「ブックシェルフ 改8」【16】奪われたミリアム写本
わたくしは「ブックシェルフ改8」の教科書や参考書を置く棚、わたくしに残っているスペースにミリアム写本を置いていました。いずれ、グレンに渡そうと思っていました。
寮に置いてあっても何かの事故にあうことが怖く、かといって持ち歩くわけにもゆきません。そうなると、保管に適しているブックシェルフが良いのです。また、好きな時にリーダーで読めることも大きな利点でした。棚にある写本は、背の低い教科書2冊に挟まれて上部が見えていました。
何度も何度も見返しましたが、まだ考えなければならない何かが残っている気がして、また、何故この部分に彩色が施され、何故それがブラッドライトなのかも気になって、時折リーダーで写本を呼び出してはながめていました。
その日も、放課後に、写本を呼び出そうとました。ところがリーダーで呼び出せません。わたくしはリーダーの故障かと思いましたが、他の本は呼び出せるのです。わたくしは半ば恐慌状態で「ブックシェルフ 改8」のところに走りました。2,3日前には確かにリーダーで写本を呼び出しているのです。何故呼び出せないのでしょう?
「ブックシェルフ改8」の前に立ち、開錠します。扉を開けてわたくしの教科書用の棚に手をかけます。
ありません。写本はありませんでした。置いておいた場所、教科書と教科書の間に隙間ができています。
この「ブックシェルフ 改8」は共同個人使用登録がしてあり、緊急時の学園スタッフを除けば、フィリップ様とわたくししか開くことができません。
フィリップ様!
わたくしはフィリップ様を探しました。幸いフィリップ様ご自身のクラスにいらっしゃいました。友人に取り囲まれていました。マリエル様もいらっしゃいます。
「フィリップ様!わたくしの写本は!」
きっと走ってきたわたくしは息を切らせ、髪を乱してただごとではない様子だったのでしょう。
皆さま奇異のまなざしです。
「マリエルにやった。」
どうして!
どうして!
マリエル様には必要ないものでしょう?
「あら、フィリップ、お話してなかったの?」
マリエル様はのんびりとした口調です。
「あの写本ね。お父様がダスラウ王国の外交関係の方に差し上げたわよ。とても喜んでおられたそうよ。良かったわね。」
何が良かったのかわたくしにはわかりません。
「もう研究室の方では必要ないのでしょう?そのうち正式な専門家の写本ができるのだし、学生のあなたの写本が役に立ったのを喜ばないと。」
マリエル様は情報通です。
「親善試合の担当の方で、これで和やかに話が進んだってお父様もよろこんでたわよ。国の政策にささやかでも貢献できたのよ。あなたにとっても良いことでしょう?」
マリエル様はたたみかけるように続けました。
わたくしはもう、何を言ってよいのかわからず、立ち尽くしていました。
「役に立ったのだから良いだろう。」
フィリップ様が面倒くさそうに言いました。
フィリップ様もマリエル様も、そこにわたくしの意思がないことをおかしいとは思っていないようでした。フィリップ様はとにかく、マリエル様も、学生の写本が評価されたのだから、喜ばれたのだから良いことだという姿勢を崩しません。
マリエル様はフィリップ様とは違い周囲の状況が読める方です。何故わたくしの許可がないことの問題点を理解されないのか。
これまでわたくしがフィリップ様にないがしろにされても、強く抗議しなかったことが災いしたのでしょうか。
わたくしは、ただただ、関わり合いになりたくなかったのです。粗雑に扱われても、ないがしろにされても当然だ、などと考えてはおりません。
このころには周囲の方々もおおよその状況がわかったらしく、口々にフィリップ様とマリエル様を後押しし始めました。お二人の信奉者は多いのです。
「たとえ間接的にでも親善試合に役に立てたのだから名誉なはずだ。」
「婚約者の役に立ってうれしくないのか?」
「フィリップ様とマリエル様は、機会を与えてくれたのだろう?感謝すべきだ。」
彼らの考え方によると、わたくしは偏屈で偏狭な感謝を知らない人間らしいのです。
大切なものを奪われたのはわたくしではなかったのか。
フィリップ様やそのご友人と接すると自分の認識能力や思考力を疑うようになってしまいます。
もう十分です。
経緯は、後日明らかになりました。
マリエル様は、ダスラウ王国の親善試合の関係者をお父様がもてなすこと、そのお客様がルスカのファンで先日の彩色スケッチのことを話しておられたことを知り、フィリップ様に写本があれば、とお話したのです。
