2「ゆび、わ」
亡くなったはずのナミが彼女の実家に現れてから、おおよそかなりの時間が経過した。
僕はただ呆然と生きていて、これから何をすればいいのか、何をして生きていたいのか分からなくなった。今年こそはフリーターを卒業して、就職活動をしなければならない。そうだというのに、体はもう動かない。
ある日の深夜、僕はコンビニへ寄った。缶ビールを一つ手に取り、レジまで持っていく。眼鏡をかけた無愛想な男性店員がバーコードスキャナーで缶ビールのバーコードを読み取る。ぴっという乾いた高音がレジ辺りに響く。代金を支払って淡々と会計を済ませ、僕はコンビニの外へ逃げるように出た。
大学を卒業してから僕は一人暮らしをしている。一方、ナミは大学を卒業しても実家暮らしだった。
家へ帰る。帰宅すると同時に玄関の照明を点け、靴を脱ぎ捨てた。洗面所で手を洗ってからリビングの方へ。
古いアパート。ワンルーム。一応風呂とトイレは付いているが狭い。一人暮らしの家なんてこんなものだろうと思い込んで、僕は部屋の中央にあるテーブルへ缶ビールを置いた。
焦げ茶色のカーペット、茶渋のような色をしたテーブル、部屋の隅には白いベッド、何かを収納するには心許ない小さな押入れ。
溜め息が出る。今日はなぜか憂鬱に感じる。ナミの死からはすでにかなりの時間が経っていることから、もう完全に立ち直れたのだろうと思っていたが、どうやらそれは違ったらしい。
未だに頭の中から、ナミのあの笑顔の花が離れてくれない。同時に、あの日彼女の実家へ弔問しに行った時に見た、亡くなったはずの彼女が座っていた姿もまた忘れられなかった。
白いワンピース。笑顔の花。
彼女を思い出していると、乾いたはずの目に熱が集まった。視界がぼやける。僕はその熱を抑え込むように、缶ビールを開け、一気に飲み干した。
かこん、と缶ビールを叩きつけるようにテーブルへ置く。
一度、瞬きをする。その瞬間だった。
目の前に、ナミが現れた。互いに向かい合うように座って、互いに見つめ合って。
「礼二」
ナミの声だ。間違いない、本物だ。幻ではない。本当に、彼女は生きているのだ。
そう錯覚してしまう。
「ナミ・・・」
僕は彼女目がけて手を伸ばす。すると彼女もまた手を伸ばして、瞬間、僕と彼女の手が触れ合った。
ナミの手は生前のように温かくはなかった。氷のように冷たくて、僕は思わず肩を跳ねさせる。慌てたものだからついつい手を離してしまった。
僕はそれを後悔する。いつの間にかナミの姿は消えてしまっていたのだから。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
一体どうして、僕は亡くなったはずのナミを見るのだろう。彼女は果たして幻覚なのか、それとも幽霊のような摩訶不思議な存在なのか。
一つだけ分かるのは、彼女は悪さをしないということだった。
僕は考える。ナミは何か僕に伝えたいことがあるのではないだろうか、と。だからこそ、何度も僕の前に現れては気を引くように名前を呼んでいる。
次に彼女が姿を現したら、尋ねてみよう。本当にナミなのか、どうして僕の前に現れるのか。
僕は今か今かと彼女が現れる瞬間を待った。
しばらくの月日が経って、ついにその時はやって来た。
僕がベッドに入り、寝ようとした瞬間だ。不意に冷たい風のようなものが吹いたかと思えば、部屋の中央に、ナミが現れた。
ナミは何も動かずに立ち尽くしている。目線はベッドで寝転ぶ僕の方へ向いていた。
僕は飛び起きるように体を起こすと、あらかじめ考えていた台詞を言う。
「ナミなの?」
ナミは何も反応を示さない。
「礼二」
ナミがまた僕の名を呼ぶ。
「ゆび、わ」
不意にナミがそう言葉にした。急いで僕は口を開く。
「指輪?」
『指輪』以外に考えられない。おそらく結婚指輪のことだろうが、しかし僕の記憶には結婚指輪などない。もしかすればナミは生前、密かに指輪を買っていたのだろうか。
「礼二・・・」
すると、ナミがまたあの笑顔の花を咲かせた。
彼女のそんな笑顔を見て、僕はベッドから降りる。また、一度瞬きをする。ナミの姿は消えてしまった。
僕は一つ決意をした。
ナミの言う指輪を見つけてみせると。
もう一度、ベッドへ戻る。横になってスマホを手に、ふと連絡先を探る。アルバイトの関係者、何人かの友人・・・。下へ下へ、スクロールしていく。
「あった」
それ以上下にはスクロールできない。そんな位置に、僕の両親の連絡先があった。
僕は父へ電話をかける。深夜手前の時間帯だが、まだ起きているだろうか。
しばらくコール音が鳴った後、唐突に父が応答した。
『もしもし。どうした』
「父さん、ちょっといい?」
『ああ』
「今度、そっちに行っていい?」
僕は慎重に尋ねる。
『大丈夫だ。いつでも帰ってこい』
「ありがとう、父さん」
通話はそこで終了する。
僕はスマホの画面を閉じ、枕元へ添えた。そして天井を仰ぎ見る。
うざったいほど純白だ。




