1「記憶」
ナミとの出会いは高校生になってからだった。彼女とは同じ高校、同じく美術部である。僕の方からナミへ声をかけた。ナミは絵が上手だったのだ。二人して家も近いことから近所の公園によく集まって、絵のことだけでなく色んな話をした。
近所の公園とは、『待凪公園』という高台にある狭い公園のことだ。住宅街の外れにあることから人気は少ない。公園の敷地をぐるっと囲うように背の高い柵が設けられている。敷地内には木の屋根付きベンチと、パンダやウサギの薄汚れたスプリング遊具が二つあるばかり。地面は砂利。
どことなく寂れた雰囲気の公園だったが、唯一、町の果てにある広大な海を一望できるのが利点だった。
強く記憶に残っている日がある。その日は朝方とはいえ蒸し暑い日曜日だった。長期休暇に入ったばかりの頃で、部活動も盛んに行われている。僕とナミの間では毎度どちらかがどちらかの家へ迎えに行って、共に部室へ向かうというサイクルができていた。
その日はナミが僕の家へ迎えに来た。ドアを開けた途端、通学鞄を片手に提げる、制服を着た彼女の姿が目に入った。
もちろん僕も制服に着替えている。笑顔の花を咲かせた彼女に手を引かれ、家を出た。
しかし、今日はいつもと違う道を進んでいた。部室へ行くための道のりではない。むしろ正反対な方向に進んでいるような気がして、僕は彼女に尋ねた。
「道、間違えてない?」
すると彼女はこう答えた。
「部活、サボっちゃお」
と、子供のように笑って。
行く先は訊かなくても分かった。『待凪公園』だ。
そのまま僕は彼女に連れられていく。部活をサボってしまうというのに、どこか心地が良かった。
公園に着いた。陽光から逃れるように、僕とナミは屋根付きベンチの下へ。それぞれ寄り添うように座る。汗ばんだ体を冷やすため、ナミは通学鞄の中から水筒を取り出し、ごくごくと水を飲んだ。
僕も彼女に倣うように鞄の中から水筒を取り出して、ごくごくとお茶を飲む。
それから二人の間には沈黙が走った。
きっと、この日の僕とナミには言葉なんて必要なかったのだろう。お互いに遠くの景色を眺めながら、時間の流れに身を任せる。
飛行機が空に一筋の飛行機雲を描いた。もくもくと広がっていくその雲を、僕はただひたすらに観察する。
「ねぇ」
唐突に、ナミが話を切り出した。
「部活、サボって良かったね」
ナミがまたまた笑顔の花を咲かせるので、たちまち僕は声が漏れる。
「うん」
きっと、僕たちは二人して同じ何かから逃げていた。その何かは漠然としていて、どことなく胸が窮屈になるようなもの。
ナミの笑顔の花を目に焼き付けながら、僕はゆっくりと息を吐いた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ナミと交際を始めたのはいつか覚えていない。高校卒業手前か、あるいは大学に入学したばかりの頃か。幽かに記憶しているのは、流れるように関係を築き――気が付けば手を繋いで微笑み合うような仲になっていた。それだけだった。
僕とナミは同じ大学を目指して受験に臨んだが、結果は虚しく、二人共それぞれ別の大学に通うことになった。
もちろん、別の大学に通うからと言って彼女との縁が切れたわけではない。休みの日には会って、しばらく町をぶらついた。
大学二年生の夏、ナミからとある連絡が来た。彼女はただ一言、『海に行きたい』とだけ。
僕とナミは予定の合う日に『待凪公園』で落ち合った。
相変わらず狭く、寂れた公園だなと僕は思う。
公園の屋根付きベンチの下、白いワンピースを着たナミの姿があった。小さなピンクのショルダーバッグを肩にかけている。また、彼女は麦わら帽子にサンダルと言った、いかにも夏と言わんばかりの恰好もしていた。
麦わら帽子が似合うのは、おそらくあの海賊以外だと彼女だけだろう。
僕と彼女はそれから手を繋いでバス停へ。バスの切符を取り、後ろの方の席へ座る。ナミが窓際で、僕は通路側。
窓の外の景色をただじっと眺める彼女の横顔を、僕もまたじっと眺めていた。
目的地に着いた。バス停だけぽつんと佇んだ道を歩いて、斜めに大きくカーブした道路を横断する。海へ降りる階段があったので、僕が先頭でナミの手を引きながら降りた。
砂浜に辿り着く。砂が僕の靴に一斉に入り込んだ。それでも僕は海の方へ進んでいく。
僕とナミ以外に人は誰もいない。
地平線まで続く果てしなく広い海。ぱりっとした潮風、耳心地の良い波のさざめき、ほのかに香る磯のにおい。
視界の左は岩肌の露出した崖が、右は遠くに防波堤が見えた。
僕は手を繋いだまま、ナミを見た。
ナミもまた僕を見ていた。
「礼二」
「どうしたの?」
するとナミがあの笑顔の花を咲かせた。
「なんでもない!」
と快活に言い切るので、僕は「なんだよそれ」と、頬を緩ませながら言い返す。
すると突然、僕の手と繋がっていた彼女の手に力が籠った気がした。ほんの一瞬の出来事だったから、僕はそれが本当なのか分からなかった。
ただ、ナミの視線は真っすぐと海へ向いている。僕は彼女の横顔をスマホのカメラで撮ろうと思い、ポケットに入るスマホへ片手を伸ばした。
だがそれは途中でやめた。
僕はナミと同じように海の方へ目線をやる。
きらきらと太陽の光を反射する海の青が、やけに脳裏へと焼き付いた。




