2.
「なんだ、元気そうじゃねえか坊主!」
白い空間に響いた大声に、僕は反射的に一歩下がった。
いや、下がったところで逃げ場なんてないんだけど。
目の前にいるのは、赤い髪を逆立てた大男だった。
背も高い。肩幅も広い。腕なんて丸太みたいだ。
見た目だけなら、今から山を素手で割りに行きそうな勢いがある。
その後ろには、青い髪を肩でそろえた眼鏡の女性。
こちらは細身で、いかにも頭が切れそうな雰囲気だ。
さらにその隣には、桃色の髪をふわふわ揺らした小柄な女の子。
にこにこしていて可愛いけど、妙に目がきらきらしていて逆に落ち着かない。
嫌な予感しかしない。
「リュミエル、もう始めちゃうなんてずるいじゃん」
桃色髪の女の子が、ぶーっと頬をふくらませた。
「ずるいって……別に遊びじゃないんですよ、フェリーナ」
リュミエルさんが困ったように言う。
いや、待って。
今の会話だけで、だいぶ嫌だ。
「遊びじゃないのは分かってるよ? でも大事な子なんでしょ? だったらわたしも会いたいもん」
「会いたいもん、で来るんですか?」
思わず口に出すと、桃色髪の子がぱっとこっちを見た。
「うわ、ちゃんとツッコむ。かわいい」
「初対面でかわいい判定されるの、ちょっと困るんですけど」
「あははっ、いいねえ」
笑った。
すごく楽しそうに笑った。
その様子を見ていた赤髪の大男が、どん、と胸を叩く。
「おう、安心しろ! 怪しいもんじゃねえ!」
「いや、今のところ怪しい要素しかないですよね?」
「細けえことは気にすんな!」
「気にしますよ!」
勢いがすごい。
というか、この空間に来てからツッコミの消費が激しすぎる。
青髪の女性が小さくため息をついた。
「グラド、少し静かにしてください。話が進みません」
「おう? すまん!」
すまんと言いながら、全然声量が下がっていない。
僕が疲れた顔で三人を見ると、リュミエルさんが申し訳なさそうに一人ずつ紹介してくれた。
「こちらは戦神グラド。戦いや鍛錬をつかさどる神です」
「おう!」
「こちらは知恵神ミネル。知識や魔法、理を見守る神です」
「よろしく」
「それから……」
リュミエルさんが、少しだけ言いづらそうに目をそらす。
「愛神フェリーナです」
「よろしくね、カナタくん!」
フェリーナと呼ばれた桃色髪の女の子が、にこにこと手を振る。
「え、なんで僕の名前」
「あ、ほんとだ。まだ名乗ってなかったのに」
僕が言うと、フェリーナは首をかしげた。
「神様だし?」
「その一言で全部済ませないでください」
でも、まあ。
神様なら知っていてもおかしくないのか。
納得したくないけど、ここまで来るともう何に納得して何に驚けばいいのかも分からなくなってくる。
「えっと……つまり、神様が四人になったってことですか?」
「はい」
リュミエルさんがうなずく。
「増えなくてよかった情報ですね」
「本当にすみません……」
「いや、リュミエルさんだけが悪い感じじゃないのは分かってきました」
むしろこの人、かなり苦労している気がする。
他の三人が自由すぎる。
「で? 加護はもうやったのか?」
グラドさんが聞く。
「まだです。これから最低限のものを――」
「最低限? 何言ってんだ」
グラドさんは真顔で言った。
「新しい世界に行くなら、ちゃんと身を守れるようにしてやらねえとな」
「身を守る、ですか」
「おう。ケガしにくくなる。動きやすくなる。危ない時に反応しやすくなる。そういうやつだ」
「あ、それなら……まあ、必要そうですね」
森とか魔物とかがいる世界なら、自衛は大事だ。
それくらいなら分かる。
問題は、この神様たちの“それくらい”が信用できないことだけど。
ミネルさんが、すっと眼鏡の位置を直した。
「加えて、生活の補助も必要です。言葉が通じること。危険を感じ取りやすいこと。簡単な物の性質が分かること。魔力に振り回されないこと」
「言葉が通じるのは助かります」
「そうでしょう」
