見張りに立っていたクロが、妙な音を聞いた。
禁域の方角から、低い音が、聞こえてきた。地面の下から響くような、長く、鈍い音。針鼠狼の声でも、風の音でもなかった。
クロが、ガンを呼んだ。ガンが、耳を澄ました。
「禁域から、音がしている」「カイを、呼べ」
カイが、来た。音を、聞いた。
「これは」
音の方角に、顔を向ける。
「禁域の入口が、応答する時の音に、似ています。でも、もっと、低い。もっと、奥から」
「保存槽区画か」
いつの間にか、ミコトが来ていた。
「かもしれません」「保存槽区画の、奥から、信号が、出ているのかもしれません」
禁域の方角から、低い音が、続いていた。針鼠狼を押し返したのは、拠点を守る、いつもの仕事だった。だが、その夜の、禁域からの音は、別の何かを、告げていた。
「明日」「禁域に、行きます。あの音の、正体を、調べます」
冬の夜空に、禁域の方角だけ、低い音が、響いていた。それは、警告のようでもあり、呼びかけのようでもあった。




