「ブックシェルフ 改8」【13】ルスカの彩色スケッチ~ミリアム写本
卒業試験後、わたくしは高等部に無事進学しました。
父母も祖父母も仕事で手一杯。王都に来ることはかないませんでしたが、卒業試験の結果をたいそう喜んでくれました。次の定期試験、同じ成績は期待しないで下さい・・・。
フィリップ様とマリエル様は進学後、同じクラスです。学園屈指のペアですから、連絡が取りやすいよう配慮が働いているのでしょう。
どこか恐れも含みながら待ち望んだその日が、とうとうやってきました。
先生と学生2名、エミリ様とイアン様、それからわたくしで、大学の研究室棟の前で迎えの馬車に乗り込みました。
到着後、控室です、と簡素な部屋に案内されました。ここで準備のようです。
手をきっちり洗って、きっちり拭きます。確認されます。
古書を扱うときに使っていた白手袋はここでは使わないそうです。指の感覚が鈍くなり、資料を破損することを避けるためだそうです。
マスクをつけます。
荷物もここに置いておきます。
持って入ってよいものは制限されていて、鉛筆、紙、拡大鏡くらいです。
拡大鏡も柄のないものを短いひもで首から下げます。
画用木炭も、本当は持って入りたかった色見本も持って入ることができません。
担当の方が金属のボックスを3つ抱えて、入っていらっしゃいました。
「湿度と温度を維持する魔道具です。この中に1枚ずつルスカのメモが入っています。今から見分していただく部屋に入りますが、強い光を避けるため私が部屋から出た後、入り口の戸をきちんと閉めてから箱を開けて下さい。私の個人使用設定がされていますので、鍵は今開けておきます。」
「お分かりかと思いますが、万が一、損壊があった場合、贈与して下さったラネスタ国との関係に水をさすことになりかねませんから、お気を付けください。」
ぱたん。
戸が閉まってから、ダレス先生がどこか恭しい手つきで箱のふたを一つ一つ開けました。
箱の中から両手でそっと持ち上げて、ルスカのメモを一つ一つ台の上に載せて行きます。
ルスカの書き込みがあるのは片面だけですが、後で裏返して裏面の見分もする予定です。
2時間しか無いのです。足りません。
先生とイアン様エミリ様が狂ったようなスピードで、メモの内容を書き写してゆきます。
書き写すにも、お互いに確認を取り合っています。間違った情報が残っては困ります。
「ここのところ、筆跡が流れててわかりにくい。Rかしら?」
「Lかも知れないねえ。」
「どちらかわからないという印をつけて、両方書いておこう。ここはミリアムの写本にまかせよう。」
わたくしも鉛筆を手に、あらかじめサイズを合わせておいた紙に慎重に文字部分もスケッチ部分もすべてを写し始めていました。文字部分は、文字と認識してしまうと勝手に手が文字を綴ってしまいます。文字をデザインに見立てて、正確に正確に写して行きます。スケッチ部分の模写とは違った難しさです。
文字じゃない。文字じゃない。これはデザイン。これはデザイン。自分に言い聞かせながら、急ぎます。
この写本もわたくしが仕上げてから、先生、イアン様、エミリ様に確認していただかなければなりません。
時間はありません。
写本に集中するうち、確認しておきたいことができ、ダレス先生をお呼びしました。
「何?何かな?」
ダレス先生もいつもに比べて2倍速くらいの動きになっています。
彩色があるのは1枚のみ。色は濃い赤です。
人体の上半身の右側のみ、が描かれていて、肩に近い部分から腕の上部にかけて彩色があります。
その紙の端が少し欠けています。
「紙の端が欠けていますね。」
「欠けた部分を避ける形で不自然に文章が歪んでいますから、文章を書く前から紙の端が欠けていたんでしょうね。」
「ダレス先生、近くで見ると、この形特徴がありませんか?」
メモに触れ無い様にしながら、該当箇所を指で示します。
「そうだね。なんだか変わった形だね。」
「同じく欠けているところなんですが、よくよく見ると色がついているようなんです。気のせいでしょうか?」
メモのぎりぎりまで指を下げて、色の部分を見てもらいます。
ダレス先生は、顔をメモに近づけて慎重に見分しました。
「いや、これは・・・スケッチに対する彩色ではないけれど、確かに色が認識できる。気のせいじゃないよ。」
先生は、別のルスカメモに取り組んでいたエミリ様とイアン様にも声をかけて、その形状と色を確認しました。4人が同じ形状と色を確認できたなら、それは否定がなされるまで事実と主張してもよいだろう、と。
