「ブックシェルフ 改8」【11】ルスカの彩色スケッチ~卒業試験①
中等部3年の頃、我が国として一つの大きな出来事がありました。
我が国の南に位置しているラネスタ国はここ5,6代にわたって統治者が激変していました。短い期間に王の交代が5回続き、それらすべてが政変を伴っており、政治に携わる者たちがそのたびに入れ替わっては混乱を引き起こしていました。中には、2つの王朝がともに正当性を主張している事さえありました。
交渉の相手も定まらず、国交は正式な形で結ばれませんでした。
長い騒乱の時期を終え、ようやく安定した王権が成立したのが2年ほど前、様子見をしていた我が国との間に正式な国交が結ばれることになりました。
そしてそれは、研究者たちにとっても大きな出来事をもたらしました。友好の証として、そのラネスタ国で発見されたルスカのスケッチを伴うメモ、写本では無く本物のルスカのメモが、我が国に贈られることになったのです。
政争に巻き込まれて、遺言を残すこと無く亡くなってしまった貴族の家を親族が片付けているときに発見されたそうです。来歴を記した書類が残されていて、もともとは我が国からラネスタ国にわたったものであったことが分かり、そのご縁も考慮されたのです。
しかもそのメモは1枚ではなく3枚であると言うことでした。複数枚のルスカの発見、それだけでも稀なことで大きなニュースです。
そしてそのスケッチが、彩色だというのです。彩色のルスカ。発見されたものとしては初めてです。ルスカ自身が彩色したものか、後にルスカでは無い誰かが彩色したのかはまだわかりません。しかし、研究者にとって、興奮冷めやらぬニュースでした。
フィリップ様とのことがあってから、しばらくルスカや魔道具から離れ気味であったわたくしにも、そのニュースは大きなものでした。
何が書いてあるのだろう。
どんなスケッチなんだろう。
どんな彩色なんだろう。
頭から離れなくなりました。
フィリップ様とのことがあってから、魔道具やルスカの資料や本を見ても心が動かない。
これまで心を動かしてくれていたことに心が動かなるのは、絶望感を伴う悲しい出来事でした。
久しぶりに、ルスカや魔道具のことで心が躍った、そのことがわたくしにとって嬉しいことでした。
しかしそれが、わたくしに直接的な関係を持つようになるとは夢にも思っていませんでした。
この新発見のルスカのメモに関して何か情報が入っていないかと、しばらくぶりにダレス先生の研究室にお邪魔することにしました。わが国への引き渡しがまだのこともあり、情報が少ないのです。
研究棟は行き交う人も少なくて静かです。
そんな中、ダレス先生の研究室の前まで行くと、バタバタと走る音、いつもより大きな声で話す研究室所属学生のイアン様やエミリ様の声、何やら騒がしいのです。
ノックしても反応がないので、失礼します、と扉を開けました。
ダレス先生が、音がしそうな勢いでこちらを見ました。いつもは落ち着いている先生が、いったいどうしたのでしょう。
「ミリアム君、今度発見されたルスカ文書、知ってるよね?直接見てみたいと思う?」
いきなりです。展示会でもあるのでしょうか?時期的に早すぎます。それに直接・・・?
「それはもちろんですが・・・。」
「実は、実際のメモを見分する機会が与えられたんだよ!
研究室から僕以外に3名、調査に入ることが許された。
影響が不明なために魔道具の写真の撮影はできない。ブックシェルフも同様。ブックシェルフだとそそもそもその年代の紙に対応してないのかな?
現状、目で見て、それを写本することしか認められていないんだよ。
国としての正式な写本は後日作られるけど、正確性を重視するから時間がかかるだろう。数年後になるかもしれない。
研究室の研究のために、できるだけ早く写本が欲しいんだけど、できる?
