プロローグ「白いワンピース」
僕の恋人である三嘴ナミが亡くなった。緑風が薫る頃、その報せは唐突にやってきた。
スマホの着信の音で目が覚めた僕は、「うぅ」と唸り声を上げながらゆっくりと体を起こす。電話番号から察するに相手はナミの母だった。スマホを手に取り、応答。
『礼二くん――』
いつもは快活な彼女の声がやたらと弱々しく震えていて、僕は何事かと考える。結論が出る前に、その事実は呆気なく告げられた。
『ナミが亡くなったの・・・』
世界が暗くなる。嘘だと思いたいのだが、ナミの母である彼女の声が弱々しく震えていることと、掠れた息遣いから考えるに、ナミの死はやはり事実なのだろう。
僕は碌に返事もできず、スマホをベッドの上に落としてしまった。
僕は僕自身の意識を俯瞰しているような感覚になる。意識が遠退いたというわけではないのだが、どことなく眩暈の前兆に似た、心地の悪いぼんやりとした浮遊感に包まれた。
通話が切れる。きっと彼女も限界だったのだろう。僕もまた限界を迎えていたようで、何も言えず、何も考えられずにもう一度、横になる。
このまま深い眠りに落ちて、目覚めなければいい。
ゆっくりと、そして固く瞼を閉じた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ブラックスーツに身を包んでナミの葬式に参列した。ナミの親族や関わりのあったであろう人たちが多く集まっていて、誰もが暗い表情を浮かべている。
ナミはまだ二十三歳という若さで亡くなった。死因は交通事故。ナミは友達が運転していた車に乗っていたようで、その友達が運転する車と、突如逆走してきた車とが衝突したとのこと。友達は重傷を負ったが、一命は取り留めたよう。逆走していた車の運転手は高齢の男性で、彼もまた亡くなっている。
誰も救われない結果になってしまった。確実に、男性の遺族が事故の責任に追われる。ナミの遺族としては責任を絶対に追及したいが、それは彼の遺族ではなく彼自身に向けて行いたかっただろう。
ナミの家族は皆遣る瀬無い気持ちに駆られているに違いない。
後日、僕はナミの実家へ弔問しに向かった。出迎えてくれたのはナミの母だ。ナミは母子家庭だった。幼い頃に両親が離婚したそうで、「離婚した理由がしょうもない」など、そのことをよく彼女は笑い話に作り替えて話していた。
ナミの生前、僕はよくナミの実家を訪れた。結婚を考えていたので、その挨拶も含めての交流を考えていたのだ。当時、ナミの母は血色も良く、髪も黒染めしていて、五十路にしては若々しく気力に満ち溢れた印象だった。
しかし、そんな彼女の姿はもうどこにもない。白髪交じりの頭髪に、目元には深い隈。頬は酷くこけていて、全体的に五十路の一回り歳を重ねたように思えてしまう。
僕はその時言葉を失いつつも失礼にならないよう、お悔やみの言葉を送った。家に入り、畳の間に行くと仏壇が見える。ナミの遺影もまた目に入る。線香のにおいが、鼻を掠めた。
遺影の写真は、ナミがまだ大学生の頃だろうか。笑顔の花を咲かせた彼女の表情が、僕の目に焼き付いた。
「どうぞ」
と言われ、僕は一礼をして線香を上げる。蠟燭に灯る火が、エアコンの風でゆらゆらと揺らめいている。線香の先を火に当てる。火が点いた。煙がもくもくと上がるのを確認した後、手で扇いで火を消す。線香を香炉に立てる。
合掌。遺影に一礼をした。
後ろを振り返り、ナミの母にも礼をする。ゆっくりと重い顔を上げる。
その時だった。僕はこの時、ナミの死に傷心しすぎたあまり幻覚を見てしまったのかもしれない。だが、幻覚とは思えないほど――。
そう。幻覚とは思えないほどにはっきりと見える、ナミの姿があったのだ。
僕から見て右手側、廊下へと通ずる襖のある方だ。閉じられた襖の前、白いワンピースを着てちょこんと正座する彼女の姿があった。
白いワンピースは、彼女が生前気に入っていたものだ。僕とデートの時には必ずと言っていいほど、その白いワンピースを着ていた。
烏の濡れ羽色。そう形容するに相応しい彼女の綺麗な長髪と、白いワンピースとが合わさって、筆舌に尽くしがたい凄絶な美しさを生んでいた。
極めつけは彼女の幼さの残る顔立ちだった。身長も低く、一歩間違えれば中学生くらいの子供に見られてしまうのではないかというほどに。
ナミと目線が交錯する。僕の意識は彼女の目に集中する。
「礼二」
ナミが僕の名前を呼んだ気がした。途端に僕の目に熱が集まる。よろよろと亡者のように立ち上がって、ナミの方へゆっくりと向かう。
ナミの母が奇妙なものでも見るかのような目をして、そんな僕の行動を眺めていた。
「礼二・・・」
ナミがあの遺影のように、ふっと口元を綻ばせた。
僕は我慢の限界に達した。目元からぼたぼたと涙が溢れては、床へ落ちていく。彼女の体の手前で足が止まり、その場へ崩れるように座り込んだ。
「礼二くん、大丈夫?」
「すみません・・・」
ナミの母が僕の方へ声を飛ばした。僕は決してナミの姿を見逃さないように見つめながら、返事を返す。
一度、瞬きをする。次に目を開けた瞬間、ナミの姿は消えてしまった。
涙を拭う。
今見たナミは幻覚なのだろうか。それとも・・・。
涙はまだ引っ込まない。僕は落ち着くまで深呼吸を繰り返し、ナミの母の方へ振り返った。
彼女もまたほろほろと涙を流していた。




