ひとつひとつ【10】グレンの望み①
研究所所長からの資料を見て、突然叫びだしたグレンです。
「グレン、いったい何なの?」
「まさか。そんな。嘘だろ。おい。」
おーいグレン。戻ってきてーー。
立ち上がってグレンのそばまで行って、肩に手を置きました。
グレンがわたくしを見上げます。
「どうしたの?」
グレンは手に持った資料を握りしめています。
「研究所の方の実験うまく行ったって・・・。学会の前日に作動したって・・・。」
「良かったじゃない!どうやって?!」
「それがさ、何だか馬鹿馬鹿しくなる内容なんだよ。読んでみて。」
グレンに資料の1枚目を渡されました。
ミリアム写本をゴドンご夫妻に見せていただいた際、所長はその場で簡易の写しを作り、研究所の研究員の方々と共有したそうです。わが国も、まだ正式な写本ができていないだけで、内容を秘匿する意図はありません。問題はありません。
やはりそこで、
「何故ブラッドライトか」
「何故人体か」
ということが話題になりました。
ある一人の研究員の方が、半ばやけ気味で、ブラッドライトはかつて血を意味していたから、血を使えばうまく行くかも、とあまり研究者的ではない発想に至ったそうです。
たまたまその方のお兄様が実験の被験者でした。
「兄さん、研究には尊い犠牲が付きものなんだよ。」
「お前の犠牲じゃない。俺の犠牲だ。今時「血」で個人使用設定なんて、痛いじゃないか。」
「じゃあさあ。ビール1週間分で。」
ダスラウ王国では、ビールに良い味をつけるホップが栽培されており、名産品の一つです。
「可愛い弟のためだ。1か月分で許してやる。」
話し合いの結果、ビール2週間分で尊い犠牲がはらわれ、血による個人使用設定を試したそうです。
ーーすると。魔道具が起動したと。
うまくいってしまったとーー嬉しいが、嬉しいのだが解せないという要旨でした。
別に良いと思います。進歩はトライ&エラーの蓄積の結果です。
犠牲の代償、ビール2週間分のうち、所長が1週間分を負担、極上のビールを差し入れしたそうです。
「読んだ?」
「読んだわ。」
読み終えた資料の1枚目をグレンに返しました。
グレンは資料の続きを読み進めています。
「所長の考えによると、人体補助の魔道具は、他の魔道具と同じ考え方ではいけなかったのではないかって。」
「同じ考え方というと?」
「普通使ってる魔道具は、個人使用設定しなくても使えるよね。」
使えます。特定の人にだけ使えるようにするために個人使用設定をするのです。
「人体補助の魔道具に関しては、そもそも個人に合わせて機能するものだから、先に個人使用設定しなければそもそも起動しない。」
「そして、今の回路だと、その個人使用設定は血で行うことになるってことなのね。」
「この資料で取り急ぎ連絡してくれていて、詳しい報告書は今から作成するって。」
「よかったわ。先に進んだのね。グレアム叔父様の魔道具も起動するのね。」
ほっとします。実験開始から、回路に不備はないはずなのに何故起動しないのか、グレンも、研究所の方も悩み抜いていました。
「いや。わからない。問題は残ってる。他の被験者の方も、同意が取れた方から血による個人使用設定を進めることになって。起動した方があったってことで、もうその日のうちにかなりの被験者に対して血による個人使用設定を実施できたらしい。ほとんどが起動した。だけど、二人ほど、血による個人使用設定をしても起動しないケースがあったらしい。」
「え、そうなの?」
思わずグレンの顔を見やりました。うまく行かないケースがあるなんて。
「でも、やってみるしかない。じいさまの魔道具も、起動するかもしれない。」
じいさま寝てるし、今起こせないから、起きてから、とグレンは椅子の上で膝を抱えました。
もうじき明るくなる兆しはありますが、外はまだ暗いのです。まだ星が見えます。
グレン、気持ちはわかりますが、貧乏ゆすりはどうかと思います。
グレンが膝を抱えたまま話し始めました。
「もし、じいさまの魔道具がうまく起動してくれたら、この国にも研究機関が設置できるかもしれないんだ。」
「ダスラウ王国と同じような?」
両手でマグカップを包み込みます。まだ温かい。