同じ大きさ、同様の種類と考えられる紙を用意していったのですが、紙の端の欠けている部分は、切り取るのではなく、欠けた部分を線で描いてみました。形がよりはっきりします。
そして、あわててもう一点確認していただきました。実際のスケッチをまじかで見ると、線のところがくぼんでいることが見て取れます。裏面の見分の際、それは顕著でした。筆圧が強いのです。このくぼみも4人で再確認しました。
日光も強いライトも、メモにどのような影響を与えるかが分からないため、やわらかい光のライトが照明です。
当然ですが絵具の持ち込みはできません。覚えて再現するしかありません。
きっと、国の事業として行われる写本の際には、何らかの形で色の照合が行われるのでしょう。でも今は、覚えて帰るしかないのです。
本物に近い再現ができるよう、これもまた、先生方にも色を覚えておいていただく必要があります。
この日のために、美術の先生にお願いして、色見本帳をお借りしました。赤系統の色だけで100を超えます。ただ、濃い赤という情報は入ってきているので、濃い赤30種ほどを何度も繰り返し繰り返し頭に叩き込みました。見本帳も持って入ることができないことはわかっていました。ルスカの彩色の赤をできるだけ正確に認識したかったのです。知っていなければ、認識することはできません。
この色はどこかで見たことがある。どの色だったろう。
頭の中で見本帳を開いて次々めくります。
どれだろう。どれだろう。
見本帳とはわずかに違う気もします。
焦りが生まれます。
もう時間が終了します。
ノックの音とともに扉があきました。
ダレス先生が、
「まだ、文書を収納していないです!閉めてください!」
と慌てたようにおっしゃっています。
扉が開くとともに外の光が入ってきたからです。午後の斜めに傾いた光が、一瞬、部屋に真っ直ぐに差し込んできました。
その時、わたくしにはわかりました。
この赤が何であるのか。
いったん扉を閉めていただいて、深呼吸してから、先生が文書を慎重に慎重にケースに一つ一つ収めました。
ケースが閉まった瞬間、残念に思う気持ちと安堵の思いが同時に湧いてきました。
もっと見ていたかった。でも何も損なうことなく終えることができて良かった。
研究室まで送っていただく馬車の中はひたすら沈黙でした。皆、さきほどの経験を繰り返し思い起こしていて話をする気にならなかったのでしょう。疲れてもいました。
馬車を降りるとき、ダレス先生がわたくしに声を掛けました。
「ミリアム君、写本の仕上げができたら持ってきてくれる?疲れているんだろうけれど、悪いけれど、できるだけ早くお願いしたい。できれば明日の午後で。」
エミリ様とイアン様は声を出さないまでも、あいさつがわりに少し笑ってくださっていました。
できるだけ早く。わかっています。
わたくしは、疲れてはいましたが、休める気がしませんでした。
馬車を降りて、わたくしは寮に戻らず街に走りました。
早く早く。
もう午後も遅いのです。急がなければなりません。
たどりついて1箇所目。目的がかなって、また走ります。
なんとかまにあって2箇所目。助けをいただいて、また走ります
学園へ。
今度は学園の美術室に直行です。もっと足が速ければよかったのに。
足が限界ですが、止まっていられません。
美術の先生が学園行事にために遅くまで残っておられて良かった。
鉛筆によるメモ部分の写しとスケッチの写しは現場でほぼできています。
むしろこれに、記憶を頼りに勝手に何かを付け足すのは怖いです。
何か記憶違いがあることが怖いのです。
後は彩色のみ。
紙の欠けている部分周辺の、薄い青の彩色は絵具で再現できそうです。
ごく小さい部分です。
あらかじめ用意した同種の紙で色づきを確認した後、細い綿棒の先で写本に彩色します。
問題は濃い赤の部分です。彩色のある部分は鉛筆で輪郭をなぞるように印をつけてきました。
美術の先生に助けていただいて作った画材と、お借りした細い筆で彩色します。
さきほどと同じく、あらかじめ用意した同種の紙で、色や筆跡の確認をしてから机の上を全て片付けました。
わたくしの写本を机において、深呼吸します。
そして、慎重に、少しずつ彩色して行きました。
あせらないように。あせらないように。
これでいいはず。これでいいはず。
筆を置きます。
これです。わたくしが一瞬の光の中でみたのはこの色です。