「危険を感じやすいのも……まあ、ありがたいです」
「そうでしょう」
「でも最後の魔力って何ですか?」
「新しい世界では、そういう力が一般的に存在します」
「ああ……ファンタジーっぽいやつですね」
「大雑把に言えば」
つまり、魔力。
魔法とかに使う力なのだろう。
異世界ならありそうだ。
というか、神様がいる時点で今さら魔法に驚くのも変かもしれない。
フェリーナがぴょこんと一歩前に出た。
「はいはい、じゃあわたしもひとつ」
「いや、まだ何も決まって」
「人と縁ができやすくなる祝福!」
「それ、身を守るのと関係あります?」
「あるよ。ひとりぼっちは危ないし、さみしいでしょ?」
その言い方だけ、少しやわらかかった。
僕は一瞬、言葉に詰まる。
異世界で一人きり。
それはたしかに、かなり心細い。
「……まあ、人に助けてもらえるなら、ありがたいですけど」
「でしょ?」
「でも、変な効き方はしませんよね?」
「しないしない」
「今の軽さが一番怖いんですけど」
リュミエルさんが慌てて割って入る。
「フェリーナ、それは本当に弱めにしてくださいね。あくまで、良い縁ができやすくなる程度で」
「はーい」
「返事が軽い!」
僕のツッコミに、フェリーナは楽しそうに笑った。
神様たちに悪意がないのは分かる。
たぶん、本当に僕を助けようとしてくれている。
ただ、善意の量が怖い。
「カナタ」
リュミエルさんが、僕の名前を呼んだ。
「あなたが新しい世界で生きていけるように、私たちは最低限の助けを与えます」
「……はい」
「ただ、力に頼りすぎなくていいのです。困ったら人を頼ってください。危ない時は逃げてください。無理をしなくていいのです」
その言葉は、少しだけ胸にしみた。
力をくれる。
でも、無理はしなくていい。
僕はてっきり、異世界に行ったらいきなり戦えとか、魔王を倒せとか、そういうことを言われるのかと思っていた。
でもリュミエルさんは、そうは言わなかった。
ただ、生きてほしいと言っているように聞こえた。
「……分かりました。お願いします」
僕がそう言うと、四人の神様がそろって顔を見合わせた。
なぜか、少しうれしそうだった。
……いや、待って。
その反応は何?
僕、今また何か変な許可を出した?
「よし!」
最初に動いたのはグラドさんだった。
大股で近づいてくる。
でかい。圧がすごい。
「まずは体だな!」
「体?」
「ケガしにくく、動きやすく、転んでも立てるようにする!」
「言い方だけ聞くと普通に助かりそうですね」
「だろ!」
グラドさんは満足げに笑い、僕の肩をどんっと叩いた。
「ぐえっ」
思わず変な声が出た。
痛い。
いや、痛いはずなのに、すぐに痛みが引いた。
同時に、体の中に熱いものが通ったような気がする。
「はい、これで多少は大丈夫だ!」
「多少って言いました?」
「多少だ!」
「そこは安心させてくださいよ!」
グラドさんは豪快に笑うだけだった。
次にミネルさんが前へ出る。
「続けます」
「できれば説明を聞いてからで」
「言葉の理解。危険感知。簡易鑑定。魔力安定。記憶補助。生活補助。以上です」
「説明が速い」
「問題ありません。日常で困りにくくなる程度です」
「本当ですか?」
「本当です」
ミネルさんの指先が、僕の額に軽く触れた。
ひやり、と冷たい感触。
その次の瞬間、頭の奥に何かが流れこんでくるような不思議な感じがした。
痛くはない。
でも、知らない言葉や、見たことのない文字の形が、遠くにぼんやり浮かぶような感覚がある。
「……変な感じ」
「しばらくすればなじみます」
「なじむんだ……」
「はい。日常で不便を感じにくくなるはずです」
日常。
その言葉を聞いて、僕は少し安心した。
あくまで生活補助。
そういうことなら助かる。
フェリーナが、最後に僕の前へ出た。
「じゃ、わたしね」
「本当に軽めでお願いします」
「大丈夫。良い出会いが増えるくらいだから」
「それって、具体的には?」
