「ブックシェルフ 改8」【10】俺の権利はどうなるんだ ②
フィリップ様の様子はいつもと変わらずごく自然なものでした。ごく自然な様子でわたくしの本を「ブックシェルフ改8」から出してゆきます。放り投げるような、悪意を感じさせるような扱いはしていません。しかし、雑です。とすっ とすっ とやや高い位置から本を重ねているのです。それだけで壊れるような本はまずないでしょう。
けれども、わたくしにとって本は大切なもので、今のフィリップ様のような雑な扱いは考えられないものでした。また、その中には、わたくしが大切にしている古書も含まれておりました。もう2度と出会えるかどうかわからない本たちです。あの日グレンが探してくれた本もあります。フィリップ様のご友人たちはさすがにわたくしの本に手を付けることはためらわれたのか、手持無沙汰な、気まずげな様子でフィリップ様の後に佇んでいます。
近づいて声を掛けます。
「フィリップ様。何をなさっておいでなのですか?」
フィリップ様は面倒くさそうに振り向きました。そして、わたくしの姿を認めると、なぜかほっとしたように言いました。
「ちょうど良かった。この本を引き取ってくれ。」
面倒な作業を引き受ける人が来た、という認識でいらっしゃるのでしょうか。悪びれた様子もありません。
「何をなさっていらっしゃるのですか?」
「本を出してるんだよ。俺たちの本が入らないから。」
ごくごく当然のことをしている、と考えていることが明らかな、平然とした口調です。
「これ以上の本を収納したいということでしょうか。」
フィリップ様は何を言ってるんだ?言わんばかりの様子です。フィリップ様にとってはすべてが当たり前のことなのでしょう。いつもの「率直な」行動なのでしょう。
どうお話すればよいのか悩みます。
フィリップ様とは認識が共通しない部分が大きすぎるのです。
たとえば、連絡することもなく本を放り出すことは良くないことである、という共通認識です。わたくしにとって、それは当然「良くない」ことですが、フィリップ様にはそれが、「良くない」ことであるとの認識はないのです。
フィリップ様が本を入れたいのだから、邪魔な本を除く、それがフィリップ様にとっての道理なのでしょう。
「わたくしが容量を多く使わせていただいていたことは事実です。ですが、それはフィリップ様のお許しを得てのことです。ですから、フィリップ様がご自分のご趣味の本の収納を開始される際には、一言ご連絡がいただきたかったです。」
「そうか?じゃあ、使うから。」
あからさまに面倒くさそうな表情になって、フィリップ様はぶっきらぼうに言いました。
「それから、今すでにわたくしの本を出されていますが、出される前の段階で容量の半分をすでにフィリップ様が使用してらっしゃいます。それについてはどうお考えでしょうか?」
「考えって・・・。必要だから収納したけど?」
口調がきつくなり、不機嫌な表情を隠すこともありません。
「わたくしは、これまでフィリップ様の持ち分である容量を使わせていただいておりました。今度はフィリップ様が、わたくしの持ち分を利用したいと考えていらっしゃるということでよろしいのでしょうか?」
後ろにおられたご友人たちが、この人、何かごちゃごちゃうるさい、今使うよって言ったからいいだろう?などと言い始めています。
フィリップ様は眉間にしわを寄せて目を細め、完全に機嫌を損ねています。
「俺の権利だろう。そういうことでいいよ。」
話が通じません。
「それとは別に、わたくしの本を出すのでしたら、フィリップ様が出す前にご連絡を・・・。」
「俺 の 権 利 は ど う な っ て る ん だ ! 俺の権利だ!」
怒りの表情です。
最後まで言葉を続けることはできませんでした。言ったところでフィリップ様には届かないでしょう。
ご自分を、当然の権利を侵害された被害者のように思っているのでしょう。
ご友人方も、もう声を低くすることなく、
「この人何なの。細かすぎる。」
「フィリップのブックシェルフでもあるんだろう?」
「今までフィリップの分まで使ってたくせに偉そう。」
「女の子でもマリエル様みたいにスポーツやればいいのにね。」
「何か地味だよね。」
「変な古本入れてたんだって。」
「休みの日に部屋に閉じこもるような奴は、ぐじぐじしてんなあ。」
「日に当たってないからじゃないか。」
口々に言っては、あはは、と明るく笑っています。
わたくしは黙って足元の本を拾い、抱え上げました。
「では、わたくしが使わせていただいていた1年間分、今度はわたくしがお譲りします。1年が過ぎたその後についてはまたご相談です。」
小さくそう言って踵を返しました。
「古くさい本持って失せろよ。」
フィリップ様のお友達の声が追いかけてきます。周囲は笑っていました。
本当は、「フィリップ様にも権利がありますが、わたくしにも権利があるのです。」と言いたかった。
しかし、言えなかった。
フィリップ様たちの集団が怖くもあり、これ以上話を続けるのも億劫でもありました。
話が通じないからです。
最後の言葉も意地のようなものでした。伝わってはいないでしょう。
フィリップ様たちが立ち去っただろうと思われる頃、わたくしは空き箱を抱えて「ブックシェルフ改8」の前に立ちました。趣味部分の本を寮に持ち帰るためです。
わたくしの教科書類用の棚1つ分、教科書類だけを残して、それ以外のすべてのわたくしの本を持ち帰りました。寮に持ち帰る際も、フィリップ様たちに出くわすことを恐れ、恐れる自分が嫌でした。
