ザッハトルテ【3】 誕生日
二ヶ月後、女子寮の先生から紙袋を受け取ったのは、夕食後のもう遅い時間でした。殴り書きで紙袋に直にわたくしの名前が書いてあり、下の方に小さく「フィリップ」とありました。
この薄い紙袋は知っています。
薄めの紙袋入りのケーキは、ダニエルズのバックドア売りのケーキです。ごくわずかですが、その日に残ってしまいそうなケーキや、うっかり形を崩してしまったケーキを閉店間際に割引で売ってくれるのです。
時間になると、お店の裏手のバックドアを開けて販売してくれるのでバックドアケーキと呼ばれています。低価格で販売するため、通常販売で付属する保冷魔道具は付属しておらず、入れ物の紙袋も薄いものです。
多くの方にダニエルズのケーキを知って欲しいというオーナーの願いのあらわれでもありました。通常の金額での購入が困難な方への販売を目的としていることは分かっており、貴族や金銭的余裕のある者がバックドアケーキを購入することは通常ないのです。若い頃はバックドアケーキにお世話になりました、と店内で通常のケーキを選びながら懐かしそうに語る方をお見かけしたこともあります。
本日、ダニエルズはとっくに閉店しています。
閉店間際に購入し、あわてて寮に帰れば夕食の時間、そのまま放置して夕食後に女子寮に届けに来たのでしょう。
手を伸ばして先生の持っておられた袋に触れると、春の終わりの陽気そのままの温度でした。先述のようにバックドアケーキに保冷の小さな魔道具はつきません。持参するか別売りで購入するかですが、多くの方は持参されていたのではないでしょうか。
いずれにせよ、フィリップ様は保冷の魔道具持参の手間も購入の負担も避けられたのですね。
先生にお礼を言って袋を手元に取ると、少しすえた汗のにおいがしました。小さ目の紙袋は持ちにくいので、持ち帰るのに体育着用の袋でも適当に持って行かれたのでしょう。
外は暗く、自室に向かって照明を少し落としてある廊下を歩くと、靴音が響きました。
着いた自室も真っ暗です。
部屋に入って魔道具ライトをつけました。読書好きのわたくしのために、両親が寮に照明の型番を問い合わせ、わざわざ入れ替えてくれた強力なライトですが、明るさが足りないような気がしました。
紙袋は机に置くと、かさりと音を立てました。
中央部分に茶色い染みができており、嫌な予感がしました
指にまとわりつく薄い紙袋の口を広げました。
やはり。
一部が溶け崩れたザッハトルテでした。
よりによってザッハトルテ・・・。
こんなに粗末に扱われて。
紙袋の、わたくしの名前が書かれた側と別の側に、お誕生日おめでとう、と書き殴ってありました。
今日はわたくしの誕生日でした。
毎年のことですが、領地の父母からは今日の日に必ず間に合うようにと、数日前に女子寮に贈り物がとどいていました。寮の先生宛てで、お手数ですが当日の朝にミリアムに届けて下さい、とのメッセージ付きです。わたくしの誕生日は、朝から特別な一日であって欲しいという父母の願いでした。
父母から、祖父母から、お友達から、心尽くしの贈り物とおめでとうの言葉を頂いて素敵な日を終えようとしていたところでした。
机の上の紙袋に目をやります。
ラデルのおばさまかおじさまに、わたくしの誕生日について注意を受けたにも関わらず忘れており、慌てて取り繕った、と言ったところでしょうか。
愚かです。
友人であるマリエル様にダニエルズスペシャルボックスを贈っておいて、婚約者であるわたくしにバックドアケーキを贈る。しかも、おざなりな方法で贈ることの意味と結果がわからない。
何もない方が良かったのです。
極端な比較の対象を作ってしまうことで、わたしは手ひどく愚弄されたことになります。
事実、不愉快でたまりません。わたくしへの軽視であり侮蔑です。
仮にいつもの考え無しの行動だとしても、ここまでの行動は悪意を意味するものと相違ありません。
突然泥の中に突き倒された気分です。
わたくしにとって幸せな日々、両親からの愛情、信頼、家族のもたらす安寧と平穏を意味していたザッハトルテ。
オーナーとマダムの長年の努力の結晶である世界一のザッハトルテ。
それが今、愚弄、軽視、侮蔑、嘲笑を押しつけられて載せられて、悪意の道具に貶められている。
取り繕いのケーキなど不要です。こんなに人を愚弄するプレゼントなら、いっそ贈らなければよいのに。
せめてザッハトルテでなければよかったのに。
それでも、ダニエルズのオーナーが、熱心な研究の末に心を尽くして作ったケーキです。
わたくしはのろのろと崩れたケーキを自室の皿に移しました。小さなテーブルの上に皿をのせ、前に座りました。
先ほどの、紙袋に染みついていた汗のすえたにおいが鼻を占拠しています。コーヒーをいれる気にもならず、一度立ち上がって水差しから水をグラスに注ぎました。
紙袋は離れた場所にあります。このすえたにおいは本物では無くわたくしが作り出した幻臭なのでしょうか?いつものうっとりとする様な香りがわかりません。
先延ばしにしても仕方がありません。
重く冷たいフォークを手にしました。
味がしません。
食感は分かるのです。ですが味が分からないのです。
味を欠いた食感、それは経験したことの無いとても薄気味悪いものでした。
オーナー、マダム、ごめんなさい。食いしん坊が自慢なのに、世界一のザッハトルテが今日はわかりません。
食べ終えると、部屋から出ました。紙袋を部屋に置いておきたくありませんでした。部屋のごみ箱にいれると回収まで部屋にあることになります。ところどころにある照明の光をたよりに、焼却炉の前の、次に焼却予定の箱に紙袋を入れました。
廊下を通って戻ってきたとき、お隣のアマーリエに声をかけられました。領地で開発中の炭酸水の味見をしないかと。
「大人向けの、他の商品とは違う味を探していて少し癖があるの。慣れるとそこが美味しいのだけれど」
領地で作っている柑橘類の皮を入れてあるそうです。なるほど少し苦みのある味で、慣れるまでに少しかかりそうな味でした。
おそらくアマーリエは、とんでもないプレゼントのことを知って、気を遣って下さったのでしょう。紙袋を受け取ったとき、周囲に女子寮の寮生がまだ沢山おられました。
味がしないのに口の中に残る気持ちの悪さを、新開発の炭酸水が、アマーリエの気遣いとともに、綺麗に洗い流してくれるようでした。
笑って誕生日を終えることができたのは僥倖でした
後で聞くと、わたくしの名前とお誕生日おめでとうの文字を書き殴った紙袋を、男子寮共用の食卓に置いたまま夕食をとっていたそうですね?
男子寮の多くの生徒がそれを目にしたはずです。
また、彼らの多くが、フィリップ様がマリエル様にお誕生日のお祝いとしてダニエルズのピンク色のスペシャルボックスを贈ったことを知っていました。
翌日から、愚かな一部の人々は、わたしを愚弄し始めました。