メモの形状や内容は、確実に筆記で詳細にとるよ。でも写本は欲しい。
2名はうちの学生たちで決まりなんだけど、あと1名入ることができる。うちのイアン君もエミリ君も模写が皆目できないんだ。
美術専門の学生に頼むよりも、ルスカに詳しい、ルスカの知識がある人がふさわしいと思っているんだよ。」
頭に血が上っているのか、いつもより早口でまくしたてます。
「やりたいです。」
勿論です。
先生はやや落ち着いた様子で、続けました。
「ただし、候補はミリアム君ともう一人いて、同い年だし、ここは公正に卒業試験で総合成績が上位であった方に任せたいんだよね。」
それはちょっと困ります。
学園中等部から高等部への進学は、内部進学になりますので入学試験はありません。
ダレス先生のおっしゃった、中等部の卒業試験はあるのですが、これに落ちるということもありません。一定水準以下の点を取った場合に地獄の補修が待っているだけです。ですから、卒業試験に関してものんびり構えている学生が多いのです。わたくしもそのうちの一人でした。
ただ、上位5名に入ると、小さな記念メダルとご褒美がいただけることもあって、記念メダルを目指して勉学に励む学生も一定数いたのです。その方々と争うことになるのです。定期試験でも上位を占める方々です。
メダルとともに授与されるご褒美は、学園カフェテリアの1年分クーポンです。うらやましい。
定期試験時、わたくしは総合成績30位程度のところを上がったり下がったりで、特にそれ以上に成績を上げたいと思ったことはありませんでした。経営学、行政学、魔道学などの成績が良く上位に入っていましたので、他の教科についてはあまり気にしていなかったのです。
仕方がない。
戻ってから、わたくしは寮の部屋でため息をつきました。本物のルスカ、新発見のルスカを直に間近で見ることができるチャンスなんてもうめぐってくることは絶対にない。
頑張るしかない。
何よりも、無感覚になってしまったかと思っていたわたくしが、やりたいと感じている、それが嬉しい。
試験までの日数を数えました。範囲の確認をしました。日割りで計画を立てていきます。
しばらく休日はありません。それどころか、昼休みや放課後もありません。
でもルスカのスケッチのためです。
やるしかない。
わたくしの部屋に突撃してきたソフィア様にも状況を説明しました。
フィリップ様のことで何かお話が合ったようですが、
「最近、目が怖いと思ったら、それだったのね。卒業試験ね。」
わかった、と言ってソフィア様は戻って行かれました。
数日後、ソフィア様に渡されたのは、過去問+模範解答集でした。
「ずるじゃないわよ。ミリアムはこれまで興味なかったみたいだけど、普通に出回ってる。ただ、担当の先生によって傾向が変わるから、今の担当の先生と同じ先生が作ったと推測される問題に印付けといたわ。自分では調べても簡単にはわからないだろうから。お礼はダニエルズのクッキーボックスでいいわよ。赤いやつ~。」
フランツ様を動員したそうです。ありがとうございます。精神的にずいぶん楽になりました。でもクッキーボックスは結構高いです。
これほど勉強した事はありません。勉強して勉強して、試験前、文字を追っているのにその意味が分からない状態に陥りました。
ソフィア様とアマーリエに引っ張って行かれました。ダニエルズにです。
ぼんやりしていると、口に細長いものを突っ込まれ思わず吸い上げて、瞬間我に帰りました。
マダムのアレでしょう。
現在、ラネスタ国との国交が正式に結ばれることに先行して、ラネスタ国の農産物が我が国に試験的に輸入されています。ラネスタ国としては、荒れた国を立て直すためにはぜひとも外貨が欲しい。一刻でも早く試験的輸出を始めたいという希望があったからです。わが国に輸出され、市場に出回った中に、マダムにとっては懐かしい果物がありました。きれいな紫色の見るからに美味しそうな果実です。
マダムは子供のころ、体調が悪くなるとこの果物のジュースを、ばあやが作ってくれていたそうです。「それがね、甘そうな外見のくせにものすごーく酸っぱいのよ。鼻が詰まっているのも一口で治ってたんだけど、あれは薬効ではなく、酸っぱさの衝撃のなせる業ね。」
マダムは懐かしそうな、酸っぱそうな顔で語っていました。
グラスを見ると、やはり紫色でした。確かに衝撃で大概の不調は何とかなりそうです。通すぎる一品です。
現実に意識が戻ったので、ザッハトルテと特別に薄めのコーヒーをお願いして完全に正気に戻りました。2人には感謝です。
ソフィア様やアマーリエと一緒にダニエルズに来る時のお席は、観葉植物に守られたいつもの小さなテーブルの席ではありません。ソフィア様好みの座り心地の良いソファ席です。お店で購入するスィーツ選びを楽しんでいる人々、表を行き交う人々の見える席です。逆に、店内の人々からも、外からも見える席でもあります。マダムの戦略の一環です。
ソファ席で新作ケーキを2,3個並べてぱくつくソフィア様を見た人々の反応は大体一つです。
あんなところに妖精のような美少女がいる(事実)
あんな妖精のような美少女は、「食」のような世俗的なことには興味がないに違いない(誤解)
世俗的なことに興味のない妖精があんな勢いでぱくついているケーキは規格外に美味しいに違いない(事実)
よしあの新作を買って帰ろう。(終了)
愛するケーキの決まっている保守層にも、ぜひ新作を味わってもらいたいマダムとしては望ましい流れです。間に誤解が挟まっていますが、おおむね事実ですので問題はないでしょう。
そのまま、正気に返った状態で試験日を迎えることができました。緊張で手が震えるかとも思いました幸いが、問題用紙が配られると、もう問題の内容が気になって仕方がない状態に入り、自然に問題に取り組むことができました。
全力は尽くしました。あとは祈るばかりです。相手の方がどれくらいできたかにもよるので、結果は何とも言えません。わたくし自身は、これまでよりもずっとずっと手ごたえがありました。
数日後、ダレス先生から呼び出しがかかりました。結果が出たのでしょうか?
研究室のドアをノックしようとしたら、扉が開きました。魔道ドア?
「や、久しぶり。」
ミルクティー色に輝く髪に琥珀色の目が笑っています。
「グレン!」
わたくしが成績を争っていたのはグレンだったのです。グレン!