それから1年が経つ頃、フィリップ様とマリエル様は、このまま順調にいけば、学園の代表に、そして国の代表も夢ではないと、周囲からの更に大きな期待を受けるにようになっていました。勝負強さ、見た目の良さ、そして、平民と下位貴族という出自、物語のようだと、相変わらずの人気ぶりでした。
ただ、フィリップ様たちを追いかけるように力を伸ばしてきているペアがあり、油断はできない状況でした。伯爵家のおいとこ同士のそのペアは、淡々と努力を重ねることのできる方々で、周囲の尊敬を勝ち得ていました。しかし、フィリップ様・マリエル様ほどの華やかさはなく、学園の人気を独占していたのはやはりフィリップ様たちだったのです。
スポーツ少年たちの物語ブームは続いていて、フィリップ様たちもお友達同士でその物語のお話をして
楽しんでいる様子でした。
わたくしたちの交流はというと、相変わらず接点などなく、これまで通り誕生日にカードと消耗品の文房具などを贈りあうくらいでした。フィリップ様はそれすら忘れてしまわれることがあるようでした。
1年が過ぎしばらくしてから、「ブックシェルフ 改8」の前でフィリップ様とお会いすることがあり、この機会にお互いの使用容量についてお話しすることにしました。
正直嫌でしたが、避けることはできません。わたくしがフィリップ様の分の使用容量を、1年間ほど使わせていただき、フィリップ様もわたくしの分の使用容量を1年ほど使っていたことになります。簡単に言えばこの段階で貸し借りはなし、の状態に戻っているのです。
であれば、本来の、容量半分ずつの利用の形に戻るのが道理ではないか、少なくとも話し合いは必要ではないか、と思うのです。
おそるおそる声を掛けました。
「フィリップ様?」
「何?」ごく普通のおだやかな声音です。
良かった。わたくしはフィリップ様の怒りを恐れる気持ちを持ってしまっていました。
「そろそろ1年が過ぎましたので、わたくしの容量をお返しいただきたいのです。わたくしもできればわたくしの本を・・・。」
「え?無理だよ。俺たちの本が一杯だから。」
当たり前だろう?と続けそうな口調です。
本当に何といえばいいのでしょう。
「けれど、本来半分ずつ使うものですので・・・。」
フィリップ様が早い動作で がん! と「ブックシェルフ 改8」の側面を殴りました。
わたくしはいきなりのことに驚いて、息を止めました。ついさきほどまでは穏やかな様子だったのに。
「俺 の 権 利 は ど う な っ て い る ん だ!」
フィリップ様の声に、周囲の人々が振り向いています。
「これを使うのは 俺 の 権 利 だろう!古くて臭い本は邪魔なんだ!俺 の 権 利 は ど う な っ て る ん だ!」
では、わたくしの権利はどうなっているのでしょうか?と問いたかった。
何故ここから話をしなければならないかが分かりませんでした。
お互いに権利がある、その共通認識すらないのです。フィリップ様にとってはわたくしにも権利がある、ということは認識外のことなのです。
フィリップ様が認識しているのはご自分の権利のみ。その権利が侵害されたと感じたために激高されたのでしょう。
両者ともに権利がある、ということが社会通念なのではないでしょうか。その共通認識の上で、ではどのように折り合っていくのか、使用形態をどのようにするのか、決めてゆくのが道理なのではないでしょうか。わたくしがおかしいのでしょうか。
ここまで共通認識のない人とどうやって会話をすれば良いのでしょうか。
苦しいです。息がつまって浅い呼吸が精一杯です。
フィリップ様の怒声に人が集まってきました。
人気者のフィリップ様です。そのフィリップ様が激高しているのです。
「フィリップ様のブックシェルフの場所を使ってた子だろ?なんでフィリップ様に文句言ってんだ?」
「勝手すぎない?」
「フィリップ様は一切読まない古い本を入れてたんでしょ?」
「どうせ、古臭い詰まんない本だよ。」
「フィリップ様の本はみんなで読んでる本なのにね。」
「フィリップ様のリーダーでみんなで読んでるんだって。楽しそう。」
「それにしても地味な子・・・。」
「心が狭くない?」
「フィリップ様の権利を奪われて怒ってるんでしょ?フィリップ様がかわいそう。」
原因の是非よりも、激高させた者に非難が向かいます。人気者を怒らせているのですから。
これまでの経緯を話したところで意味はありません。
浅い息をなんとか続けながら、わたくしは黙ってその場を立ち去りました。
もうフィリップ様と顔を合わせていたくありませんでした。
わたくしが立ち去った後、マリエル様が呼ばれて保管庫にいらっしゃったそうです。フィリップ様と一緒に何事もなかったかのように穏やかに立ち去ったそうです。その様子を見ていた人々が、この自然体のフィリップ様を怒らせたわたくしの側に、非があることを確信したのも無理はなかったでしょう。
解決の糸口もまったくなく、何も知らない周囲の非難を一身に浴び、わたくしはこの件にまつわるすべてが嫌になりました。
古書についても例外ではありませんでした。自分の大切な古書すら見たくない気持ちになってしまい、その日、寮の本棚に覆いをかぶせていしまいました。
この頃から、いつも楽しみと喜びの場所だった、ダニエルズのマダムの整えて下さるわたくしの小さなテーブルが別の意味を持ち始めました。観葉植物に守られるようにテーブルについて、ぼんやりと外を行き交う人々を眺めていると、学園の外に大きな世界があることが実感できるのです。
今学園の中で苦しい思いをしていたとしても、学園は実は小さな世界に過ぎない。外には大きな世界が広がっている。
そう思うことで、極端な方向に追い詰められそうな心のバランスを取っていたのです。




