ひとつひとつ【3】ミリアム写本②
グレンの話を聞き終わり、今、光の差し込む部屋で写本を前にして座っています。
緑と琥珀の縞々のソファにグレンと隣り合わせで、一緒です。
グレンに写本を作ったときの話がしたい。
ダレス先生たちとルスカメモを直接見せていただいたときに気がついたこと。
赤の色を認識するために色見本のカードで事前にトレーニングしたこと。
それなのに当日、色がわからなくて苦しんだこと。
最後の最後に、偶然光がさしこんできて、ブラッドライトと分かった時の喜び。
興奮で眠ることなく写本とレポートを作ったこと。
フローリーに走って、ブラッドライトの粉末をいただいたこと。
ガーランドさんと画用木炭の実験をしたこと。
ケリーさんが走って資料を届けてくれたこと。
美術の先生に手伝ってもらって、ブラッドライトの粉末を彩色できるよう加工したこと。
ラナックベチュラワームのこと。
新発見のルスカのメモが「ルスカのパズル」であること。
何故人体のスケッチなのか。
何故ブラッドライトの彩色なのか。
文字であるメモの部分も、書いてあることが謎めいていること。
伝えたい。伝えたい。話が止まりませんでした。
グレンはうなずきながら、静かにわたくしの横にいてくれました。
ひとつだけ。
「ラナックベチュラワーム?虫詳しいの?昆虫女子だった?」
グレンに復讐するためだ!お前に似た虫だ!とは言わないでおきましょうか。
ミリアム写本はもともとグレンに贈る予定でした。
このままグレンの手元に置いておいてもらうことにしましょう。
すっかり話こんでしまいましたが、そろそろ寮に帰らなくてはなりません。
最後に、「ブックシェルフ改8」を見に行きました。グレンの部屋に置いてあります。
運び込まれて数日だというのに、魔道具とルスカの本と資料で一杯でした。
「グレン、これ一杯一杯ね。」
資料置き場に困っていたのでしょうか?
「うん。頑張った。」
? お片付けが苦手なタイプだったのでしょうか。
「図書館の本も入ってて、そちらは貸出期限の10日で入れ替わるからね。」
「10日ってことは国立図書館?」
国立図書館は、利用希望者が多いため、貸出期間が他の図書館よりも少し短いのです。
「そだよ。」
我が国自慢の国立図書館は、街の広場に面した大きな建物です。
大理石で利用した神殿様式で、入り口となる正面には、巨大な円柱が5本の列柱となってそびえ立っています。
円柱の間を通って図書館に入館することになりますが、この円柱の下部分に、読書スペースがあるのです。
厳密にいえば、屋外なのかもしれませんが、円柱の下部分は図書館のエリア内とみなされ、晴れた日には、円柱の周囲に設置されている小テーブルと、セットのチェアで図書の閲覧ができます。
借りることのできない禁帯出の本であっても、カウンターで手続きをすれば円柱の下で閲覧することができるので、調べ物をする研究者や学生には人気のスポットです。
ここしばらく広場には足を踏み入れてはいません。
ですが、美しい大理石の建物のオープンスペースで本を読んでいるときの、差し込んでくる光やほほに当たるやさしい風を心が勝手に再現して、その心地よさを懐かしく思います。
実験用の魔道具も見せてもらいました。手首に巻くようになっていて、起動すれば、これが手の動きを助けてくれるのでしょう。
「思ったより軽いわ。」
「ずっと手につけているんだから軽い方が良いだろ?担当の方が頑張ったんだよ。」
「回路の方がね。研究所総出で何回も何回も回路の確認したのに、動かないなんて。難しいのはわかってたけど・・・。この中のどこかに答えがあるのかなあ。」
「ブックシェルフ改8」を見上げながらグレンがつぶやきました。
将軍を被験者とした実験ですが、はやり、魔道具がうまく作動しないらしいのです。
呟いた後、
「あ、あの資料参考になるかも。」
思わず、といった調子でリーダーを手に取って、グレンは資料を調べ始めました。
分かります。気になって調べたくなると、止まらなくなる気持ちは知っています。
元々グレンの部屋で「ブックシェルフ改8」を見せてもらって帰寮の予定だったのです。
夢中で何かを調べるグレンをそっとしておいて、わたくしはお暇することにしました。
帰り際に裏庭を通ると、ご夫妻とスタッフ数人で干し魚作成中でした。フランシス様、流れるような見事な手さばきです。本日はフランシス様の勝利だったのでしょうか?
将軍はやはり手の動きがままならないのでしょう。ナイフは取っておられません。ままならないのでしょうが、フランシス様の横に立って楽しそうに屈託なく笑っておられるのです。
スタッフの方も皆笑顔です。
何だかまぶしい光景に、しばらく立ち止まっていました。
するとわたくしに気が付いたフランシス様が、わたくしに笑いかけてから、手を洗って近づいて来られました。
つんつんといたずらっぽく袖を引かれて、そっと教えてもらいました。
「グレン、ブックシェルフが運び込まれる前から、どの本、どの資料ならミリアム嬢が喜ぶかなって、本の山の中でぶつぶつ言いながら、かなり長いこと選考作業してたのよ。ブックシェルフに入れる本の。やっぱりこれにしとく、って後で本を入れ替えたりもしてね。
それから、グレンの本に紛れ込ませてボードゲームと釣りの本も入ってるから。釣りの本は紀行もので面白いのよ。」
暖かい風が吹いて、少し心が動いた気がしました。
ミリアム写本の返還要件だった茶会についてお礼を申し上げてから、帰宅の途につきました。
「茶会楽しかったのよ。ソフィアとフランツもますます面白くなってたわ。ゴドンご夫妻も素敵な方だった。こちらこそ、良い機会をありがとう。」
フランシス様はふんわりとした笑顔でした。
寮に戻ってから、久しぶりに部屋に置いてあるリーダーを使って、フランシス様の紛れ込ませた「世界釣り紀行」を読んでみました。
世界各地の慣習がユーモアとともに記してあって、寮生活ではいささか迷惑な声量で笑ってしまい、アマーリエが覗きに来ました。
「このお話面白いのよ。」
「何?」
「釣りをしながら、いろいろな場所を訪れるお話なんだけどね。海岸沿いだと、生の魚を食べる文化のの場所もあるから、覚悟して訪れたんですって。一緒に読んでみる?」
「うん。リーダー見せて。」
地元の人にお招きいただいて、宴会になったところ、生の魚がきれいにお皿に並べて出てきたそうです。これがそうか、とそのお魚をそのまま口に入れ、何だか噛めない、生臭いと思いつつ、のどに詰まりそうになりながら何とか飲みこんだところで、周囲の様子がおかしいことに気が付いたそうです。
目に涙を浮かべて、
「飢えていたんだねえ。もう大丈夫だよ。いっぱい食べてけ。」
と山のように食べさせられたそうです。
その魚は生で出てきてはいましたが、食卓調理、その場で焼いてふるまう魚だったのでした。
焼いて食べるはずの魚をいきなり生で食べれば、飢えていると思われてもしかたがないのでしょう。
その様子が挿絵付きで書いてあって、面白いのです。
アマーリエと二人、笑いこけてしまいました。
ルスカや魔道具が、再び心を動かしてくれる日もやって来るような気がします。