ミリアム写本は、教科書よりも丈があって、教科書と教科書の間から見えていました。見えている部分にもルスカの書き込みがあります。ルスカの特徴的なメモは歴史の教科書にも出ているくらいですから、興味の薄いフィリップ様にも識別できたのでしょう。フィリップ様はそこにわたくしの写本があることをご存じだったのです。
そして、フィリップ様はいつも通り、こともなげに、わたくしの写本を「ブックシェルフ 改8」から出してマリエル様にお渡しし、マリエル様は写本をお父様にお渡しし、マリエル様のお父様はダスラウ王国からのお客様へのおもてなしとして、写本をお見せしたそうです。
マリエル様は、お父様に、写本はフィリップ様の婚約者である学生が行ったもので、フィリップ様がマリエル様に渡してくださったものであり、学園での写本の役割は終わっていると説明していました。
マリエル様のお父様としては、フィリップ様が婚約者に了承を得ているのだろう、そうであれば問題はないだろう、と、写本を見て喜ぶお客様に写本を差し上げてしまったのです。
お忙しいところに申し訳なかったのですが、わたくしはダレス先生に相談しました。
先生も頭を抱えていらっしゃいました。厳密にいえば、ミリアム写本の所有権は、おそらくわたくし本人にあることになるだろう、そうなると、婚約者の立場がある人間が、善意で行った行為ということで事情が複雑化する。そもそも取り返すとなると、外交関係がからんでくる、とのこと。
わたくしにもそれはわかります。
研究室から委託した形にすべきだった、と先生は呻いておられますが、そこまで警戒する必要があるとは誰も思っていませんでした。
ダレス先生が、ミリアム写本の作成から写本が奪われた経緯まで、学園の方に事情の説明をしておいて下さることになりました。
数日後、学園の方から呼び出しがありました。
先生方から、フィリップ様、マリエル様の行為が完全に正しいとは思えないが、フィリップ様、マリエル様が善意で行ったことであり、お二人は親善試合の代表候補として大切な時期なので、学園の外部に波及するような事態にしないでほしいと願われました。仮にお二人が学園代表となるのならば、国の代表が視野に入る。その時にマイナスになる瑕疵を残したくないのでしょう。
わたくしは了承いたしました。
写本はもうダスラウ王国の方のもとにあって、戻ってこないのです。それ以外のことはもうどうでもよくなっていました。これ以上、フィリップ様たちと対峙したくありませんでした。
奪われた方のわたくしが、婚約者の役に立ち、国のために役に立つことを喜べない偏屈な人間のように語られ続けるのにも疲れました。
マリエル様のお父様はわたくしの許可なく写本が動かされたのを学園からの問い合わせで知り、申し訳なく思ってくださったようで、謝罪の文と、希少な古書が2冊届きました。
それも事態を悪化させただけでした。
今度はわたくしが、学生レベルのスケッチの代償としてマリエル様のお父様から高価な古書をゆすり取ったかのような話がまことしやかに流れていったのです。
可笑しいくらいにわたくしの肩書が増えます。偏屈、偏狭、恩知らずに加えて、品性下劣、強欲だそうです。
わたくしは「ブックシェルフ 改8」から、今度は、教科書、参考書何1つ残すことなくすべての本を引き上げました。リーダーも、もう使うことがありませんので、本を出して何もなくなった棚に、静かに置きました。もうここには何も置いてはおけません。
「ブックシェルフ 改8」の扉をぱたんと閉めて、扉の繊細な植物の彫刻を少しなぞって最後にぽんぽんと軽く扉をたたきました。
これまでありがとう。
寮に帰って、すべての古書と資料を1っか所に積み上げて、覆いをかけました。
ルスカと魔道具のおかげで多くの方と知り合い、仲良くなった。
多くの方に助けていただいた。
たくさんの楽しいことがあった。
ルスカと魔道具が、確かにわたくしの一部を作っているのです。
でももう今は無理。
グレン、グレン、ごめんなさい。写本はグレンにあげたかったのに。
◆◆◆
当時を思い出しながら、わたくしがルスカや魔道具への思いを失うに至った経緯を、父母やラデルのおじさまおばさまにも伝えられる様に手紙の形にまとめ直します。
フィリップ様宛のものに一筆加えます。
これが2つ目、フィリップ様、あなたはわたくしから、写本ばかりでなく、わたくしの人生を豊かにしてくれていたルスカや魔道具への思いを奪ったのです。