「困った時に助けてくれる人に会いやすくなる、とか。優しい人と縁ができやすくなる、とか」
「それなら……ありがたいです」
「でしょ?」
フェリーナはにこっと笑う。
それから、僕の額に人差し指をちょんと当てた。
今度はあたたかい。
春の日差しみたいな、やわらかい熱。
胸の奥に、ふっと小さな光が灯るような感覚がした。
「はい、おしまい」
「本当に軽めですよね?」
「うん。たぶん」
「たぶんって言った」
「言ってない言ってない」
「言いましたよ」
フェリーナはごまかすように笑った。
絶対言った。
最後に、リュミエルさんが一歩前へ出る。
「では、私からも」
「リュミエルさんも?」
「はい。あなたが今受け取った助けを、無理なくなじませるためのものです」
「ああ……それは必要そうですね」
ここまで三人分を受け取っただけで、なんとなく体の中が落ち着かない。
違和感というほどではないけれど、新しい靴を履いたみたいな、まだなじんでいない感覚がある。
「痛くはありません。安心してください」
「そこは信じます」
リュミエルさんが両手を重ねる。
白い光が、静かに僕の体を包んだ。
さっきまで体の中でざわざわしていたものが、少しずつ落ち着いていく。
呼吸が楽になった。
視界が少しだけ明るくなる。
でも、何かすごい力を得たという実感はない。
むしろ、ようやく体が普通に戻ったような感じだった。
「これで大丈夫です」
リュミエルさんが微笑む。
「新しい世界で、最低限困らない程度にはなったと思います」
「最低限……」
僕は自分の手を見下ろした。
見た目は何も変わっていない。
まあ、そりゃそうだ。
神様たちがくれたのは、あくまで生きるための補助らしい。
危険を避ける。
言葉が分かる。
体が少し動きやすい。
良い人と出会いやすい。
それくらいなら、普通に暮らすためには必要なのかもしれない。
少し不安は残るけど。
「それでは、カナタ」
リュミエルさんが、静かに言った。
「新しい世界へ送ります」
「……はい」
僕は深呼吸した。
怖い。
不安。
でも、もう決めた。
だったら、行くしかない。
「最後に確認ですが」
ミネルさんが言う。
「何か希望はありますか?」
「希望?」
「転生先の環境や、最初の立ち位置などです」
「え」
そんなの、今さら言えるのか。
少しだけ考えて、僕は正直に口を開いた。
「……できれば」
「はい」
「普通に暮らしたいです」
一瞬、空気が止まった。
次の瞬間、フェリーナが吹き出した。
「あははっ!」
「え、なんで笑うんですか!?」
「いや、ごめんごめん。だって、その願い、いちばん難しそうで」
「不吉なこと言わないでください!」
グラドさんまで笑い始める。
「ははは! いいじゃねえか、普通!」
「笑うところじゃないですよね!?」
リュミエルさんは笑わなかった。
ただ、少しだけ困ったように、それからやさしく笑った。
「分かりました。できるだけ、穏やかな始まりになるようにします」
「本当ですか?」
「はい」
その言葉だけは、信じたかった。
「では――行ってらっしゃい」
足元が、ふっと消えた。
「え」
一瞬、浮いた感覚。
次の瞬間には、視界が真っ白に流れた。
「うわああああああっ!?」
落ちる。
全力で落ちている。
「ちょ、待って待って待って! 穏やかな始まりって何ですか!?」
上の方から、フェリーナの明るい声が聞こえた。
『たぶん大丈夫ー!』
「たぶんって言った!?」
グラドさんの大声も混ざる。
『転んでも立てるようにしてあるからなー!』
「落ち方が転ぶレベルじゃないんですけど!?」
リュミエルさんの慌てた声が遠くで響いた。
『グラド! 余計なことを言わないでください!』
最後の最後まで騒がしい。
ものすごい勢いで流れていく光の中で、僕は半泣きになりながら叫んだ。
「普通に暮らしたいだけなんだけどなあああああっ!」
その叫びを置き去りにして、僕――星谷奏多の二度目の人生は、かなり勢いよく始まった。