「そう。この国では人体補助魔道具の必要度が低く評価されていて、これまで人体補助魔道具の研究機関は設置されていなかった。大学の研究室などでは個別に研究が進められてはいたんだけどね。それがもし、実験が成功して魔道具としての実用性が認められることになれば、ダスラウ王国との連携の深まりや被験者のじいさま知名度もあって、それが話題に上る今なら、研究機関設置が国としての検討対象になる可能性がある。」
「そうね。この国は比較的暖かいためか、ダスラウ王国ほどは問題を抱える方がいらっしゃらなくて、優先順位が後になってしまっていたわね。それで、グレンは、研究所の仕事を続けて行きたいの?」
何となくカフェオレの表面を見つめます。
「わからない。じいさまの手足が前みたいに動くようになって、じいさまの周囲で同じように苦しんでいる方々にも対処できたらって考えてるけど、今の俺の目標はそこまでなんだよ。わが国に研究所ができればいい、と思うけれど、そこでずっと仕事をしたいとまでは思っていない。今は。別の目標ができるかもしれないから。」
グレンは抱え込んだ膝の上に顎を載せました。
「大学も、ダスラウ王国の大学への飛び級入学を勧められてるのだけど、止めてる。できるなら、この国の大学に進学したいし、専攻も魔道具関連では無いかもしれない。」
「他に勉強したいことがあるの?」
わたくしもお行儀悪くテーブルに肘をついて、手に頬をのせました。
「うん。まだわからないけれど、専攻は行政関連にするかもしれない。」
少々驚きます。学問的には、魔道具とはかなり離れた分野になります。
「そうなのね。少し驚いた。でも、もともとグレアム叔父様の状態を改善することが目標だったものね。その意味では何も矛盾は無いことよね。グレンがやりたいことがあるなら、それが一番。」
「ま、状況次第なんだけどね。」
グレンは頬をゆるめて少し笑いました。
将軍ご夫妻が起きてこられて、朝食をとられて少し時間がたつまで、グレンはこらえました。
ご夫妻が落ち着かれたであろうところを見計らい、資料と実験用の人体補助魔道具を持って、こじんまりとしたモーニングルームに入りました。
新聞を置いて読むのにちょうどよさそうな大きさで、高さも高めなどっしりとした木製のテーブルが置かれています。
その周囲に置かれた、ひじ掛けや背もたれのがっしりとした椅子は、長時間座っていても苦にならなそうです。
「じいさま、ばあさま、おはよう。」
「おはようございます。グレアム叔父様、フラン叔母様。」
お二人で新聞を読んでおられたようです。
「2人そろってどうしたの?」
新聞をテーブルに置いて、お二人がこちらをご覧になりました。
お二人の後ろから、朝の光が入ってきています。
グレンは口早に言いました。
「昨日所長からもらった資料なんだけど。1枚目読んでみて。その方が早いと思う。」
資料を渡して、読み進めるお二人をじっと見ています。
気が急いているのでしょう。
手を握ったり開いたりを繰り返しています。
「大体のところはわかったわ、グレン。」
「血による個人使用設定を試したいんだな?」
興奮気味のグレンと比べ、ご夫妻は落ち着いていらっしゃいます。
「うん。傷をつけてしまうことになるけれど、試してみたい。」
「わかった。じゃあやろうか。」
無造作にナイフを出さないでください。
グレアム叔父様がフラン叔母様に頭をはたかれています。
「魔道具個人設定用の道具があったはずだから出してきましょう。」
「あ、あの太めの針のようなパーツが先端についているものですね?」
ソフィア様の、公爵家の蔵に転がっているというやつですね?
「よく知ってるわね。今では使う機会もないのに。」
「ケリーさんの、いえフローリーで見せていただいたことがあって。」
とってこられたのはフローリーで見たものとよく似た形の、装飾の控えめなものでした。
念のため血止めの布とタオルを用意して、魔道具を置き、グレアム叔父様が指先に針の先端を当て、血を出させました。
その血を使って、グレンが慎重に魔道具の個人使用設定の手順を進めて行きます。
研究所所長からの資料によると、個人使用設定の手順が完了すれば、間を置くことなく魔道具が起動するはずです。
グレンが個人使用設定を終え、息を吐きました。
4人で魔道具の起動を待ちます。
グレアム叔父様の魔道具が起動しますように。お手が元通り動くようになりますように。




